第八話 やっぱりモテモテじゃない!
世界が真っ逆さまになった気がして、しかもモノクロになった様な気さえして、由美子の足がカクカクと震える。
誰あの娘?
何で勝手にラブレターとか渡してるのよっ!
いや学生だったら微笑ましい青春の一ページ。
でも葵くんに手を出すなんて!
あの娘可愛いし、葵くんもまんざらではないのでは?
っていうか、学生同士だしむしろお似合い?
いやだって葵くんは私の–。
色々な思いが頭を過り、真っ黒になったり真っ白になったり。
無意識にも、二人から身を隠してしまう由美子だ。
「…………そ、そぅよ ね……」
暫くして、頭が少し落ち着いてくると、女性としての自分ではなく、教師としての自分が頭をもたげて来た。
(あ、葵くん…入試満点とか、知ってる生徒は知ってても、おかしくないわよね…)
それに背が高いし眼鏡男子だし体格も良いし格好も良いし運動できるし。
それでも。
(でも何よーっ! 私に勝手にキスしたクセにーっ! 若い女の子からラブレター貰ってデレデレしちゃってっ! 私のこと、好きなんじゃなかったのーっ!? 好き好き詐欺とか、何なのよーっ!)
勝手な妄想でムカムカしてしまった。
職員室でも、溜息しか出ない。
「はぁ……」
とはいえ、登校時よりは頭の中が落ち着きつつあった。
(冷静に考えれば、学生同士の恋愛が一番正しいのよね…。先輩たちにだって、学生の一時の憧れを本気に受け止め過ぎるなって、忠告されてたし…)
キスをしてきたのは若気の至りだとして、教職に就く者が騒ぎ立てて良いものではないだろう。
と、教師なりたての由美子が、自分なりに心の着地点を探しつつ。
(そ、そもそも…葵くんがラブレターの相手と付き合うとか、決まったわけでもないじゃない)
とか、教師失格な希望も抱いてしまう。
「ハっ–べべ別に、そういう期待をしているとかじゃなくってっ–私は担任として教師としてっ、学生を正しく導く責任がっ–」
と、思わず声に出ていたら、隣の席の初老男性教師が訊ねてきた。
「? 松坂先生、どうかされましたか?」
「ぃいえっ–そのっ、学生の悩みとか、私たちの頃とあんまり、変わらないものなんだなーと…!」
「ははは、まあそうでしようね。色々なツールや環境は進歩してますが、人と言う生物自体が精神的に進化したわけでも ありませんからな」
と、生物教師らしい視点で納得をしてくれた。
「で、ですよねー…ほほほ」
(そうよ。どうせ教室に行ったら、また葵くんがいつも通り、熱の視線でみつめてくるんだから…っ!)
と、自分を励ますような呆れる態度で、由美子は自身を落ち着かせた。
そしてHR。
「起立」
クラス委員長の号令で、生徒たちが礼をする。
「「「お早うございます」」」
「はい、お早うございます」
礼を返しながら、目の前の眼鏡少年をチラと見ると。
「!」
少年は、冷静に礼をくれただけで、特に熱視線を送ってくる事はなかった。
(ま、まさか…っ!)
やはり、ラブレターの彼女の影響だろうか。
一時間目の、数学の授業が始まっても、三四郎の視線は変わらない。
授業に集中する鋭い眼光はいつも通りだけど、由美子だけに注がれていた恋愛的な熱視線は、全くと言って良いほど、感じられない。
「そ、それでは…今日は、ここまで…」
(もしかして…)
チャイムが鳴って授業が終わると、普通に礼をして、お終い。
終業のHRの時も、いつもの真面目な視線は向けられているものの、やはり由美子の身体を熱くさせる視線ではない。
(やっぱり…)
三四郎の興味が自分から薄れて行く感覚がして、由美子は自分でも認識できない程の動揺を、し始めていた。
私、振られちゃうの?
(ぃやいやっ、まだお付き合いとかしてないしっ! っていうか「まだ」とかじゃなくてっ!)
まだ解らない。
そう自分に言い聞かせながら、由美子はいつしか、三四郎の熱視線を待ってしまっていた。
そんな状態が三日ほど続いた、ある日の放課後。
「はぁ…これから小テストの採点かぁ…」
全教科の小テストも終わり、教師たちには採点の苦行が待っている。
職員室へと向かう由美子は、校舎裏へと歩く三四郎の姿を見かけて。
(…どこに行くのかしら…)
「そもそも校舎裏なんて…ハっ!」
ふいに、先日のラブレター少女が頭を過る。
まさか密会?
私を放っておいて!
もう何日も三四郎の熱視線を貰っていない由美子は、ついコッソリと、後をつけてしまう。
そして、校舎裏で目撃をしたのは。
「あの、葵くん…」
頬を染める、あのラブレターの美少女だった。
「!」
まさに密会現場だ。
由美子はまた、思わず隠れてしまった。
少女は恥ずかしそうに三四郎の前に立ち、三四郎は堂々と直立している。
こんな人のいない場所で合うなんて。
胸が苦しい。
鉄の爪でギュっと握られたように、ズキズキと痛い。
(い、いぃえ…もしかしたら、何か違う用事とか…!)
仄かな期待を込めて、思い切ってまた、チラと覗いたら。
「では、駅前のファストフード店に、行きましょうか」
「は、はい…」
三四郎が、少女をエスコートしていた。
(放課後デートっ!)
入試満点の秀才一年生に新聞部のインタビューとか、そんなアクロバティック展開も期待していた。
しかし、二人で駅前とか、どう考えたってラブレターのお断りなどではない。
終わった。
まだ始まったわけじゃないけど終わった。
見上げる空が、滲んで揺れていた。
アパートの自室で、由美子はシーツで丸まっていた。
床に座って頭からシーツを被り、明かりも着けずに暗闇で膝を抱える。
(……私、もう いらないんだわ…)
初登校の朝にファーストキスを奪われて、それから毎日のようにアプローチをされ、心が色々と忙しかった。
(あんなに熱烈だったクセに…)
それがアッサリ、ラブレター一つで気持ちが離れていってしまった。
(何よ…)
そもそも自分は教師だし、学生同士の恋愛が一番なのは、解ってる。
こんな事で沈んでいる自分の方が間違っているのだと、教師としての自分を叱咤したり。
しかし由美子としては、納得なんて出来ない。
「何が恋愛よーっ! アイツっ、私のこと本気とか言ってたくせにーっ! 結局は若い女の子の方がいいんじゃないよーっ! もう私なんてっ、教師じゃなくて今日死しちゃうわよーっ!」
女今日死とか女狂死とか、バカな自虐言葉ばかりが頭を過ったり。
でも。
自分だって、冷たかったのかな。
「だけど…うぅ…。三四郎くんの バカ…」
無意識に名前で呼んでしまった自分に、由美子は気づいていなかった。
よく晴れた翌日。
一晩中泣いていた由美子は、心もお肌もボロボロな有様で、それでも教師として引きずるわけにもゆかず、頑張って登校をした。
「……ひどい顔だけど…」
泣いたくらいでスッキリするなら、一万年だって泣き続ける自信がある。
由美子の心は、泣いた分だけ三四郎で占められてしまっていた。
まるで、出口の無い地獄を彷徨い続けるかのような気持ち。
昨夜、小テストの採点だけは頑張って終えたのに、その記憶もマチマチ。
それは、何より由美子が恐れている事態が、これから待ち構えているであろう事にも、起因していた。
三四郎に彼女が出来た。
という事は。
(葵くんが…二股をかけるような男子では…決して無い…っ!)
つまり、この先に待っている事は。
だから由美子は、三四郎に会いたくないと、昨日から必死に藻掻き続けてもいた。
ボロボロなお肌を何とか誤魔化した化粧を、今一度チェックして、職員用の玄関でスリッパに履き替えていたら。
「お早うございます」
「!」
背後から、ひどく懐かしい声が聞こえて来た。
同時に、出来るだけ先延ばしにしたかった、対面の瞬間。
それが選りにも選って、朝一で先方から待ち構えていたのだ。
心の奥では話しかけられた事が嬉しくて、思わず素早く振り返ってしまうと、いつも通りの堂々とした正しい姿勢の眼鏡少年、三四郎が立っている。
「…ぁ…ぉ…」
心の中の由美子全員が右往左往の大騒ぎをして、返すべき挨拶が出てこない。
逃げ出したいのに、声を聞いたら足が動かなくなる。
その、最も大きな要因は、少年の視線にあった。
熱い。
ラブレターの一件以来、ずっと遠ざかっていた、恋愛の熱と圧を隠さない視線。
「お早うございます。由美子先生」
「はっはいっ–ぉおはよう、ございます…っ!」
返事を促す、グイと端正な顔を遠慮なく寄せてくるそんな行為も、心の奥まで染み込んできていた。
~第八話 終わり~
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