第十六話 アナログにデシダルを


「はぁ…私、馬鹿みたいだわ…」

 放課後の職員室で、由美子は自省していた。

 女子のアドレス話で勝手にムカムカして、三四郎に八つ当たりをしてしまった自分。

 まるで子供だわ。

 と、自分でも恥ずかしく、少年にも申し訳なく感じたり。

(そもそも、葵くんが誰とアドレス交換したって 自由なんだし…)

 生徒同士なら、なおのこと自然だろう。

 冷静に考えれば、むしろ誰ともアドレス交換していない一人ボッチのほうが、教師としても女性としても、はるかに心配だ。

(そうよ…私が勝手に いろんなことを考えて 怒って…)

 今日はもう帰っちゃってるだろうし、アドレスも知らないし、明日にでもちゃんと誤った方が。

 とか考えつつ、教員用の下駄箱で履き替えて、下校する。

「…っていうか…なんか キスされてから…変だわ…私…」

(こんな事じゃ、嫌われちゃうわ…)

「ハっ–私いまっ!」

 自分の考えに、自分で動揺していると。

「由美子先生」

「はいいっ!」

 また背後から声を掛けられ、心臓が飛び出すほど驚いた。

「ああ葵くんっ–どどどどうしてこんな…っ!」

 ところで会ったの?

 と思いつつ、待っていてくれた。と、つい顔がニヤけてしまいそうになって、言葉を飲み込んだ。

「由美子先生の様子がいつにも増して妙でしたので、気になって仕方がありませんでしたので、今日のうちに解決をしたくて、お待ちしておりました」

 スラスラと話す少年は、つまりそれほど、由美子の様子を気にしているのだ。

「う…」

 でも「いつにも増して」とか言ってなかった?

 と思いつつも、やっぱり嬉しい。

 ちょっと瞳が潤むくらい、嬉しい。

「べ、別に…」

 とか取り繕ったら。

「いいえ、由美子先生が何か…ボクに関して気にしている事は、解っています。どうかなんでも、僕に仰って下さい」

 強く言いながら、眼鏡越しの熱い眼差しを、正面から向けてくる。

(こ、この視線に弱いのよ~!)

 まずい。

 このままでは自白させられてしまう。

「ま、まぁその…え駅まで、歩きましょうか…」

「はい」

 下駄箱を出て、校門をくぐって、黙ってついて来る少年。

(でも…どう言ったらいいのか…)

 ヤキモチの説明ではなく、全然平気なのよ。と、誤魔化す言葉を探す由美子。

「由美子先生、どうせなら 近道をしませんか?」

「え、あぁ…うん」

 良い考えが浮かばないとはいえ、あまり長い時間を一緒に過ごしていると、つい本当の事が口から溢れてしまいそうだ。

「こちらです」

 少年に導かれて、ビルの間の細い道へと入り込む。

 人ひとりが通れるくらいに狭い道は、壁に挟まれた空までも狭く高く、なんだか非日常な感じがする。

「裏通り…でもないくらい 狭い場所ね。あ、ここって 一般道なの?」

「はい。それで、由美子先生」

 Wの形をした狭い角を曲がる途中で、少年が振り返る。

「え…」

 気づいたら、由美子は曲がり角の窪んだ壁を背に、少年の大きな身体で、外界とは遮断されていた。

 逆行の少年は、身体も大きくて少し怖い感じ。

「あ、あの…」

 だけど真面目な視線を受けてしまうと、なんだか追い詰められるドキドキも、強く感じてしまっている。

「由美子先生、これなら僕いがいの、誰にも聞こえません。正直に、なにを気にされているのか、話してください」

「そ、それは…」

 こんなふうに、八つ当たりする事を許されてしまったら、してしまいそうだ。

(それは、だって…大人として 格好悪いじゃない…!)

 年下の男子に甘えるとか、教師としても大人としても、負けな気がする。

「由美子先生が素直にお話してくださるまで、僕はここを退きません!」

 まるでダダっ子のようなのに、少年の眼差しは、熱くて真剣だった。

 強く優しく追い詰められながら、由美子の瞳が熱く潤む。

「だ、だって…」

 ダメ。

 言ってはダメ。

「ア、アドレス…」

 ああ、また負けた。

「アドレス…?」

 問われながら、少年の指先て頬をとられて、必死に逸らしていた美顔を正面に向かされて、視線を交わされていた。

「ア、アドレス…交換してるんでしょ…? 女子たちと…」

 完全にヤキモチだ。

 しかも一方的すぎる。

(私のバカ! こんな。面倒くさくて情けない女なんて…)

 自分がこんなだなんて知らなかったし、嫌われてしまう。

 そう身震いする由美子に、三四郎は思い当る節を必死に探しても見つからなかったという間で、告げる。

「僕は、女子とアドレス交換なんて していませんが」

「え…だって、さっき廊下で…」

 もう止めなきゃ。

 こんな格好悪い自分。

 そう思いながらも、吐き出された感情は収まらない。

「では、先生ご自身が確認されると 良いでしよう」

 そう言いながら、少年はポケットからスマフォを取り出し、由美子に差し出す。

「え…」

「僕のスマフォは、男子の友達のアドレスくらいしか入ってません。まあ、敢えて異性といえば、祖母と母と、中学生の従姉妹くらいでしょうか。どうぞ」

 と言われても、では早速。などと差し出されたスマフォを閲覧する事なんて、出来ない。

「い、いいわよ そんな…」

「いえ、それで由美子先生の気持ちが落ち着かれて、僕への誤解が解かれるのであれば」

 負けじと差し出す三四郎に、主に自分に負けじと突っぱねる由美子。

「ぃいいって…! その…私が悪いんだし、それにあ–」

 あなたの事、信じるから。

(–何を言おうとしてるの私っ!)

 教師が生徒に言う言葉としては鑑のような名言だけど、自分たちの場合は全く意味が違うだろう。

「それに…?」

「うぐ…」

 由美子の言葉尻を聞き逃さず、むしろ言葉を呼んでいるっぽいのに、問い詰めてくる眼鏡の少年。

 しかも端正なしたり顔。

(こういうトコロがムカつくっ!)

「あ…あぁああああああああ…ぁああいう話ぃ、噂ぁ? ってぇ、女子たちは、好きだしぃ…?」

 などと無理やりに引き出した言葉は。

(何の答えにもなってないいいっ!)

 自分でも呆れるくらい、解ってしまった。

「そうですか」

 想い人の焦った失敗を楽しんで、澄まし顔でスマフォをポケットに収める少年が、ニクたらしい。

「それで、先生は僕のアドレスを、知りたいですか?」

「えっ–しっ–」

 知りたいです教えてください。

 と、まるで躾けられた犬のようにお座りで待ちそうな自分を、必死に制御。

「べべべ別に…いえ、生徒としてはっ、教師も知っておくべきじゃないかしらとか考えるけどぉ、その、誰か特別にとかは–」

(また私、余計な一言を…っ!)

 つい意地というか、年上のプライドが邪魔をして、本心ではない言葉が口を突いて出る由美子だ。

 そんな女性教師の心理が読めるのか、あるいは由美子の想いが隠せていないのか、三四郎は正直な言葉を返してきた。

「僕は、アドレスだけでなく、由美子先生の全てを知りたいです」

「え…っ!」

 どういう意味?

 と聞き返す程、子供ではない。

 ドキドキする担任教師の前で、三四郎はメモ帳に何かを書き込んで、切り離して手渡す。

「僕のアドレスです」

「え…」

 思わず反射的に、受け取ってしまっていた。

「それをどうされるかは、由美子先生の自由にしてください」

 そう言うと、三四郎は由美子を表通りまで連れ出して、恭しく挨拶をくれる。

「では先生、また、明日」

 そう言って、少年は駅の反対側へと去った。

 また明日。と、強調した言い方。

「明日…あ…」

 今日の授業で、生徒たちにノートを提出させていた。

 明日、ノートを返す時に、アドレスを教えてください。

 そういう意味なのだと、由美子は理解した。


                       ~第十六話 終わり~

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