第十七話 宿題
自室のベッドで、由美子は悩んでいた。
明日の授業で返却するノートのチェックは終えているから、悩み事は、それではない。
「私のアドレス…やっぱり 知りたいのよね…葵くん」
ベッドサイドの小さなテーブルの上に飾られている、ナイトライトには、少年から手渡されたメモ用紙が貼り付けてある。
「葵くんの アドレス…」
今更だけど、綺麗な字だ。
少年の、真面目で熱い視線を、思い出してしまう。
私も、知って欲しい。
(でも、どうやって伝えれば…)
三四郎のノートに書くのは簡単だけど、成績優秀な少年は、よく友達からノートを見せてくれと頼まれ、貸しているのを見かける。
(ノートに書いたら、葵くんだって困るかもしれないわ)
少年のように、メモに書いてノートに挟む。
(…もし、うっかり滑り落ちるとかしたら…)
そう考えると、メモ書き作戦も安全とはいえない。
(屋上で…いいえ、その現場を誰かに見られてしまったら…!)
大勢の生徒たちに囲まれてメモを手渡す場面が創造されて、焦る。
「ダ、ダメよそんなっ! あぁ…でも、どうすれば…っ!」
三四郎だけに伝わる方法はないのか。
「そうだわ! いっそ今 電話しちゃって…って、もう十一時っ!」
いくら個人のケータイとはいえ、こんな時間に電話をするなんて、大人として常識を疑われるし、教師としても問題だ。
「それに…葵くんは『また 明日』って言ってたじゃない!」
アドレスを伝える方法が、全く思いつかない。
頭の中で「そうですか思いつきませんでしたか僕の勝ちですかフッフッフ」とか、したり顔で身長的にも見下ろしてくる眼鏡少年の姿が。
しかも眼鏡も、余裕で光っている。
(そうよ! これは知性の勝負なのよっ!)
「ま、負けるワケには 行かない…っ!」
もはや誰と戦っているのか解らないけれど、由美子は必死になって、大学で平均だった頭脳をフル回転させ続けた。
翌朝。
「ふわわ…寝不足だわ…」
あれから、考え続けた。
どうして葵くんは、こんなに私を悩ませるのだろう。
どうして私は、彼の事でこんなに胸が苦しいのだろう。
という、想い浮かんだけれど今はそれどころじゃない問題ではなく、アドレスを伝える方法だ。
結果。
心のスタミナ付けとして一杯だけ飲んだ日本酒が幸いしたのか、実に数学教師らしい、ベストを超えたコンプレックス(完璧)な伝え方が思いついて、自画自賛。
「ふっふっふ…葵くん、私の知性の素晴らしさに、平伏しなさい…っ!」
少年が尊敬の眼差しを向けるであろう光景を思い浮かべると、脳内に幸せ物質が溢れて巡り、寝不足などドコかへ飛んで行く由美子だった。
「それでは、昨日提出して貰ったノートを返します♪」
出席簿順に名前を呼んで、ノートを手渡す。
「はい、葵くん。ノート、綺麗に付けてるのね」
「はい」
受け取る三四郎は、いつも通りのポーカーフェイス。
(ふふ…ノートを開けて驚きなさい!)
「由美子せんせー、何か今日、嬉しそー♪」
「えっ、そそうかしら ホホホ」
気持ちが表情に現れていたらしく、女子に突っ込まれて、慌てて誤魔化す由美子である。
そんな美人教師を、更にその前からの密かにニヤニヤする美人教師を、少年は黙って観察をして、どこかにアドレスが秘められているのだと確信した様子だった。
「え~、それじゃあ、授業を始めます♪」
授業が始まると、全員、ノートを開く。
由美子は密かに、三四郎を注視。
(さぁ、見なさいっ!)
ノートを開いた三四郎は、由美子の仕掛けに「おや?」と気づいて、そして六秒ほどノートを見つめて。
「………」
(あれ…無反応…?)
ノートの仕掛けに気づけなかったのだろうか。
「せんせー」
「あっ、ははいっ! ぇえーと…四十八ページから…」
女生徒の指摘が入るまで、三四郎を注視してしまっていたらしい。
「えー…この公式は…」
授業を進めながら、由美子は不安が頭を離れなかった。
三四郎の熱と圧を隠さない想いの視線は相変わらずだし、自分に好意を寄せてくれている事が解って、心の奥でホっとしてしまっている。
問題は、由美子が仕掛けたアドレスを伝える方法が、解ったのか解らなかったのか、少年のクールフェイスからは全く読めない事だった。
由美子が昨晩、平均の脳をフル回転させて閃いた伝達方法とは。
『そうよ! ノートに数式を書き込んで、この答えがアドレスになれば良いのよっ!』
これなら、成績優秀な少年には絶対に解るし、万が一にもクラスメイトとかにノートを見られたって、まさか難解な設問の答えがアドレスになっているなんて、気づかれないだろう。
『でも、あれよね…もし、別の生徒に解かれたりしたら…』
うん。高校二年生。いいえ、三年生レベルの問題なら。
『葵くんだって、そうそう解けないでしょう? いつもからかってきてっ、数学教師として、少しは尊敬させてやるんだから! うふふふふ…♡』
自分の脳みそを祝福してあげたくなる程の、マーベラスなアイディア。
と思っていたけれど、お酒の勢いも手伝ってか、少年に勝つことばかりに囚われて、問題が難し過ぎたのかもしれない。
(そうよ…相手は高校一年生じゃない…っ!)
なのに高校三年生レベルの設問とか、無茶もいいところだ。
(あああ~っ、私っ、バカなのっ!?)
由美子は授業が終わっても、ずっと一日、その事ばかりを考えていた。
終業のHRも終わって、放課後。
「礼」
挨拶が済むと、三四郎は掃除当番だった。
(さ、流石に…呼び出すわけには、行かないわよね)
先日だって、三四郎を呼び出したら友達から結構イジられたらしい。
日数が開いているとはいえ、そうそう同じ生徒を呼び出すのは、生徒本人への風評被害を招きかねない。
「うぅ~…掃除が終わったら、どこかで…」
と身構えていたら、こういう日に限って、急な職員会議。
「松坂先生、時間ですよ」
「は、はいっ!」
教室の様子を見に行こうとしたタイミングで、会議が始まってしまった。
「…ただいま…」
結局、学校では三四郎を呼び止める事が出来ず、夜になって帰宅した由美子。
「昨夜のアレは…いわゆるミッドナイト・ハイだったんだわ…」
夜中に描いたラブレターは翌日に見ると恥ずかしい。
というアレである。
リビングの椅子にカバンを置いて、テープルへ突っ伏す。
「…解けない問題とか出して…私…」
葵くんに呆れられてしまうのではないか。
「ハっ–と言うより…」
『こんな難しい問題で返して寄越すなんて、先生は僕に、アドレスを教えたくないんだろうな』
「ち、違うのよっ–」
自分の想像に、思わず声が出て懇願してしまう。
『直接に言葉で断らず、こんな方法で返して からかってくる先生よりも、普通にアドレスを訊いてくる女子の方が、素直でいいなぁ』
「そっ、それは葵くんがっ–っていうか、私の頭じゃ、他に方法が思いつかなかったんだもんっ! だいたい、ノートに書けって言ったのも、葵くんじゃないのよっ!」
お酒も入ってないのにクダを巻く美人教師。
「何よもう…いつも私ばっかり…こんなに考えて、悩んで…苦しんで…」
想いとは不公平だ。
「私だって…これでも、一生けん命…」
誰の為に。
「ハっ–べべっ、別に葵くんの為とか…!」
そうだけど。
「私…頭ぐちゃぐちゃ…」
思わず両掌で顔を覆った時、由美子のスマフォがコールをした。
「!」
(コ、コール…もしかして…)
慌てながら震えながら、カバンからスマフォを取り出して、うっかり床に落としてしまいそうになったりしながら、表示を見る。
もしかして竹田先生だったり。
「! 葵くん…っ!」
二度見して、目を擦って凝視して、間違いない。
コールの相手は、確かに三四郎だった。
~第十七話 終わり~
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