第二十一話 ピーマン+人参+α


 土曜日の朝。

 三四郎はいつも通り、四つ隣の駅から河川敷にまで、ランニングでやって来た。

「お早うございます」

「お早う♪」

 楽しそうに手を振るジャージ姿の担任教師は、明らかに何かの作戦を用意している笑顔である。

「何か企みでも…?」

「な、なんの事だか…っ!」

 先日の、ピーマン&人参ニガテ克服作戦である事は一目瞭然だけど、あえて聞いてみたらとぼけたので、やきりそうなのだと確信した三四郎。

「由美子先生のそういうところ、とても愛おしく感じます」

「えっ–な、何よ急に…っ!」

 真正面から臆面もなく言われると、どうして良いのか解らない。

 美しい表情を少女の如く真っ赤に上気させながら、女性教師は河川敷へと先を走った。

「ほ、ほら…はやく、ランニング!」

「はい」

 風が気持ち良いグラウンドを、二人で五週ほど走って、斜傾地で柔軟や腕立て、腹筋などをこなす。

「葵くん、腕立ての回数 増えてない?」

「はい…以前より…十回から…二十回は…増えて…ます…っ!」

 担任教師を背中に乗せて、静かに上下する眼鏡の少年。

 お尻に感じる三四郎の筋肉が、以前よりも逞しくなった気がしていた。

(男の子って…すごいのね…)

 男女も高校生になると、性別の違いも決定的なんだわ。

 とか、あらためて実感している由美子だ。

「ふぅ…」

 大きく息を吐いて、三四郎が草の上に潰れる。

「お疲れ様、はい」

 少年からお尻を降ろしながら、ボトル入りのスポーツドリンクを差し出す由美子。

「ありがとうございます…んくん…」

 汗を拭きつつドリンクで喉を潤す少年は、年上の担任から見ても、大きな身体に引き締まった筋肉で、頼もしく感じる。

 シャツの上からでも解る胸筋とか、ドリンクのボトルを掴んでいる腕とか、由美子は思わず見惚れてしまっていた。

(……年下なのよね…)

 なのに、自分は弱い存在なんだと、本能が納得をしてしまう。

(ちっ、違うからっ–三四郎くんは鍛えてるからっ! 私は別に–)

「由美子先生」

「ははいっ!」

 美しい顔が驚いて引きつって、黒いサラサラヘアが乱れたり。

「その…今日は、オニギリは…」

 言い辛そう感じが、可愛いと感じる。

(なによ、私のおにぎり 楽しみにしてくれているんじゃない♪)

 もちろん解っているけれど、あらためて確認できると、心が弾む。

「ふふ、もちろん 用意してあるわよ♪」

 自慢げに告げると、安心したような嬉しい空気が、三四郎から感じられた。

「ま、お楽しみよ」

 そう言って立ち上がると、三四郎が付いてくる事が当たり前のように、由美子はアパートの自室へ案内。

「さ、今日は–」

 ウチで食べさせてあげる。

 と言いそうになって、ハっと気づいた。

(ちょっと待って…これって、三四郎くんをまた部屋に上げるって、事よね…えええっ!)

 今更だけど、良いのだろうか。

 と言うか、なんで気づかなかったのよ私。

 三四郎は紳士だから室内をジロジロ見たりはしないけど、こう何度も部屋へ上げるのは、色々な勘違いをさせてしまうのではないか。

(だ、大丈夫よね…土曜日だし、朝だし、三四郎くんだし…っ!)

 と自分に言い聞かせながらも、万が一の勘違いも、頭を過る。

(あ、あの逞しい筋肉だし…もし力づくとかで、来られたら…)

 無事でいられる自信は無い。

「ぇえっと…」

 言葉と態度が濁る女性教師を、少年し察した。

「解りました。僕は外でお待ちしています」

 と、優秀な学生らしい気遣いを貰うと、逆に申し訳なく感じてしまう。

「ち、違うのえっと…あ、上がって貰っていいんだけど、その…少し、時間かかっちゃうから…お腹空かせてるのに、悪いなーって…」

 焦って取り繕う年上女性に、少年はむしろ期待を隠さない圧で答えた。

「由美子先生の手料理が食べられるのでしたら、たとえ朝食が夜食になっても、耐え抜いてみせます!」

「あぁりがと…それじゃあ、どうぞ…」

 とにかく、間違いは起きないように。と、神様と少年と自分に哀願する由美子。

 少年は以前と同じく、通されたリビングで正座をして、室内を見回るような事はしない様子。

 同時にやはり、由美子の部屋に興味津々な熱の感情も、隠されてはいなかった。

(…つくづく紳士だわ…)

 もちろん嬉しいけれど、もうちょっとグイグイ来られても喜んでしまう自分がいて、複雑な思いの担任教師。

「ちょっと待っててね」

 焦げ付かないフライパンをコンロに乗せて、冷蔵庫からトレイを取り出す。

 ラップで保護されたトレイには、昨夜、由美子が頑張って作った、生ハンバーグが乗せられていた。

 牛肉と玉ねぎなどの具に、細切れにしたピーマンと人参が混ぜられている。

 本当は、小さめのサイズを作ろうと思っていたけれど、かつて男子の食欲を目の当たりにした由美子は、いつも自分で作るよりも、かなり大きなサイズで作ってしまっていた。

 正座で待つ少年へと、リビングから声を掛ける。

「まあ、焼いたら香りでバレちゃうから白状しちゃうけど、ピーマンと人参の入ったハンバーグよ」

「ハンバーグですか」

「あら、嫌い?」

「いいえ、大好物です。由美子先生のハンバーグ…」

 正しい姿勢のまま、三四郎は由美子のお手製ハンバーグに、期待と喜びを噛みしめている様子だ。

(素直よねー♪)

 エプロンを纏って、鼻歌交じりでハンバーグを焼く。

 ジュウジュウ言う焼きの音が食欲を刺激して、美味しそうな香りが鼻腔と胃袋を刺激する。

 数分と焼いてひっくり返して、更に数分焼く。

「…どうかしら」

 菜箸を刺したら柔らかい弾力で、焼き上がった。

「お、お手伝いいたします」

 ただ座っているのが居づらいのか、少年はエンリョがちに、キッチンへとやって来た。

「それじゃあ、大き目のお皿 出してもらえる?」

「は、はい」

 女性の部屋のキッチンに入るのも触れるのも初めてな三四郎は、何か失礼な事をしてはならないと、緊張している。

(いつも威張ってるクセに☆)

 なんだか弱々しい感じの少年を、思わず撫でてあげたくなる気持ち。

「このお皿で、宜しいですか?」

「うん、ありがと♪」

 少年の掌よりも少し大きな二枚のお皿に、焼き上がったハンバーグをそれぞれ乗せたら、お皿からギリギリはみ出しすサイズだった。

「…ちょっと大きすぎたかしら…」

「いえ、僕には丁度良いです!」

 そういった三四郎の言葉には、素直な喜びが隠せていなかった。

 リビングで、テーブルを挟んで向かい合って座り、二人で戴く。

「「いただきます」♪」

 出来立て焼きたての温かく柔らかいハンバーグを箸で切って、一口戴く。

「あむ…んん、美味ひい~♪ 我ながら良い出来」

「んぐんぐ…はい、とても美味しいです…!」

 メガネが曇るほど美味しいらしい。

 三四郎は、大きな一口サイズを箸で切って、パクっと食べる。

 相変わらず、少年の食欲は凄いと感じた。

「んぐんぐ…ピーマンと人参、姿はありませんが、味はします」

「でしょ~? もうすっっごく、細かく切り刻んだんだからね~」

 親の仇と見紛うばかりに、徹底的に細かく切ったピーマンと人参だから、味はしても見た目らは解らないレベルだ。

「不思議ですね…食感がなくなると、味もさほど 気になりませんね」

 ピーマンを食べてくれている。

 作った甲斐があるというものだ。

「どう? 美味しい?」

 ハンバーグの感想を聞いたら。

「はい。しかし厳密には、苦手克服 という事にはならないと思います」

「えっ、なんでっ!?」

 良いアイディアだと思ったけれど。

 焦る由美子へ、三四郎は素直に告げる。

「由美子先生が作って下さる手料理ならば、たとえ肉詰めピーマンでも、僕は全て食べるでしょう」

 由美子が作のなら自分には好き嫌いなど無い。

 と、三四郎は言っている。

「そ、そう…」

 自分の全てを肯定されると、嬉しくて恥ずかしくて、頬が真っ赤になってしまう。

「あ、それと由美子先生」

「はいっ!」

 三四郎から、思ってもいなかった提案がされた。


                     ~第二十一話 終わり~

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