第十四話 日課
「今日もそろそろ…あ、来た!」
土曜日の朝も早起きする事が、由美子の新しい習慣となっていた。
雨が降ってなければ、四駅も離れたこの河川敷まで、眼鏡少年がランニングでやって来る。
三四郎を部屋へ上げた翌週は、窓から恐る恐る覗いて、走ってくる姿が見えたら何だか隠れてしまった由美子。
それでも三四郎がマンションの窓を見ていると解って、さり気なく河川敷まで出迎えたり。
「お、お早~。今日もランニング? 頑張るわね」
「鍛えてますので」
少年の休憩に合わせて、スポーツドリンクなどを差し入れしたりして、暫しの歓談。
それからすぐに、由美子は土曜日、少年と一緒に朝食を摂る事になっていた。
実は三四郎を部屋に招いた時に、ほんの少しだけ後悔がある。
(マラソンで走ってきた人に、水も出さずにご飯とか…)
自分にもう少し余裕があれば、まずは冷たい麦茶でも出していただろう。
(喉カラカラで熱々ご飯とか、どこの拷問よ~っ!)
少年は文句を言わずに食べてくれたけど、大人として女性として、もう少し気遣いできる自分になりたい。
そんな思いも手伝って、由美子は土曜日の朝、オニギリとお茶を用意する習慣が身に着いていた。
「葵く~ん、お早う~!」
「ハ…由美子先生…ハ……お早うございます」
愛しい女性の挨拶に、少年は軽く息を整えてから、綺麗な挨拶をする。
明るい赤色のジャージを纏った由美子は、土曜日の為だけにこのジャージを購入していたり。
「どうする? このグラウンドを走ってから、食べる?」
「はい」
実は由美子も健康の為、土曜日は少年と一緒に河川敷のコースを軽く走っていた。
「は…はぁ…」
四駅も走ってきた少年に比して、由美子の方が、すぐに息が上がってしまう。
一緒に走ってくれる少年のペースを乱してしまってはいけないと、慌てて速度を上げて走るものの、すぐにスビートが落ちてしまう女性教師だ。
「由美子先生、そんなに急がず、ゆっくりのペースで走りましょう」
「ご、ごめんね…」
これではどちらが先生なのか解らない。
(わ、私の方が…教える立場なのに~!)
自分が情けないと、足が重くなり心も涙。
「あら、仲良いですねぇ」
「昔のワシらみたいじゃのう」
散歩中らしい近所の老夫婦が、三四郎と由美子のマラソンを、微笑ましく応援してくれている。
(む、昔のワシらって…)
カップルに見えるという事だろう。
「うふふ…」
マラソンの足も軽く、心に羽根が生える由美子である。
ノンビリしたマラソンを終えると、草の斜面に並んで腰かけて、由美子の作ったオニギリを戴く。
「「戴きます」」
部屋に上げた時、少年をお腹いっぱいにさせてしまった。
四駅走って戻るとか、家に帰って朝食とかょ考えると、満腹にさせてしまうのは申し訳ない。
なので、由美子はオニギリ一つで十分だし、少年にもオニギリ二つ程度にしていた。
本当は、もっとお腹いっぱいに食べて欲しい。
それでも、オニギリをガツガツと食べてくれる少年に、由美子はやっぱり、温かいドキドキを感じていた。
「「ご馳走様でした」」
食事が終わって少し休むと、最近は三四郎が、別の運動もし始める。
草の斜面で、頭を下側にして仰向けになると、由美子が足に跨って、三四郎は腹筋を開始。
「一…二…三…」
真面目な表情で、身体を鍛える少年。
腹筋は、いつも百回以上は余裕でこなす。
正面から見ていると、なんだか逞しくて、嬉しくなってくる。
ちなみに、由美子も腹筋を試したけれど、十回も出来なかった。
「百五十…」
「新記録ね」
「はい、ハ…それじゃあ、次を」
「はい」
一息ついた三四郎が伏せると、お尻の上に由美子が跨る、腕立て伏せだ。
「…一! …二! …三!」
腕立てを始めた時は、流石に女性を乗せてなんて無理だろうと思っていたけれど、アっという間に二十回はこなせるようになっていた。
鍛えるほど、身体能力が上がって行く。
(…男子高校生って、凄いなぁ…)
なんというか、平均的に女性の方が体力に遅れるのも、仕方がないと感じる。
そして、こういう男子に好意を寄せられる事に、逞しさを見せられる事に、不思議な安心感を感じてしまう。
(…女の本能なのかしら…?)
お尻の下に感じる少年の筋肉が、力む度にうごめいて、力強さを実感させる。
(な、なんだか…)
Hな感じだ。
「先生」
「ははいっ!」
セクシーな妄想がバレたのかと驚いて、今日の少年は五十回の腕立てをこなしたと理解した。
それにしても。
(あ、葵くんは…何も感じていないのかしら…)
腹筋でも腕立てでも、ジャージ越しとはいえ、二人の身体が密着している。
筋肉の動きだけでなく、運動で上がる体温や汗の湿気など、まるで肌そのものを合わせているかのように、感じ取れてしまう状態だ。
なのに目の前の眼鏡男子は、まるでレディコミの俺様キャラの如く平静を装い、かつ少年漫画で聞く男子のような性的興奮は、感じていない様子だ。
(まるで、私だけがHみたいじゃない…)
とか思うと、涼しい顔の少年が、少し腹立たしい。
「? 由美子先生、どうかしましたか?」
「え、あ、ううん。なんでもないわホホホ」
私にドキドキしないの?
(なんて訊けるわけないじゃない!)
由美子は赤面する美顔を逸らして。誤魔化した。
三四郎的には「もし劣情を催している事がバレて嫌われてしまったら」と想うと、実は理性を総動員して忍耐しているのだけれど、頑強な理性が功を奏しているのである。
想いの女性と密着をして、身体も理性も高ぶってしまう。
女性の肌の優しい暖かさと、包み込むような柔らかさを、ジャージ越しとしいえ三四郎は、由美子で初めて教えられていた。
先生の肌は柔らかくて暖かくて素敵です。
なんて、当たり前だけど言えるはずもない。
それでも、土曜日は由美子が待ってくれていると思うと、由美子の手料理を食べられると思うと、それが二人切りの秘密だと思うと、嬉しくて絶叫したくなる。
それは実は、二人とも一緒であった。
「それでは、僕はそろそろ戻ります」
「うん。また月曜日に、学校でね」
「はい。それでは 失礼いたします」
相変わらずの綺麗な礼をくれて、少年は四駅の距離を走って戻る。
腕立てや腹筋を手伝ったからか、少年の後ろ姿がいつもより逞しく見える気がした。
「ま、まあ…受け持ち生徒の健康管理の手伝いをするのは、教師として悪い事じゃないわよね。きっと たぶん…うん」
三四郎と会って話して、運動してご飯を食べて。
それはデートだ。
と自分でも解っているから、由美子は誰ともなしに、言い訳をしてしまう。
「わ、私もシャワー、浴びようかしら」
少年の後ろ姿が見えなくなってから、由美子も部屋へと戻っていった。
~第十四話 終わり~
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