第五話 身体検査


 一年生の順番が巡って来て、B組以外はA組からD組まで全クラスが移動済みだと、竹田先輩に催促をされた。

「み、みなさん急いで移動して下さい! 女子は女子更衣室で、男子は教室で着替えて下さい!」

「「「は~い」」」

 生徒たちは移動して着替えて、男子たちは講堂で、女子たちは保健室や視聴覚室などで、身体検査を受ける事になっていた。

 一年生の男子たちは、竹田先生と男性の体育教師が先導をして、女子たちは由美子や女性の体育教師が引率をする。

「はいB組男子ー、急いで急いで~!」

「「「へ~い」」」

 男子の扱いに慣れている竹田先生に急かされて、男子たちは講堂まで走らされた。

「それじゃあ、女子のみんなは保健室から…ああ、少し遅れちゃったから、リスニング室の方から廻ります!」

 体育着に着替えた女生徒たちを引き連れて、校舎二階のリスニングルームへ。

「はい。ここが先頭ね。順番に、視力検査からねー」

 女性の体育教師がテキパキと進行して、新任の由美子は見て学ぶ。

「お、遅れてしまってすみません。山頭(やまがしら)先生…!」

「あはは、まあいいから。今日は初仕事みたいなものなんだから、失敗は忘れず、それ以外は見て覚えなさい」

 と、体育の先輩教師は笑ってくれた。

 順番に、視力や肺活量などを検査する女子たちを、見るともなしに見る由美子。

(…それにしても…)

 体操着の上からとはいえ、みんな綺麗なシルエットをしていると思う。

 平均的に見ても等身が高いし、ラインも細いのに意外と起伏が解る。

 なんだか見ているだけで、青春の命の輝きみたいなものが溢れているとさえ、思う。

(…みんな若いなぁ…)

 女子高生だった自分が、随分と昔の事だったようにも感じてしまう。

 あんな可愛い女の子たちに言い寄られたら、そりゃあ葵くんだって。

「ハっ–」

 さっきの怒り妄想が頭を過り、焦って否定。

(そ、そんな想像で頭にくるとか、私、何なのっ!?)

 三四郎が女子たちに勧誘されていると聞いたわけでもないのに、勝手な想像でムカムカしている。

(……なんだろう、こんなの…)

 こんなにも他人に心を乱されるなんて、今までなかった。

 なんだかいつでも三四郎の事を考えてしまい、色々な想像が頭に湧き出して、ハっとなって現実に戻る。

 そして必ず、唇が熱を持っている。

(ああもーっ! 全部あのキ…キスがっ、いけないのよーっ!)

 そうだ。

 何と言っても初めてのキスだったのだ。

 勝手に奪われて、だから頭に強く残ってしまっているのだ。

(そうよ! 誰だって犬に噛まれたら、しばらくは犬が怖くなるもの!)

 だからなんだわ。

 とか、ムカムカの原因を自己完結させていたら、すぐ脇を通り過ぎる女子たちの会話が聞こえた。

「えー、キスしたのー?」

「なんかー、情熱的なんだねー」

「!」

 心の声が聞こえてしまったのかと焦ったら、友達同士の話らしい。

 つい無意識にも聞き耳を立ててしまう、恋愛経験ゼロな由美子。

「それでねー、彼氏の方が、結婚だーって 言ってさー」

(キ、キスしたら結婚っ!?)

 現在でもそあういう社会常識なのだろうか。

 レディコミなどでの恋愛情報しかない由美子にとっては、少し過激ではあっても、ああいう認識が普通の恋愛だと思っていた。

 現実世界は、まだまだ奥ゆかしいらしい。

(だ、だとしたら、私は…!)

 男子生徒とはいえ、キスをされてしまった。

(あ、葵 くんと…?)

 結婚式の様子なんかが、頭を過ぎる。

 三四郎との身長差は、昨夜の放課後、職員室の前でハッキリと体感しているから、二人が並んだ想像もリアルだ。

(そ、そんな事…っ!)

 ウェディングドレスを纏った自分と、隣に立つ三四郎。

 無表情と、したり顔での笑顔しか見たことが無いから、デフォな真面目顔で由美子を見つめていた。

 校長先生に似た神父さんが、誓いを問う。

『誓イマスカー?』

『はい』

『誓います』

 三四郎と由美子が答えると。

『ソレデハ、誓イノキスヲー』

『先生』

『はい』

 三四郎の凛々しい顔が近づいて、由美子はソっと目を閉じる。

(ってばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!)

 思わず声が出そうになった。

 顔中が真っ赤であろう事は、自身の熱で解ってしまう。

 あまりにドキドキする想像で、まるで自分も望んでいるかのような錯覚。

「そ、そんな事っ、無いんだからっ!」

「どうしたんですかー?」

「ハ–っ! な、なんでもないわ、おほほ…」

 検査が終わった女子たちに話しかけられて、慌てて次の検査へと案内をした。

 ちなみに、通り過ぎた女子たちの会話は、犬同士のキスと飼い主の会話であったと、後々に知った由美子である。


 階段を上がって視聴覚室へ向かっていると、クラスの女子たちが話かけて来た。

「由美子先生…すごく綺麗ですよね~」

「え?」

 先頭に続く女子の感想に、他の女子たちも続く。

「あ、私も思ってましたー」

「背が高くてムネも大きくて、美人だし、なんだか大人ーって感じですよねー」

「そ、そうかしら?」

 由美子は無自覚だけど、平均的な身長に比してスリーサイズは恵まれている。

 サラサラロングの黒髪と、小さくてバランスの良い面立ちは、女性教師の制服であるシックなタイトスカートによって、更に清楚に高潔に引き立てられている。

「なんて言うかー、女性の先生って言われて一番想像できる、美人の先生って感じですよねー。由美子先生って」

「そ、そう…? うふふ」

 特に生徒たちに褒められると、やっぱり嬉しい。

 しかも苗字ではなく「名前+先生」とか、親しくて、それもくすぐったい嬉しさ。

 大学卒業まで勉強一辺倒だったから、実は化粧も、教師になると決まってから必死に勉強をしたのだ。

 生徒に認められる嬉しさの、温かい気持ちで余裕も出てくる。

「♪」

 階段なのにスキップしそうな程の軽い心持ちは、しかし続く女子たちの言葉で躓いてしまった。

「クラスの男子ってさー、なんか葵くん以外は、ちょっと子供っぽいよねー」

「えっ!?」

 想像しなかったわけではないが、クラスの女子たちの中にも、やはり三四郎を気に掛けている女子がいた。

「あーわかるー。なんか自己紹介とか、格好良かったよねー」

「次の上野くんが スベってたくらいだもんねー」

 同じ年齢で同じクラスの女子たちが、目をつけている。

(か、勝てない…!)

 と、つい思ってしまって、慌てて否定。

(いっ、いや何言ってるのよ私っ! 葵くんは生徒! 私は教師っ!)

「ま、まぁ…リーダーシップは、あるわよねー…」

 などとつい否定的なニュアンスも、無自覚に含んでしまう。

「私はー、名護くんも素敵だと、思うけどナー」

「えー、あんた名護くんー?」

「そ、そこまでとかの話じゃなくてー」

 女子たちの会話が三四郎から逸れて、ついホっとしてしまった由美子だ。

 女子たちの視力検査の間、やはりまた、三四郎の事を考えてしまう。

(…そうよね。やっぱり女子たちから見ても、評価高いわよね…)

 キスだけでなく、その後のアプローチを考えても、少なくとも好意を寄せてくれている事は、間違いないだろう。

(私のこと…好き なの…よね…?)

 まさか、あそこまで力一杯に遊んでくるとも思えない。

 とか考えて、フと思う。

(いやいや待って! そもそも私、葵くんの事、ほとんど何も知らないんじゃない?)

 三四郎だけでなくクラスみんなの事もだけど、昨日会ったばかりの生徒たちである。

 知らなくて当然だ。

 意外と、三四郎は遊び慣れているのでは。

(…あのフェイスだもの。中学の頃だってきっと、女の子たちが放っておかなかったでしょうし…)

 そう考えると、中学生の女子たちと遊んでいる三四郎が想像されてしまい、またムカムカしてくる。

 ボーリングでストライクを連発して女子たちにキャーキャー言われている三四郎。

 ウインクしながら一輪の花を差し上げて女子の目を♡にしている三四郎。

 どれも昭和っぽいけど、由美子の怒りが燃えるには十分のようだ。

(そうよ。葵くんくらい女性慣れしている男子からすれば、年上でも恋愛未経験な私なんて、それこそ赤子をあやすよりも簡単に–)

「うむむむむ…っ!」

 女子に褒められて良い気分になって、直後で勝手に想像して勝手に怒る、午前中なのに忙しい由美子であった。


                       ~第五話 終わり~

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