第十一話 いちご味


「座って」

生徒指導室では基本的に、窓のカーテンは開けておく事が通例だ。

 午後の日差しが強くなり始めている季節では、程好い暖房効果になっていた。

 眼鏡男子とテーブルを挟んで向き合い腰かける担任教師は、少し逡巡しながらも、思い切って訊ねてみた。

「それで?」

「はい?」

 なぜ「それで?」なのか本当にわからん。という顔の三四郎に、由美子は突っ込む。

「ここ何日か、何か不機嫌じゃない? 何かあったの?」

 何かあったといっても、成績の事ではないであろう事は、火を見るより明らかな秀才少年である。

 友達関係で悩んでいる可能性もあるけれど、そんな気はしない。

(まあ、そうだったとしたら…訊いておいて私の答とか、ないんだけど…)

 それでも、力になりたい。

 とにかく、気になる。

 教師の職賢覧用かもと自覚しながら、由美子は少年の解答を待つ。

「そ、それは…」

(あら 珍しい…)

 いつもハッキリとしている少年が、なんとも端切れの悪い。

(やっぱり何かある!)

 自分が力になれるなら、なりたい。

(きょ、教師としてね…っ!)

 自分に言い聞かせながら、また黙ってしまった三四郎に、もっと踏み込んでみる。

「なあに? 私の授業とかに非があるなら反省するから、ハッキリ言って」

「ぃえ、あの…先生には、何の責任も、ありません…むしろその…僕が悪いと 言いますか…」

 ハっと気づく。

(いま、先生って言ってた…)

 二人きりだといつも「由美子先生」とか名前呼びしているのに、今は普通に「先生」と呼んだ。

(絶っっ対っ、おかしいっ!)

 しかも後ろめたい事っぽいと確信。

 そんなに言いづらい事なのかしら。

 と考えて、ハっとなる。

(まさか…ラブレターとか関係なく…私に飽きちゃった…とか…!)

 そう考えると恐ろしいけれど、しかしこの間の今日で、三四郎の決意を疑うのも、申し訳ない気もする。

(うぅ~っ、気になるよ~っ!)

 自分にも関係している事は確実のようだし、真綿で心を締め付けられるような状態は、もう嫌だ。

「だったらなあに? あなたがそんなムスっとしていると、私っ、気になって仕方がないのよっ! 悪い処があったら直すから、お願いだから言って!」

 まるで足下に縋る女のような文言を吐いてしまっている自分に気づかないまま、由美子は少年の顔を真っ直ぐに見つめる。

「ぅ…」

 美しい女性教師の真剣な眼差しに、眼鏡少年の頬が朱く染まる。

 想い女性の本気な眼差しに、三四郎は、恥を告白する覚悟を決めるしかなかった。

「その…先生には、全く落ち度のない話で その…僕の情けなさ…と 言いますか…」

「?」

 要領を得ない物言いに、由美子の眉はキビしいままだ。

 そんな怒りフェイスも美しくて戸惑いながら、三四郎は恥の告白を続ける。

「ここ何日かで、あらためて認識したのですが、その…解っていた事なのですが…せ、先生は…人気があるのだな、と…」

 バツが悪そうに恥ずかしそうに、俯いたまま、そう言ってまた黙ってしまった。

「…?」

 由美子が生徒たちに人気があるかはともかく、挨拶はたくさん交わすようになった。

 男子たちの中には「愛してるよー」と、親しい挨拶をくれる男子もいる。

「私がみんなと挨拶をしたら いけない–」

(っ!)

 と口にして、ハっとなる。

(……ま、まさかとは 思うけど…)

 他の男子と挨拶をするのが気になる。

 ふざけた感じで「愛してる」とか言われて、たとえそれを由美子がサラっと受け流していても、心がザワザワする。

 それは。

(も、もしかして…葵くん…)

 ヤキモチ。

 そう考えると、不機嫌の理由やハッキリしない物言いも、なんとなく合致する。

(で、でもまさか…!)

 葵くんかが私にヤキモチを灼いているなんた。

 驚きと喜びが、心の中で目一杯以上に、溢れてしまった。

「あ、あの…ぁ葵くん、それってつまり…ヤ、ヤキモ チ…?」

 心臓がドキドキと高鳴って、全身が汗ばむ。

 もし勘違いだったら、恥ずかしくて死んでしまいそう。

 それでも、確かめたくて仕方が無かった。

 恐る恐る、窺うように尋ねたら、三四郎はビクっとなった。

「ぅっ…そ、その…これが、そういう感情 なのでしたら…きっと…はぃ…」

 歯切れが悪いまま、三四郎は認めるしかなかったようだ。

 由美子は驚愕していた。

 葵くんが、私に嫉妬してくれている。

 それって、独占欲って事なのよね。

 私みたいに。

 ラブレターの一件で地獄の底を彷徨った自分だから、嫉妬の気持ちがよく解る。

 だからこそ、ヤキモチを灼く少年が、これまでにない程、愛おしくて堪らない。

 胸の奥がキュウン…と締め付けられる感じが、強くする。

「な、なによもぅ…っ!」

 自分から回答を引き出しておいて、恥ずかしくて嬉しくて混乱している。

「す、すみません…!」

 しかも謝ってくる。

 こんな弱々しい三四郎、初めてだ。

 可愛い。

 心の奥から、そんな感情が溢れて止まらない。

 今すぐにでもテーブルを超えて、顔を近づけたくて仕方がなかった。

 窓のカーテンが開いていた事は、逆に幸いだったろう。

「もぅ…子供みたいな事言って…」

「はぃ…」

 由美子の言葉が、まるで年上の恋人そのものだと、お互いに気づく余裕もない。

 俯いて羞恥する少年を、抱きしめて、サッパリサラサラの髪をクシャクシャして、額や頬にキスの雨を降らせたい。

 (ダメよ由美子っ…! 窓から誰か見ていたら…っ!)

 なんでカーテンを閉めておかなかったのか。とか、実に教師としてあるまじき自己叱咤な由美子だ。

 それでも、何かしてあげたい。

 由美子は頭と心を巡らせて、この大きな子供を安心させてあげたかった。

 テーブルを挟んだまま、由美子は立ち上がる。

「葵くん、そのまま 目を閉じて…」

「は、はい…」

 言われるままに、少年は背筋を伸ばして、目を閉じる。

 瞼に力が入っている様子を見るに、キスを期待はているのかもしれない。

(…葵くん、こんな顔してたんだ…)

 いつもの圧と熱の視線では落ち着いて見られなかった少年の顔を、初めてジっと見つめている気がする。

 意外と眉がシッカリしていて、まつ毛も長い。

 鼻筋も高くて眼鏡が似合っていて、唇も男子らしく引き締まっていた。

(………)

 少年の顔を見つめていると、キスした事を意識してしまい、由美子の唇も熱を帯びてくる。

(…そうじゃなくて…っ!)

 自分のドキドキを押さえながら、由美子は上着のポケットに収めていた小袋を手にして探り、キャンディーの小さな包みを取り出した。

 開封して、黙って目を閉じている少年の口に一粒、放り込む。

「んむ…んん…」

 キスではなくキャンディーだと解って、少年は僅かに驚いたように、そして残念だという本音を隠すように、口の中でキャンディーを転がす。

「あ、飴…」

「そうよ~。なんだと思ったの?」

「い、いえ…」

 恥ずかしがっている。

 なんだか初めて、少年から一本取ったような気分だ。

「さ、今日はもう 帰りなさい」

「はい…」

 帰宅の命に、三四郎は大人しく従いながら、まだ納得しきれていない様子でもあった。

 生徒指導室から、男子生徒を先に退室させながら、少年の背中から小声で告げる。

「教師からキャンディー貰ったとか、誰かに話しちゃ ダメだからね…!」

「…! 由美子先生…」

 思わず振り返る少年の声色から、気持ちが晴れて行く様子が解る。

 由美子は美顔を伏せたまま、生徒指導室に鍵を掛けると、無言で職員室へと戻った。

 想像以上に、頬が真っ赤になっている自分を、見られたら恥ずかしかったからだ。


                     ~第十一話 終わり~

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