第六話 少年の検査結果
視聴覚室の前で、由美子は女生徒たちを誘導する。
「それじゃあ、ここの次は理科室で身体測定があるから、聴力の検査が終わった女子から順に、理科室へ向かってください。後は、更衣室で着替えて終わりです」
「「「は~い」」」
女子たちの検査が進んで、廊下に並んでいた生徒たちもみな、視聴覚室へと入室。
「最後の子が終わったら、私も理科室に向かわなきゃ–」
「先生」
「きゃっ!」
考え事をしていたら、意外と近くの背後から、声を掛けられた。
聞き間違えようのない男子生徒の声に、慌てて振り返る。
「あ、葵くんっ!」
「こんなところで一人ポツンと、休憩中ですか?」
言いながら、周囲をキョロキョロする三四郎。
(ま、またからかって!)
「違います! 女子たちの検査が終わるのを、待っているんです!」
からかわれた事よりも、ドキっとさせられた悔しさに焦ってしまい、つい言葉が強くなってしまった。
「? 何やらご機嫌斜めのご様子ですが、どうかされたのですか?」
「な、何でもない…近いってば!」
端正な眼鏡フェイスが斜め上からグっと近づけられて、つい視線を逸らしてしまう。
(な、なんでドキドキしてるのよ私っ!)
三四郎のペースに飲まれてはダメだ。
(なんて言ったって、女子たちにモテモテの遊び人なんだからっ!)
自分の想像なのに、決定事項みたいになっている。
由美子は焦る気持ちとドキドキがバレないよう、落ち着き払った大人の演技で対抗をした。
「コホん…それで、何か用かしら?」
「はい。これを見てください」
そう言って目の前に見せられたのは、三四郎の身体検査表である。
「? これがどうしたの?」
と言いつつ受け取ってしまって、隅々まで見てしまう。
(身長…昨日言っていたよりもまた五ミリくらい高いわ。視力は眼鏡だし…それでもまだ良い方かしら。ざ、座高低いっ! なんて足長っ! 虫歯も無し、聴力良し!)
無意識に、三四郎の事は何でも知りたいとばかりに、検査表へと美顔を近づけて凝視する由美子だ。
「如何でしょう?」
問われて我に返って、慌てて取り繕う。
「ま、まぁ…なかなか素晴らしいと思うわ…コホん。でも、わざわざ私に見せに来るなんて、これがどうかしたの?」
少年の健康状態を教えられて、特に気にしていたわけどはないけれど、ちょっと嬉しい自分がいる。
そんなのバレたくない。
なので、いかにも先生という感じで対応した由美子に、三四郎は告げる。
「はい。先生は知りたいと思いましたので」
「なんでよっ!」
無自覚というかむしろ意識的に無自覚にしておきたい部分を言い当たられたみたいで、つい大声になってしまった。
「知りたくないですか?」
「知りたくっ–いえ、そういう事じゃなくって…っ!」
生徒の事だから知りたくないと言えば冷たい教師みたいだし、知りたいと言えば男子として意識していると捉えられてしまいそうな感じの問答だ。
「じょ、女子だけでなくて、男子の検査結果もっ、教師としてっ、後でチェックします! だからわざわざ、教えてくれなくても大丈夫ですっ!」
よし、教師として悪くない答。
と安心する由美子の美顔を、三四郎は黙って真面目に見つめている。
「……な、何よ…」
「由美子先生。古人曰く『人生とは一生の勉強である』との、昔からの格言は真実なのだと、今あらためて実感しました」
「?」
三四郎は、嘘もからかいもない真面目な視線で、告げる。
「美しい女性の怒った顔は由美子先生をして初めて見ましたけれど、怒っていても美しいのだと、納得いたしました」
「–っ!」
言われた瞬間、顔どころか、うなじまで真っ赤になっていると自覚出来てしまえる程、全身が熱を帯びた。
(こっ、この男わああっ!)
面と向かって美しいとか言う男性なんて、父親か遊び人か結婚詐欺師くらいだろう。
あとは恋人。
「そっ、そうやってってっ、じょじょ女性をっ、からからからかってっ–」
恥ずかしくて強く言いながらも、顔がニヤけてしまいそうで、必死に怖い顔を頑張る。
「? 僕がですか? 由美子先生をからかっていると?」
由美子のカミカミな言葉を一言で理解した三四郎は、素でキョトンとしていた。
ああ、こんな顔も可愛いし格好良い。
とか思ってしまった自分に、また頭にくる。
「だっ、だってそうでしょう! 葵くんはモテモテだったでしようし、女の子にも慣れているんでしょうけどっ、私は–」
モテてたわけではないとか言いそうになって、慌てて口をつぐむ。
そんな言葉尻すらも、三四郎の興味は、聞き逃したりなどしないらしい。
「私は…? なんですか?」
「いゃ…その~…」
聞き逃してよ!
真っ赤になって美顔を逸らす女性教師に、高身長な眼鏡少年は、高い位置から見下ろすような視線だ。
「僕がモテモテだとか、どんな誤情報を耳にされたのですか? 僕は昨日までの人生で、一度たりとも家族親戚ではない女性と親しく接した事など、ありません」
「そんなワケっ–って言うか、昨日とか言ってるし!」
一方的にキスした事を、親しくしたなどと、平気で本気で言っている。
「もしや由美子先生は、僕が中学生の頃、女生徒にモテていた。などと想像されていたのですか?」
「そ、そんなこと–っ!」
ズバリを問われて、妄想がバレてしまったのかと焦った。
案の定、みたいな勝手な納得をした様子の男子生徒は、目を閉じて少し間を置くと、まるで小さな子供を諭すみたいに、ゆっくりと話して聞かせてきた。
「同じ中学出身の、C組の中村とかに聞いていただければわかると思いますが…僕は小学校でも中学校でも、女子と付き合ったどころか、運動会などのイベント以外では、女子と手を繋いだ事すらありません。当時は…と言うか由美子先生に出会うまで、女性には全く興味が無かったですし」
嘘を言っている目ではないと、心が納得をしてしまう。
「で、でも…バレンタインとか…あるじゃない」
出会う前のチョコ話とか、私、面倒くさい女っ!?
自分でも驚いてしまい、つい焦ってしまった。
「あ、あの…」
嫌われてしまう。
心の奥でそんな意識が走り、三四郎に視線を向ける。
由美子の心の言葉を聞いたのか、三四郎は伺うように覗き込んで来た。
「それは…由美子先生にとって大切な話…と認識して宜しいですか?」
「ちっ違うのそのっ–ぃ今のは忘れてっ!」
恥ずかしくて情けなくて、真っ赤になった美顔を、つい伏せさせてしまう。
「先生にヤキモチを灼いて貰えるなんて、嬉しいです!」
「だ、だからっ–」
思わず見上げたら、少年は頬が上気して、嬉しそうに微笑んでいた。
可愛い。
理不尽なヤキモチを、受け止めてくれている。
胸の奥が、キュウ…と切なくされていた。
ここは学校の廊下で、視聴覚室の前で、中には女子たちがいる。
もし二人切りだったら、高い位置の黒髪へと、触れてしまっていたかもしれない。
「ヤ、ヤキモチ なんかじゃ…」
再び美顔を逸らす女性教師に、少年は告げる。
「子供の頃から、たしかにチョコレートは貰ってました。でもそれがどういう意味なのかも知ってましたから、全て、家族に分けてました。ですが…」
「……?」
少し逡巡をしたようにも感じられて、三四郎は真っ直ぐに由美子を見つめながら、本音を話す。
「由美子先生のチョコレートでしたら、誰にも、一欠片も渡さず、全て大切に戴きます」
チョコを欲しいと言われて、返す言葉が浮かばない。
バレンタインデーのチョコレート。
「ま、まだ…春だわ…」
ようやく、それだけ返せた。
「そうですね。ですから僕は、今年一年 楽しみにして過ごせます」
そう勝手に納得をすると、三四郎は綺麗に一例をして、教室へと戻っていった。
「……はぁ…」
少年が去った廊下を、立ち尽くして見つめてしまう由美子。
「…っていうか、いつの間にか『由美子先生』とか呼んでる…」
「…先生…?」
「ハっ–はいっ!」
後ろから、検査を終えた女子が声をかけてきていた。
ボ~っとしている由美子を心配した様子だ。
「どうかしたんですか?」
「う、ううん。えっと…検査は、あなたで最後でしたっけ?」
「いえ、まだ五人くらい…」
「そ、そうだったわね。あはは、ダメねボンヤリしちゃって」
笑顔で誤魔化す由美子に、女生徒も「?」顔だった。
~第六話 終わり~
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