第十五話 女子がウラヤマ
由美子と三四郎は、密かに週末デートを重ねていた。
土曜日早朝のランニングという、昭和の少女漫画でも健全過ぎて没になりそうなデートだけど、教師という立場を考えると、由美子には精いっぱいである。
しかもオニギリを食べてくれて、僅かだけど一緒にいられる時間は、幸せ以外の何モノでもなかった。
「うふふ…♡ ハっ! いけないいけない…!」
月曜日の登校時にも、うっかり気が緩むと、ニヤニヤと微笑んでしまう。
異性の生徒との逢瀬なんて、教師として許される事ではない。
とはいえ、土曜日の一時間ほど一緒に体を鍛えるだけだし、教師として生徒にご飯を食べさせるくらいなら、特に問題ともいえないのではないか。
とか考えたりもする由美子だ。
全ての根幹は、恋愛にある。
キスとかするから。
(って言うか、別に恋愛とかでは…!)
つい自己否定もしてしまう、悩める女性教師であった。
HRでも数学の授業中でも、三四郎からの視線はエンリョなし。
また、すごく見られてる。
恥ずかしいけど、もっと見て欲しい。
そんな感情で、心が熱くなってゆく。
禁止事項だと知っていても、心まではどうしようもない。
(だから私がっ、理性的にっ、頑張ってっ!)
年上の大人として、少年を傷つけたりしないように制しよう。
と思いながらも、週末が近づくと、なぜか感じる。
キス。
唇を重ねる柔らかさや暖かさが、フち過ったり。
(わ、私っ、もしかして、葵くんと また…とか…っ!)
望んでいるのだろうか。
「そ、それはダメよっ! キスとかっ–私はっ!」
「どうしたんですか~?」
「ハっ–っ!」
職員室へ向かいながらブツブツ言ってしまっていたら、女生徒たちから声を掛けられた。
「な、なんでもないのよホホホ」
軽く心配気だった女子たちは、美しい担任教師の独り言に、興味深々な様子で食いついてきた。
「由美子先生、キスしたんですか~?」
「わ~、相手は誰ですか~?」
バレる。
そんな危機感で、慌てて言い訳を考える。
「ち、違うのよっ–き、昨日ね、観た古い映画でね…っ! その、好きな男優さんと、あまり知らない女優さん だったから…」
「なんだー」
担任教師の話を、女子たちは信じたらしい。
「でも~、好きな男優さんとそうでない女優さんとかの、そういうシーンとか、ちょっとショックだよね~」
「あーわかる~。なんか~、なんでこの女優さんと~? とか、思っちゃうよね~」
(私たちの頃と同じね)
とか、微笑ましく想う由美子。
「キスって言えば~、葵くんだけど~」
「えっっ!?」
少年の名前が出て、つい食いついてしまった。
「あ、いえ、その…ががが学生同士で、そういう、話題…なのかな~って…」
女性教師の質問に、女生徒たちは楽しそうな小声で話す。
「ナイショですけど~、葵くんって、キス、大好物らしいんですよ~」
(キスが好きっ!?)
私にキスをしたのは、私への行為ではなくキスが好きだから、なの?
そんな疑問が、頭を過る。
「意外だよね~。私、味の違いなんて、全然分からないけどな~」
(キスの味の違いっ!?)
三四郎は、そんな事まで分かるのだろうか。
(キスの味って…つまり上手か下手かって話よね…私、やっぱりヘタ…よね…)
キス慣れしている様子な少年からすれば、年上だけどファーストキスだった自分とのキスとか、つまらなかったのではないか。
などと、おかしな方向へと考えてしまう担任教師。
心の幸せ風船が、急速にしぼんでゆく感覚。
「私は解るよ~♪ やっぱりフライが美味しいよ~」
「それは~、味じゃなくて 調理方法だよ~」
「フライ…?」
「先生は~、キスとアジ どっちが好きですか~?」
魚の話だったらしい。
「鱚と鯵…わ、私は、鯵かな~?」
(……良かった…)
勘違いだったと解り、心の底からホっとした。
心の幸せ風船が、またフワって大きく膨らむ。
休み時間終了のチャイムが鳴った。
「「「あ、それじゃあ由美子先生、失礼しま~す」」」
「はい」
小走りで去ってゆく女子高生たち。
「魚料理の話…ビックリしたわ」
安堵する由美子の耳に、走り去る女子たちの話が聞こえた。
「あ、私~、葵くんのアドレス 聞いちゃった~♡」
「!」
心の幸せ風船が破裂させられていた。
生徒と教師のアドレス交換は、校則として、たとえ同性同士でも原則的には禁止されている。
生徒会や部活のキャプテンなど、急用があるであろう場合は特例であり、それ以外でもし発覚したら、職員会議モノだろう。
「葵くんの…アドレス…っ!」
生徒同士や教師同士なら、問題ない。
由美子も、竹田先生や教頭先生などの、職場関係でのアドレス交換は、当然している。
しかし話は、女生徒と三四郎である。
(うっ、羨ましいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!)
週末デートをしている自分だって、アドレスとか知らないのに。
(て言うかデートじゃなくてっ–って言うか、そういう話でもなくてっ!)
少年が女子とアドレス交換しているらしい事に、心が乱される。
(何よ葵くんったらっ! 私以外の女の子と、ニヤニヤ嬉しそうにアドレス交換なんかしちゃってっ!)
そんな場面を勝手に想像してしまい、勝手に怒っている由美子だった。
HRでも授業中でも、三四郎に対して由美子は塩対応。
少年がジっと見つめていても、わざと視線を合わせなかったり。
由美子的には、さり気なくスルーしているつもりでも、想いの女性を一瞬でも長く見つめている少年からすれば。一目瞭然だ。
(ああ、私…また嫉妬してる…!)
と、自分でも解っていた。
葵くんが悪いわけじゃないのに。
「私…心が貧しいのかしら…」
と、授業後の職員室へ向かう廊下でも自省していたら、背後から声をかけられた。
「先生」
「はいっ!」
今まさに考えていた少年の声で、思わず背筋がピンとなった。
「な、なぁに…?」
嫉妬を抑え込んで、いつもの笑顔。
「なぜ不機嫌なのですか?」
バレてる。
「べ、別に…不機嫌とかじゃ…」
「先生が僕の方を意図的に見ない時は、何か僕に怒りを覚えていらっしゃる時でしょう」
「ぐ…」
小声で図星を突かれ、グゥの音も出ない、年上の女性教師。
「僕に何か問題があるのでしたら、遠慮なく指摘して下さい」
真面目な顔で、僅かにグっと近づいてくる。
「うぅ…」
強い視線で見つめられると、意識も身体もフラフラしそうだ。
もし周りに誰もいなかったら、このまま抱きすくめられても抵抗できないかもしれない。
「ほ、本当に、何でもないのよ。気に障ったら、ごめんなさいね、ホホホ」
女子とのアドレス交換に嫉妬してます。
(なんて、言える訳ないじゃない!)
教師として失格というより、年下の男子にそんな事を言うのは、女性として悔しい。
取り繕って、職員室へと駆け込んだ由美子。
「やはり、何か気にしている…」
由美子の「ホホホ」が誤魔化しの笑いだと、十分に心得ている三四郎だ。
職員室の扉を暫し見て、少年は教室へと戻って行った。
~第十五話 終わり~
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