第二十三話 オリエンテーリング
「それでは、バスが出発しまーす」
一年生たちを乗せた四台のバスが、早朝の学校から出発をする。
空は雲の無い晴天で、まさしく遠出するのに相応しい天気だ。
県立一本松高校では、春も暖かくなってきた頃、一年生のオリエンテーリングが慣例行事となっていた。
クラスメイト同士の親睦を深めると同時に、一年生たちの基礎体力作りにも関係しているとか、昔から言われている。
入学直後でもないこんな時期に親睦とかよく解らん。
という意見もあるものの、そもそも開校当時から百年以上も続く行事なので、今や当初の目的も不明な点が多い。
しかし生徒たちには人気のイベントでもあり、現在もそのまま続いているらしい。
由美子が受け持つ一年B組は、二号バスに乗っている。
それぞれのバスでは、担任の先生がマイクで生徒たちへ向けて、これからのスケジュールを再確認していた。
『えー、今日はこれから、社会科見学として製糸場などの見学が行われます。みんな真面目に 見学するように』
という先生の言葉も、生徒たちは窓の外の景色などに気を取られ、あまり真面目に聞いていない。
誰よりも真剣に担任教師を見つめているのは、やはり三四郎だけである。
少年の熱と圧を隠さない視線に、さすがに少しは慣れて来た由美子だけど、やはり失敗しないかドキドキもしていた。
『今日の夜は、県境の山の麓にある、県営の宿泊施設で一泊します』
外泊という言葉に、生徒たちは楽しそうにザワつく。
「うおー、泊まりだ泊まりっ!」
「一晩中 話せるね~」
『宿泊施設での時間はタイトだから、みんな決められた時間通りに 行動するように』
「「「は~い」」」
「「「う~す」」」
返事は良いが、どんな夜を過ごそうかとワクワクを隠せない学生たちであった。
『え~、明日は県境の山を歩きます。山頂あたりのキャンプスペースで昼食を摂って、遅くても夕刻には、宿泊施設へ到着する予定です』
つまり、今日は社会科見学をして、明日は山道、明後日は社会科見学をしながら帰宅という、二泊三日のスケジュールだった。
生徒たちの手には、今日これから見学をする製糸場や工場などの一口メモや、明日の山道のコースなど、クラス委員が制作し数日前に配られたパンフレットが開かれているものの、ほとんどの生徒はチラ見した程度。
隅から隅まで一文字も逃さず目を通したのは、パンフ係と担当教員と新任教師の由美子と三四郎だけだろう。
バスは高速道路に乗って、遠くの山並みが見える車道を走って、目的地へ到着。
何であれ、時間割りから解放される平日に、学生たちはウキウキしていた。
『それじゃあみんな、パンフレットを忘れないように。念のためにもう一度言っておくけど、今回の社会科見学、レポート提出ですからね』
「「「は~い」」」
レポート提出という言葉に、生徒たちの気持ちも少しブルー。
A組を先頭に、製糸場を見学して廻る。
みんな係員さんの説明を聞いてはいるものの、アチコチで記念の写メを撮るのに忙しい様子だ。
同じ写真でも、主にレポート用の資料として撮影しているのは、少数の真面目な学生たちだけである。
「まぁ…気持ちはわかるけどね…」
由美子だって、学生だったら説明よりも写真だろう。
退屈しなかった三時間ほどの見学を終えて、バスは次の目的地、縫製工場の跡地へと向かった。
夕方になると、バスは県営の宿泊施設へと到着。
いつ建築されたのか、県営施設は、今どき珍しい木造平屋建て。
一学年が現在よりも多かった時代の建物らしく、長屋のような創りの宿泊棟が三列ほど並んでいて、大浴場や大食堂などがある母屋と、三本の通路で繋がっていた。
学生の宿泊がメインだからか、バスが乗り入れられる駐車場は、やたらと広い。
北側には山々が連なり、南側には街が見えるという、山道へ続く坂の途中でもあった。
学生たちは広い駐車スペースで並ばされて、体育座りで、怖い男性体育教師、加持先生からの注意を受ける。
『いいかー。夕食は午後五時。それからクラスごとに、入浴時間があるから、絶対に遅れないようになー。夕食後は自由時間だが、宿泊施設の外に出る事は絶対に禁止なー』
県営の施設は街はずれに建てられていて、昔は街から遠かったらしいけれど、現在では街の開発も進み、歩いていけない距離でもなかった。
一部の学生たちが、ヒソヒソと脱走計画を立てている。
『外出が発覚した生徒はー、男女を問わず正座なー』
「「「えーっ!」」」
思わず声を上げた生徒たちは早速、体育教師に目を付けられていた。
夕食は、全クラスが揃って、大食堂で食べる。
「おー、肉だ~!」
「野菜 美味しそー♪」
野菜は地元のもので、多めの肉はイノシシの肉で、煮つけになっている。
「美味しそう…♡」
お皿を眺める由美子は、緑の野菜に気づいて、三四郎をチラと見る。
(ピーマンじゃないけど…サヤエンドウはどうなのかしら…?)
三四郎は、由美子が見る事を想定していたのだろう。
それでも、サヤエンドウを無表情で、しかし困惑している感情が、由美子には何だか感じ取れた。
(あらあら…苦手な野菜、意外とあるのね)
などとコッソリ楽しんでいるのは、由美子だけでなく、女子たちの中にも何人かいた。
加持先生の音頭で、手を合わせてから夕食が始まる。
「よーしそれじゃあ、戴きます」
「「「戴きま~す」」」
食事が始まると、男子たちはガツガツと食べ出して、女子たちはオシャベリしながら味わい楽しむ。
「「ごちそうさまでした~っ!」」
早食い競争をしていた一部の男子たちは、さっさと食べ終わり、指定の場所へと食器を片付けて、部屋へと向かう。
「おれ一~っ!」
「いや一番はオレだろっ!」
布団は生徒たち自身で敷くので、良い場所を取りたい学生たちは、急いでしまう。
「こらっ、走るなっ!」
体育教師に怒鳴られて、男子たちは早歩きで自室へと上がって行った。
「では、今夜は我々ですので」
入浴時間が過ぎて、午後九時には消灯。
その途端に、活力あふれる一部の学生たちと、教師たちとの闘いが始まる。
明かりの消えた室内で。
「な、街、行こうぜ!」
とか。
「ちょっとだけ、見てみない?」
などと、脱走の相談が持ち上がっていた。
教師たちは、今夜の外回り班と明日の外回り班に分かれ、生徒たちの脱走を阻止。
由美子は明日の外回り班となり、とはいえ今夜は休みというわけではない。
外回り班は施設の外を注意して、由美子たちは施設の中を監視するのである。
「廊下に椅子を出して座って、生徒たちに目を光らせるのよ。トイレに行く生徒は顔を覚えておいて、帰りをチェックして」
「はい!」
先輩の竹田先生からアドバイスを受けて、由美子は宿泊施設を繋ぐ廊下の一角、窓の付近へと椅子を持ち出し、座り込む。
ここなら、窓を開けて外を見る事も出来そうだ。
「それにしても…トイレに行くならともかく…まあ、収まらないわよね」
脱走してまで夜遊びしたいという解放感は、教師たちにも解る。
(私の高校だと、こういうオリエンテーリングとか、無かったものね)
などと学生時代を思い出していたら、外から男子たちのヒソヒソ声が聞こえて来た。
『だめだ。思った通り、正面は山ゴリラが固めてやがる』
(山ゴリラ…たしか駐車場の正面を見張ってるのって、加持先生よね…)
分かりやすいあだ名に、つい笑ってしまった。
『じゃあ裏から行くか?』
『裏は海ゴリラに塞がれてるって!』
(海ゴリラ…まさか、水泳部の顧問も務めてらっしゃる 山頭先生の事…?)
よく色々と考えるものね。
(…私も、学生の頃は先生方のあだ名とか、普通に話してたわね)
友達同士の他愛のない会話が、何だか懐かしい。
『どうしよっか』
男子たちは、脱走の先回りをされていて、動けないでいるようだ。
(ごめんね…もう少し、聞いちゃお♪)
「由美子先生」
「ひやあっ!」
すぐ後ろかの端正な声で呼ばれて、思わず大きな声が出た。
『うわあっ–なんだ誰だどこだっ!?』
由美子の声に驚いた男子たちが声を上げて、加持先生に発見される。
『ほいお前ら正座~』
『うわ~、誰だよ でけー声だしたの~』
男子たちには、由美子の声だとはバレていないようだ。
加持先生に首根っこを掴まれて、男子たちは宿泊棟へと連れ帰られる。
「ビ、ビックリした~…ビックリしたじゃない…っ!」
「すみません」
振り返って、思わず小声で文句を言ったら、ジャージ姿の三四郎が綺麗に直立をしていた。
~第二十三話 終わり~
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