第十一夜 悪魔は天使を捕える

ソフィア様がエデターエル王国に帰国されて、ようやく襲撃の手合いが落ち着いた。気兼ねする外交相手がいなくなったとばかりに過激なお客様が多くなったが、私としてもそういうやり方で来ていただけるなら遠慮せず叩き潰せる。

ペトロネア殿下に話し相手として呼び出しも受けているから、今回の社交期間、恐らく自宅で休めるのは今日ぐらいになるでしょう。


使用人の少ない邸内に不審な物がないか、探索しながら歩く。邸の主である母上エリザベートがベリアル本邸に興味がないため、警備が杜撰だ。注意しないと屋敷内に罠が仕掛けられていたりする。



「マリアン」

「どうかされましたか?母上」



ハイヒールの高い靴音が響く。ベリアル本邸の廊下に珍しく母上エリザベートがいた。おかしな話だが、ベリアル家当主である母上エリザベートは普段邸内を歩かない。

人気のない邸を好まない、というよりも興味のない母上エリザベートは自室に転移陣を備え付けて直接シャーロット妃の元へ行くから、ベリアル本邸で見かけるのは珍しい。



「本当にあの子があなたのなのね」

「ええ、唯一の証も刻みました」

「そう、やはりあなたは私の子なのね」

「そうでしょうね」



性別を変えただけでよく似た親子とよく言われる。なにを今更と思わなくもないが、シャーロット妃に関係しないことで母上エリザベートが感情らしきものを見せてくるのは珍しい。


つまりは、警告だろうか。


を得た同族に対する警戒であれば、母上エリザベートの行動として納得ができる。だが、冷徹なベリアル家に忠実な息子は生憎ともういない。



「マリアン」

「はい」

「後悔のないよう全力を尽くしなさい。私たちの気質からを失えば正気まともでいられなくなるわ」



母上エリザベートからもらう言葉として、想定外だった。奥底から湧き上がってくる熱いヘドロのような衝動を覆うように、あえて口元に笑みを浮かべた。



「可哀想に。マリアン、あなたも魔王の歪んだ性質だけを受け継いだ私と同じなのね」

「いいえ、私は幸運です。土の女神と応えてもらえたのですから」



姉妹として傍にいることしかできない母上エリザベートよりはまだ良いと思う。はじめて母上エリザベートを恵まれていない方だと、そう、それこそ可哀想だとそう思った。

ソフィア様に出会ってから文字の上でしか知らなかった感情を実感することが増えた。それほど魔王の血筋にとってのの存在は大きい。



から与えられるのは贈り物だけではないわ。自分で壊さないよう、気をつけなさい」



それだけ言うと用事は済んだようで、母上エリザベートは自室に向かって歩いていった。そんなこと母上エリザベートからわざわざ言われずとも知っている。私は中途半端な魔王の血筋だから感情が全くないわけではない。


『どうしてシャーロットに似なかったのかしら』


母親エリザベートにそっくり、どう見てもベリアルの血筋と他から言われて認められてきた。それでも母上エリザベートからは全く興味を持たれず、ベリアル家らしさを嫌うあなたからの言葉に傷つくぐらいの感情は持ち合わせていた。なにを今更、どうして今になって私に構う。



「マリアン、疲れているみたいだね」

「申し訳ございません」

「いいよ。今回はマリアンに負荷を掛けたと思っている。無事に進められそうでよかったよ」



ヴルコラク離宮の静かな一室、幼い頃から通っていたペトロネア殿下の私室にいた。お茶をしながらの会話が少し途切れて間があったために妙な様子の母上エリザベートを思い起こしてしまった。



「マリアン」



そう呼びかけられて顔を上げる。ペトロネア殿下が側近や部下の名前を繰り返し呼ばれるのは、名前を呼ばれるほど相手に好意を持つという効果があるからと以前に聞いた。まだ幼く、ペトロネア殿下が感情があるように上っ面を取り繕う前のころだ。



「ラファエル様からね、ソフィア様の亡命を頼まれたよ。マリアンが頼まれてくれるね?」

「……は?」



思わず疑問を呈する声を上げてしまう。亡命とは、歴史書で読んで知っているが、エデターエル王国が危険に晒されるとでも言うのだろうか。もしそのようなことが起こるのだとしたらソフィア様は存外祖国を愛されている。果たして、保護できるところまで来てくれるかどうか。



「マリアンはエデターエル王国の天使の姿が歪んでしまったことはもう知ってるね?」

「はい」

「ラファエル様はそれを正されたいそうだよ、そしてなにより本物の天使であるソフィア様を神のみもとへ送ろうとする使たちを本来の天使に戻されると仰っていた」

「本来の天使に戻す?」

「そう、確かにそう仰っていた」



きっとペトロネア殿下の話は、ここまでが前座だ。不意に今日は私以外の側近が全員排されていることに気がついた。つまり、感情を持たない魔王の血族だからこそできる思考を整理したいのだろう。


ソフィア様と接していて持つようになった心を奥底に沈めてベリアル家のマリアンとしての思考を意識する。



「マリアンのそういう賢いところが好きだよ。話してご覧」

「エデターエル王国が弱体化することで利益を得るのはレイド王国です」

「そうだね」

「天使の力を削ぎ、魔力の源である神々との交流を断つことになれば魔族の数が少ないフェーゲ王国は早晩憂き目を見るでしょう。そうなれば、フェーゲと対の力をもつレイドは繁栄するでしょう」



ゆるりと口元に微笑みを浮かべたまま私の話を聞くペトロネア殿下は自分と同じ思考を辿った私の言葉に小さく頷く。紅茶の苦味がやけに口に残る。



「エデターエル王国の滅びをレイド王国にきちんと責任を取らせよう。どうやら人間は神々の怒りの恐ろしさを忘れてしまったようだからね」

「ノイトラール共和国はどうされますか?」

「エデターエル王国が滅ぶことであの国には飢饉が訪れるはずだよ、魔力を受け取るがいないあの国は天使の恵を受けている」



砂糖を入れたのに微塵も甘くならなかった少し冷めた紅茶を一息に飲むと、ガラス玉のように美しい澄んだ目でペトロネア殿下が私を見ていた。



「必ずや本来の天使様をお守りいたします」

「ああ、マリアンなら上手くやると思っているよ。そうだ、遅くなったけど、婚約、おめでとう」

「ありがとうございます」



ペトロネア殿下から空々しく言祝がれた言葉に静かに目を伏せた。婚約したが、私たちは神々に祝福される結婚はできないだろう。心の望みと相反する思考に、小さく軋むような音がした気がした。

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