第十夜 悪魔は天使を堕としたい

ラファエル様は母上エリザベートとのお茶会で、ソフィア様の意にそぐわないことはしないと言いきられたらしい。

ソフィア様が婚約に目が向いていない。つまり、昼間を有効に活用され過ぎていて、ペトロネア殿下とも私とも進捗がない。


しかし、フェーゲ王国にソフィア様を同行させたのに社交でなにも戦果なくエデターエルに戻るわけにもいかないラファエル様は期間の延長を申し出ていた。この状況はベリアル家としても実力不足と言われかねない。


母上エリザベートからの催促、そして私の逸る気持ちを落ち着けるためにソフィア様に婚約について問いかけたところ、想定外の回答が帰ってきた。

エデターエルが望むソフィア様の排除と国益になる活用方法を提示された。フェーゲ王国はソフィア様を実力者として優遇するつもりだった。

ソフィア様を保護したいフェーゲ王国と、排除したいエデターエル王国との差異が浮き彫りにされた。



「今回の外交で私の価値を吊り上げる。エデターエルの王子が溺愛している王女としてね。そんな前提があった上で、フェーゲの魔族と婚約しているエデターエルの第七王女が人間に殺されたら、フェーゲはどうする?」



そういってエデターエル王国側の狙いを語るソフィア様は恐ろしいぐらい自然に笑っていた。それはまるで、神々に呼ばれるのは微塵も怖くないと言われているようだった。


腹の奥底に冷たくてどろりとした感情が湧き上がる。私はソフィア様に笑っていて欲しいと願っているのに、ソフィア様に届いたのは私の心ではなく、知らない他人の心だ。悔しくて、妬ましくて、そしてなにより自分が不甲斐ない。



「どうして笑うのですか」

「え?」

「あなたは怒って良い、信じていたご兄妹に裏切られたのでしょう?どうしてそんな風に笑うのですか」



冷徹を代名詞にするベリアル家の嫡男だとしても、私の頬を伝う水滴がなにかなんて聞くほど愚かになったつもりはない。

そんな私を宥めるように柔らかく名前を呼んでくれたソフィア様は、天使のように、むしろ神のように慈愛に満ちた顔をしていた。


私はあなたにそんな顔をさせたいわけではない。


なにかを唄うようにソフィア様が言葉をつむぐ。柔らかな桃色の唇がゆっくりと動かされる。



「私は私の自由な意志で、あなたの心を映そう。だから、マリアンは何を望む?」



違う。私はソフィア様に願いを叶えてもらいたいわけではない。ただその表情をくるくると変えて、この世界は楽しいのだと、平和を信じて良いのだと思わせてくれるソフィア様のことを見守っていたい。


他人の心を読まないと言いながら、私の望みを映してくれると言うソフィア様に私の本意を伝えるには言葉にして伝えるしかない。



「私は、ソフィア様にはソフィア様の心のままにいて欲しいと願っています」



私の回答を聞いたソフィア様は驚いたと言うように目を丸くすると、とても楽しそうに笑われた。その笑みがよく見るソフィア様の心からのものと解って酷く安堵する。



「ふふふっ、マリアンは予想外を連れてくるから面白いね。それじゃあ、遠慮しないよ?」



一歩もない距離にいたソフィア様がさらにその距離を詰めてきた。もちろん他の者なら避けるなり吹き飛ばすなりするが、ソフィア様に害意はない。

寄り添うように触れてくるソフィア様の温かさに、なぜか緊張する。今、私が迂闊に動いたらソフィア様に怪我をさせてしまう。


そのまま伸ばしてくる手を特に遮ることもなく見守る。ソフィア様が私を物理的に攻撃、つまり殴ってきたところで怪我はしない。むしろその場合はソフィア様の手の方が心配だ。


ソフィア様は片手で私の襟を、もう片方の手でそっと腕を掴んできた。至近距離でソフィア様に見上げられて、思わず見つめあってしまった。

この距離だとなにも誤魔化すことができない。ソフィア様には私の心音が早くなっていることに気が付かれてしまっているだろう。



「風の神シナッツエルの御加護を賜れないでしょうか?」



想定外の言葉に思わず何も返せず固まってしまった。ソフィア様から婚姻を申し出られている。他の誰でもなく私に。


そうか、この仕草は天使の魅了の仕草か。ソフィア様より弱いのだろう私へは全く魅了の力が飛んできていないが、でも私の回答は決まっている。


緊張と湧き上がる歓喜を誤魔化すように大きく息をついてから、逃がさないようにソフィア様の背中に腕を回す。天使が神々の傍に侍ることのできる証の一つとされている真っ白な羽に触れる。



「遠慮しないと言うなら魅了してくだされば良いのに……」

「魅了したらマリアンの意思じゃないでしょう?」



力で従わせるのではなく、心が欲しいのだと言われてどうしようもなくソフィア様を捕えたくなる。そのために何を投げ出しても構わないほど。やはり、私のはソフィア様だったらしい。


囁くために顔を近づけると、ソフィア様の無防備にさらされた首筋から甘いおいしそうなにおいが香って、とてもお腹が空く。



「もうご存知でしょう?私は当の昔にあなたに魅了されていますよ。ただ、二神に奏上するのであれば、私への裏切りはわかっていますね?」

「天使らしいキレイな死に方はできなさそうだね。堕天使らしくて良いんじゃない」

「えぇ、私に土の女神の御加護をお贈りいただけるなら、私があなたの守護となりましょう」



私と共にいるために堕天しても良いとまで言うソフィア様を誰にも譲るものか。特に相手が神だなんて、ソフィア様に何ももたらさないくせに。

悪魔に唆されて、その身に悪魔の印を持つ天使は神への裏切り者として扱われると神話で聞いた。それなら吸血鬼の番の証をソフィア様に刻めば、私は神からソフィア様を奪えるのだろうか。


首筋に牙をあててみてもソフィア様からは抵抗がない。以前に私の種族特性について聞いてきたこともあるから、ここで抵抗しないのであれば問題ないでしょう。

焦がれて止まない、甘そうなにおいのするソフィア様の首筋に牙を突き立てた。

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