第十三話 手作り召しませ


「あ、上がる…わよね…」

 ツバメハイツは三階建てのアパートで、由美子の部屋は二階の真ん中あたり、二〇三号室。

「無論です。むしろ由美子先生にお招きいただいて、僕が断る理由など皆無です」

「そ、そぅよね…」

 誘ったのは自分だし、今更やっぱりダメとか、言いづらい。

(と、とにかく…妙な雰囲気に、ならないように…っ!)

 震える指で鍵を開けながら、以前に想像してしまった、唇以外も奪われる光景が、頭を過る。

(そ、そんな事にはっ、絶対に、ならないように…っ!)

 密かな決意で、身を固くしてしまう。

「由美子先生…?」

「はいいっ–な、なんでもないわホホホ」

(ハっ–そういえば、部屋っ、散らかってなかったっけ…?)

 そう考えるとそうだったような気がして、由美子は自分が入れるくらいに細く扉を開けると、ネコのように素早く身体を玄関へと滑り込ませて、少年に告げる。

「ちょっ、ちょっと待っててっ–五分っ–十分だけ!」

 そう言って、急いで靴を脱いで室内へ駆け上がり、キッチンや寝室に散らばっている雑誌などを、まとめて収納へと放り込んだ。

「い、いいですよ~」

 玄関を開けて少年を招き入れると、三四郎は綺麗な礼で挨拶をした。

「失礼いたします」

 そのまま、三四郎の行く手を思わず遮る由美子。

「………キ、キスとかしてきたら、すぐに追い出すんだから…!」

「承知しているつもりです。とても残念ではありますが」

「残念じゃない!」

(キスとか、もっとする気まんまんじゃない!)

 と心の中で憤慨しながら、スリッパを用意した。


「オジャマいたします」

「ち、散らかってるけど、適当に座ってて」

 リビングに通して、座布団に座って待ってて貰う。

「とにかく、朝ごはん…何にしようかしら…」

 来客とか考えてなかったし、休日の今日は炊事も怠けるつもりだったから、手の込んだ料理とか、時間も材料もない。

 炊飯時に造ったオカズは、冷蔵庫に残っていた市販の卵焼きとか漬物であり、お客様に出せるメニューではない。

 冷蔵庫に買い置きの冷凍食品があったので、それで何か出来ないだろうか。

「冷凍の唐揚げと、お味噌汁と…サラダかな」

 メニューを纏めて、フと考える。

(…男子高校生って、どのくらい食べるのかしら…?)

 大学時代だって、誰か一人の男性の為に食事とか、作った経験など無し。

(き、訊いてみようかな…?)

 と思ってリビングを除いたら、少年は背筋を伸ばした正座姿勢で、身じろぎもせず。

 部屋の中、じろじろと観察されちゃうかな。

 とか恥ずかしい想像もしていたけれど、そんな様子はない。

 とはいえ。

(……すっごい素直で根性だわ…)

 少年は「想いの女性教師の部屋に興味津々だけどジロジロ見廻すのは失礼だからガマンしているけど見たくて仕方がない」という、ソワソワした感じまでは隠せていなかった。

 ある意味で予想通り、紳士な少年だ。

 イジワルするのも気が引けて、由美子はキッチンから声を掛けた。

「葵くーん、いっぱい食べる方~?」

「は、はいっ!」

 声を掛けられて慌てた様子が、何だか可愛い。

「ふふ…♪」

 緊張が少し、薄らいでいた。


 ご飯が炊けて、お味噌汁も出来て、唐揚げとサラダをお皿に盛り付ける。

 食事は、キッチンの方が食べやすいだろう。

「出来ましたよ~。いらっしゃい」

「は、はい!」

 軽く緊張しながらキッチンへとやって来た少年は、テーブルの上に並んだ朝食のメニューに、軽い感動を覚えている様子だった。

「おぉ…」

 唐揚げやみそ汁からは美味しい香りの湯気が立ち、サラダは朝日を浴びてキラキラシャキシャキしている。

「さ、座って」

「は、はい」

 椅子に少年を座らせると、女性用の小さな茶碗にご飯をよそう。

「小さいお椀しかなくて、ごめんね」

「い、いぇ…」

 女性用の茶碗とか、母親しか使わないであろう、三四郎の家族構成。

 親戚以外で、他人の女性が使う茶碗を見たのも触れたのも、初めてらしい。

 高身長な少年の掌の中で、ご飯を盛られた小さな茶碗は、由美子から見ても「誰かと一緒にいる」と、ストレートな実感をさせていた。

 由美子もご飯をよそうと、一緒に食事。

「そ、それじゃあ、戴きます」

「戴きます」

 両手を合わせて、三四郎が大きな唐揚げに箸を伸ばす。

(あ、葵くん…美味しいかな…?)

 市販の冷凍食品だから美味しいし心配ないけれど、気になる。

「んむ…はぐはぐ」

 唐揚げを一口で食べきると、ご飯を掻き込む。

(へぇ…意外とワイルドな感じに食べるのね…)

 もっと上品な感じを想像していたから、予想外だ。

 茶碗が小さかったからか、三四郎はご飯を二口ほどで食べきってしまう。

「あ、おかわりする?」

「あ、はい。では、戴きます」

 サラダもガッツリ食べて、みそ汁もゴクゴク戴く。

 熱くないのかしら。

 とか思いつつ。

(男の子って、本当にガツガツ食べるのね~…)

 食事というより、飯。

 戴くというより、食う。

 みたいな。

 女子会だとおつまみの方がメインだし、大学時代の飲み会でも食事はほとんど記憶にない。

 目の前でこんなに食べて貰えると、何だかホっとするというか、ホ~っと見惚れてしまうというか。

 食事も忘れて魅入ってしまっている女性教師の視線に無言で耐えていた三四郎だけど、やはり、居ても立ってもいられなくなる。

「ゆ、由美子先生…食が進まない様子ですが…」

「え、あ…い、戴きます…」

 二人は無言のまま、朝食を終えた。


「あら、そんなのいいのに」

「このくらいは、やらせてください」

 食事が終わると、三四郎は由美子の分も一緒に、食器を洗っていた。

 家庭環境で、身に着いている習慣なのだろう。

(それにしても…)

 どう見たって、少年に対してシンクが低くて小さい。

 腰も曲げて、頭上の棚にも頭をぶつけないよう、注意が必要だろう。

 洗い物も終わって。

(それで…ど、どうやって葵くんを 送り出そうかしら…)

 レディコミのように「デザートは先生」とか言われても、どうスルーして良いのか解らない、恋愛経験値が乏しい由美子だ。

「それでは、失礼いたします」

「えっ–あ、はい」

 アッサリと玄関へ向かう少年に、ホっとしたような、肩透かしをくらったような、妙な気持ち。

 それに、気になる事もある。

 私のご飯、美味しかったかしら。

 食べている間も食べた後も、何も言ってくれなかった。

(も、もしかして…すぐに帰ろうとしてるのって…ご飯が美味しくなかったから…っ!?)

 とか、余計な事まで考えてしまう。

 玄関で靴を履いて、三四郎は扉の外へ。

「由美子先生、ご馳走様でした」

「う、うん。また月曜日に、学校でね…」

 由美子のトーンに、三四郎なりに感じたのか。

「つい、その…食べ過ぎてしまいました」

「!」

 そう言った少年の頬が、恥ずかしそうに染まっている。

「では、失礼いたします」

 慌てたように、少年はランニングをしながら帰って行く。

 アパートの入り口で見えなくなるまで見送って、由美子は自室に戻った。

「ふぅ…美味しかった…って意味よね♪」

 嬉しい。

 心がフワフワとむやみに上向きとなって、やる気がみるみる湧いてくる。

 ご飯を作って人に食べてもらう事が、こんなに嬉しいなんて、初めて知った。

 鼻歌交じりでジャーを開けると、ご飯は空っぽ。

 今日一日分のつもりで炊いたご飯だったけど。

「男の子って、食べるのね~。ふふ…」

 それも嬉しい由美子だった。


                       ~第十三話 終わり~

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