第十八話 嘘ではない誠


(ど、どうしよう…ドキドキしてるっ!)

 男性からの電話そのものは、もちろん初めてではない。

 なのに、胸が高鳴って両掌が震えて、なんだか少しだけ怖かったり。

「でも…出ないと…」

 ただの通話なのに、指先で髪を整えたりして、由美子はコールに出る。

「も、もしもし…」

『もしもし、葵です。夜分遅くに 申し訳ありません』

(葵くんの声…!)

 分かってはいたけれど、頭の中に花が咲きそうなくらい、嬉しい。

「は、はい…」

 声を聴いているだけで、全身がカァっと熱くなって、頬が上気しているのが解った。

『アドレス、ありがとうございました。すごく嬉しいです…!』

「う、ううん…や約束、だし…」

 耳元で聞こえる少年の、嬉しさを隠しきれない声がくすぐったくて、不意に息を飲んでしまう。

「あの…私、葵くんに、その…謝らなきゃって…」

 高校一年生の男子に対して、高校三年生レベルの設問を投げかけてしまった事を、由美子は反省していた。

 と同時に。

(いままで ずっと…こんな時間まで、問題と向き合ってくれていたんだわ…)

 それは、午前中の授業でノートを返却してから、今までずっと、由美子の事を考えてくれていたという時間。

 そして、そこまでして由美子のアドレスを知りたがっていたという、想いの強さ。

 そう実感できると、ドキドキと、ときめいてしまう。

 喜びと同じくらい、酷い事をしてしまったと、由美子はシュンとしていた。

「あの…問題ね…難しかったでしょう…? こんなに時間、かかってるんだし…」

 と、素直に謝罪しようとした数学教師に。

『いえ、設問は簡単でした。見てすぐ、暗算で解けましたので』

「はぁっ!?」

 言われて、思い返せば、少年が返却されたノートを見ていた時間は、六秒くらいだ。

(あの時には解けてたって話じゃないっ!)

 私のトキメキを返して。

 と文句の一つも出そうだけど、それはそれで、数学教師として負けたみたいでイヤなので、話題を変える。

「コホん…それで? アドレスが解ったなら、なんでこんな時間まで電話くれなっ–んん、しなかったの?」

 期待していた分だけ寂しかった心が吐露されそうになって、取り繕いに失敗しつつも取り繕った。

『はい。じつはその…僕自身が、自分から女性に電話を掛けるなど、母や祖母や従姉妹いがい、初めてなもので…』

(あら…)

 だから何を話して良いのか考えてしまいました。

(なんて…そんな可愛いこと、言わないわよね…)

『どんな話題を話せば良いのか…思いつかずに、時間が経ってしまいました』

「!」

 素直な言葉に、また心が射抜かれてしまう。

(な、なんでいつもっ、私の心の裏を読むような事ばかり言うのよっ!)

 紅葉のようだった頬が、更にリンゴレベルにまで赤くなった。

「そっそっ、それでっ…でで電話っ、出来たワケでしょう? な何かその…用事? お、思いついた わけ?」

『実は、理由付けを考えておりまして。ようやく思いついたのですが…』

「理由付け…?」

 担任教師に電話をする理由付け。

 という意味だろう。

『なにぶん、僕はあまり頭が良くないらしく…いわゆる嘘を考えるのが苦手でして…』

「………」

 大学で成績が平均だった由美子に対する皮肉ではないらしい。

 数学教師の授業内容をキビしくチェックする秀才あるある。というわけでもないらしい。

「で…嘘って、なあに?」

『はい。学校の規則では、生徒と教師の間でアドレス交換などは、部活などの特別な理由が無い限り、原則禁止。とされてます』

「そ、そうね…」

 少年からアドレスを貰って、嬉しくて失念していた気もするけど、確かにそうだ。

『ですが、僕は先生が教えてくださったアドレスを破棄するつもりは毛頭ありませんし、かといって、もし万が一にも発覚した場合、やはり それらしい理由付けは必要なのではないか…と』

 ノートの設問を暗算で解いた直後から、ずっとそんな事を考えていたらしい。

 すごいと言うか。

(そ、そんなに私の事…考えてくれてるんだ…)

 そう感じてしまうと、やっぱり嬉しい。

「そ、それで…どんな理由を考えたの?」

『はい』

 成績トップなのに嘘が苦手な少年が考えた嘘に、興味津々な由美子。

 三四郎は、少し恥ずかしそうに、考えた理由付けを話す。

『僕があまりにも数学の事で由美子先生に質問をして、お互いの帰宅時間にも支障が出る事もあり、由美子先生は電話でも質問に答えられるよう、アドレスを教えてくださった。という感じで、如何でしょう?』

「却下」

『ええっ!?』

 あ、初めて本気で驚いてる。

 顔、見たかった。

 とか、ちょっと嬉しく感じながら、少年の考えた嘘に、脱力もしていた。

 却下の理由。

 ①そんなに質問をされていると、つまり授業がヘタだという事。

 ②授業時間よりも長い質問とか、有り得ない。

 ③そもそも、秀才少年の質問にスラスラと答えられるほど自分が賢いとは、由美子自身、到底思えない。

『ダ、ダメですか…』

 あ、ちょっと落ち込んでる。

 顔、見てみたい。

 なんて解ったり思ったりすると、庇護欲みたいな感情が刺激されたり。

「ま、まぁ…嘘が苦手な事は、よく解ったわ…んー そうね…」

 由美子も考えて、思いつく。

「葵くん、土曜日って、ウチの近くまでランニングしてるでしょ?」

『はい』

「お互いに偶然だったのは事実だし…私がその、担任として、共働きの生徒の様子を見る意味でも、アドレスを交換した…っていうのは、どうかしら」

 高校一年生とは、つまり中学四年生とも言える。

 連絡手段を持っている理由としては、特に不自然でもないだろう。

『なるほど』

「雨の日とか、ランニング休みますって、さんしっ–ぁ葵くんも連絡をくれた。とか」

 思わず名前呼びしそうになって、慌てて訂正。

『そうですね…ああ、たしか天気予報だと、今度の土曜日は雨のようですし…僕が由美子先生のアドレスに、休みますとメールをいたします』

「あ、あら、そうだったの」

 偶然とはいう、天気予報と一致していたのは、幸運と言える。

『はい。それでは、この件については、以上で…』

「あ、ぅん…」

 電話が終わる。

 そう思うと、なんだか寂しい。

『………』

「………」

 言葉を探すように、お互い、黙ってしまう。

『「あのっ–あ」』

 言葉は思いつかないけれど、一緒に話し出してしまった。

『ゆ、由美子先生、どうぞ』

「あ、葵くんこそ、いいわよ…」

 お互いに、譲り合ってしまって。

『で、では、僕から…』

「はい…」

 何を話してくれるのか、緊張してドキドキする。

『今日の授業の由美子先生、心ここにあらずといいますか。何だか別の事を考えて少しイライラしていた様子で、説明に関して二回も噛んだり間違えて訂正されたりしておりました。そのような失態や勘違いはともかく、授業に身が入っていない感じは、教師として如何なものかと–』

「~わっ、悪かったわねっ! 授業がヘタな教師でっ!」

 辿々しい会話とか期待していたのに、秀才からのダメ出し。

『大丈夫です。授業内容はみんな理解しているようですので。由美子先生は決して、授業ヘタなどではありません』

 ダメ出しした張本人が何を言う。

『ああ、そう言えば僕は、上野に感謝もしています』

「上野くん?」

 クラスメイト男子の友達の名前が、急に出てきた。

『実は、女子が僕のアドレスを知っていた件について。ですが…』

 女子にアドレスを聞かれても教えない三四郎なので、女子は三四郎の友達である上野に訊いたらしい。

『上野は、女子と放課後に遊びに行くかわりに、僕のアドレスを教えたようです』

「あらあら…」

 呆れる話ではあるし、他人のアドレスを勝手に教えてはダメだろう。

『上野には僕から注意しましたし、もし宜しければ、由美子先生からも注意して頂けると助かります』

「そうね…解ったわ」

 落ち込んでいる男子を想像して、苦笑いをしてしまう。

 想いの為とはいえ、女子は逞しいな。

 思わず男子を応援したくなる由美子だった。


                      ~第十八話 終わり~

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