第二十二話 お母様
由美子は震えてしまった。
「わ、私たちの、事を…お母様に、話す…っ!?」
三四郎の言葉に、激しく動揺。
「でっでっでもそれはっ–まだ早いっていうか私たちっ–」
右往左往ワタワタする美人って意外と庇護欲をそそられるな。
と感じている表情で、三四郎は冷静に、もう一度正しく告げる。
「いえ、僕のアドレスを由美子先生がご存じの理由などを考えると、万が一にも学校に知れた場合、僕の両親が知らないのは不自然かと」
「あ、そ…そぅ、よね…」
確かに、少年の言う通りだ。
「それに、由美子先生が僕の心配をしてくださっている以上、もし母がそれを知った場合、やはり挨拶くらいはしなければ、気にするでしょう」
「なるほど…」
と、理由は納得できるけれど。
「それってつまり…葵くんがお母様に話して、私がお母様から電話を戴く…っていう事…よね…?」
「まあ、そうなると思います」
「そ、そうよね…」
(三四郎くんのお母様と、直接電話…っ!)
それは、緊張の極みのようだと、由美子は感じる。
もしお母様に二人の事がバレたら。
もし厳しいお母様だったら。
もしお母様に嫌われたら。
(ち、違うわっ! そういう事じゃなくてっ!)
慌てて頭を振ると、綺麗な黒髪がワサワサと乱れる。
「大丈夫ですよ。由美子先生は素晴らしい女性ですし、母も認めてくれますよ」
とか、爽やかな笑顔で勇気をくれる三四郎だ。
「…電話の話よね」
「電話の話です」
そんなワケで、帰ったらすぐ母に伝えますと綺麗な挨拶をくれて、三四郎はランニングをしながら帰って行った。
「…だ、大丈夫かしら、私…」
二時間もしないで少年の母親から電話がくるかと思うと、緊張で室内をウロウロしてしまう由美子だった。
それから一時間半くらいして、由美子のスマフォが鳴った。
「ふはあっ–き、き、来た…っ!」
コール元を見ると、三四郎からだ。
つまり、三四郎のケータイで母親が電話をくれているのだろう。
「は、早く出なきゃ…っ! ぉお落ち着いて落ち着いて、私…っ!」
こんな緊張、大学入試や教員試験でも体験していない気がする。
整えている髪を更に手櫛で整えて、震える指で着信をすると、いつもよりもワントーンほど高い美声が、自然と出る。
「はい、一本松高校一年B組 担任の松坂由美子と申します」
『電話の挨拶としては、個人情報が多すぎると思います』
「って葵くんっ!」
飾った声を聴かれてテンパった対応も指摘されて恥ずかしくて、つい大声になってしまった。
「な、なによなんで葵くんなのよっ! お母様にお話しするとか、からかったのっ!? 私っどれだけ緊張したと–」
『お電話 代わりました。お世話になっております。三四郎の母です』
「はっはひぃっ–っ! ははは初めましてっ、担任のまま松坂っ–由美子ですっ!」
三四郎くんのお母様。
私、なんて大きな声を出して。
お母様に、ダメ教師だとか思われちゃう。
自己嫌悪の嵐で、美顔が赤くなったり青くなったり。
慌てふためく女性教師に、三四郎の母は楽し気に挨拶。
『お忙しい中、突然にお電話をしてしまい、申し訳ございません~』
優しい声色で丁寧な挨拶をくれる三四郎の母親に、由美子はやや安心しながらも、余計に失敗が恥ずかしく感じた。
「い、いいえ、こちらこそっ。いつも授業中に、助けて戴いてしまって–」
あれ、おかしな挨拶かしら。
でも授業にダメ出しして貰ってて、おかげで授業が解りやすいって、みんな言ってくれてるし。
『まあ…うちの子がナマイキを申し上げてしまっておりますようで…いつも申し訳ありません』
母親の苦笑いが伝わってくる。
母親いわく、三四郎は中学の時も、授業終了後に質問攻めで、教師泣かせな生徒だったらしい。
「はあ…」
中学の頃からそうだったんだ。
そんな話を聞かされると、なんだか嬉しい。
『なんでも、土曜日のランニングで、松坂先生が気に留めてくださっているようで…。ご挨拶が遅れてしまいまして、本当に失礼いたしました』
「い、いえ…さんっ–んん、葵くんは、シッカリされてますし、こちらも特に心配するような事は、ないのですが…」
『うちの子ったら、こういう大切なお話を黙っているものですから…本当に、男の子って無口で困ってしまいますね。ほほ…』
後ろから「余計な事はいいから」と、三四郎の困惑声が聞こえる。
「年頃の男子生徒は、みんなそういうもののようです。ですが葵くんは、クラスでもイザとなったらリーダーシップを発揮してくれますし、じょ…女子にも、注目されてますし…」
女子からも注目。というあたりで、言葉が詰まってしまった。
『偉そうでしょう? 人様にご迷惑をおかけしていなければと、いつもヒヤヒヤしておりますもので。ほほほ…』
また後ろから「そんな話はいいから!」と、三四郎の恥ずかしそうな声が聞こえた。
(三四郎くん、お母様の前では形無しね♪)
母と息子の関係性が垣間見れて、思わず微笑んでしまう由美子だ。
差しさわりの無い世間話などを経て、担任教師は男子生徒の母親との電話を終える。
『それでは松坂先生、長々と失礼をいたしました。ご迷惑と存じ上げますが、これからも よろしくお願いいたします』
「こちらこそ、至らない新任教師ですが、宜しくお願いいたします」
通話を終えると、意外とグッタリしてしまった。
「は…はああぁぁ…緊張した…」
お母様に嫌われるような事は、なかったみたいだわ。
と思うと、心の底からホっとしてしまう。
なにより、三四郎の母親は、優しく穏やかな人物のようだ。
(三四郎くんの言う通り…)
お母様と仲良くなれそう。
と考えてしまって、ハっとなる。
「ちっ、違うからっ! 別にそのっ、教師としてっ–」
慌てて一人で否定していたら、再びコールが鳴った。
「わひっ–あぁ、三四郎くん…」
今度は本人だろうと、しかし気を引き締めて、通話する。
「も、もしもし」
『もしもし、三四郎です』
「あ、はい…」
『今、自室から電話をしています。あらためて連絡をしたいと思いまして』
「そ、そう…」
気遣いだろう。
ホっとして、やはり嬉しい。
『母が、松坂先生って熱心で真面目そうで良い先生ね。と、喜んでました』
「あ、あらそう…? うふふ」
三四郎の母親に認められた。
それだけで、心がふわふわと軽やかに踊り出す。
「そ、それにしても、急に電話、お母様に替わるとか、ビックリさせないでよ~」
心臓が飛び出しそうだったし、顔中が真っ赤になったし、まだ全身が緊張の汗で熱い感じだ。
『すみません。横からスマフォをひったくられまして。母も、由美子先生との電話を楽しみにしていたようで』
「そ、そうなの…」
そのうえで、三四郎の母親に認めて貰えたのなら、なんだかくすぐったいくらい嬉しい。
「それにしても…うふふ」
『はい?』
由美子は、母親の言っていた中学生の三四郎を思い浮かべていた。
「さんっ–葵くんって、中学の頃から 教師泣かせだったのね」
『そ、その頃は今より比べても、先生方へ訊ねる事に、躊躇いがありませんでしたので…。今は自分で調べる事のほうが大切だと、あの当時よりは意識が自立しているつもりです』
バツが悪そうな三四郎も、何だか可愛い。
「そうかしら~? 日本史の田所先生とか、いつもヒイヒイ言ってるみたいよ~」
そんな他愛もない会話で、二人の時間が過ぎていった。
~第二十二話 終わり~
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