第22話 天使の選択

ゆるやかに落ちていく水の壁を見送って、変わり果てた祖国に沈黙した。見渡す限り、生きている天使の姿はない。遠くから聞こえる喧騒と火の臭いが現実味を奪っていく。

色を無くして急速に枯れていく森の木は、神話の「この地に天使がいる限り、恵をもたらそう」の節が本当の話だったと裏付けしてくれる。


なにもこんな形で、神話の検証をしたくなかった。


あぁ、そうか。私が学院を卒業したら遠くの森に行くよう言われていたのはなにも近くにいて欲しくないからだけじゃなくて、王族が各地に散ってないと森が維持できないという意味だったのか。

もしかしたら名も知らない姉様のうちの一人は遠くの森で一人過ごしていたのかもしれない。



「とりあえず学院に行こう」



私たちより後に来るはずだったアルミエル先生はエデターエルのこの惨劇に巻き込まれてないはずだ。状況を伝えて、どうしたら良いのか相談しよう。アルミエル先生が学院にいる期間で良かった。



「生きてる天使がいるぞ!」

「しかも色が金だ、王族の生き残りだぞ!」



広場の入口、既に枯れおちた花のアーチのところに武装した人影があった。なにか手を振っている仕草があるから仲間を呼んでいるのかもしれない。


戻らなきゃ。


マリアンの手を離すなと先生にも言われたんだから、私を見放さなかった先生の教えは守らないと。



「逃げるぞ」

「追え!追え!」



全力で羽根を動かすが、なんだか身体が重い。もしかしたら滅んでいく祖国に引っ張られているのかもしれない。転移陣はまだ動くだろうか。そこに敵はまだ来ていないだろうか。

軽快な音を立ててブレスレットが弾け飛ぶ。魔法で攻撃されていたらしく、魔法で攻撃されたら打ち返す仕様のブレスレットが飛んだ。


マズイ、すごくマズイ。


残っている御守りは残り1つ、物理攻撃用のみだ。精神攻撃のブレスレットは気がついたら弾けたあとだった。

それに、私の魔力だってもうカツカツだ。でもここで諦めたら、鑑賞動物扱いされるのは間違いない。もしくは貴重な素材として売り払われる。



「魔法がきかん!なにか魔道具つけてるぞ」

「弓を使え、撃ち落とせ」

「バカ!殺したら素材にしかならん、素材はたくさんあるんだよ」



あの人間に捕まれているのはレリエルだろうか。ラファエル兄様に褒められたからと伸ばしていた自慢の髪がナイフで無惨に切り取られている。アリエルが自慢げに姉は美しいのだと、私に語ってくれたのを思い出す。天使の庇護を求める力も本人が闇の神に魅入られてしまっては効かないらしい。



「チャンスだ!いつもの攻撃できない結界がない!いまなら取り放題だぞ!」



別方向からも声が聞こえる。宮が包囲されているみたいだ。ここはフェーゲと違って戦う宮じゃないから、天使の特性が消え失せたエデターエルはもう滅びるだけだ。身を守ることすらできない。


これが、お祖父様の意思でないなら、この状況はお兄様が引き寄せたものだろう。

天使の中の天使、優秀な王子と呼ばれ、次期王に望まれたお兄様がこんなことを引き寄せた理由は一つしか思い浮かばなかった。


なんで、ラファエル兄様。私の自慢の兄様ならきっと、祖国を選ぶと思っていたのに、どうして私を選んだの?


私は天使に嫌われていても別に良かったよ。兄様から聞いていた通り、世界は広かった。フェーゲという新しい場所を見つけたから、兄様以外の家族に疎まれてようと気にならなかった。


なんで、国より私を選んだの。


兄様は、まさか、これが私の心を読んだ結果なの?



「わ、わたしなの?」



天使は基本の心を持たない。強い意志を持てない。他者の心を汲んで行動するよう本能に刻まれているから、だから他者にこれほどに大きな影響を与えるような心を持っているのは使



「これを?わたしが望んだ結果?まさか、わたしの自由をかなえるため?」



足に力が入らなかった。あと少しで転移陣のある間、アーチは目の前なのに、もうダメだった。


ラファエル兄様が叶えた願いは、映した心は私。自由になってほかの世界に、知らない国へ行きたいと願った結果が祖国を滅ぼすことだったの?

よく考えたら、ラファエル兄様に影響を与える可能性があるほど近しくて心を持った存在は私しかいないじゃないか。


ラファエル兄様は未来を見据えて思考することのできる、他者に影響され過ぎない特殊な天使だと思っていた。

そんな天使に影響を与えるなら強い魔族だと思っていて、フェーゲの都合を考えたら、私が害されるとばかり思い込んでいた。


読み違えた。私は負けてしまった。それも、祖国を亡国にしてしまうほどの負け方をしてしまった。イェルミエル様もレリエルも、姉様たちも、お祖父様も、もう戻らない。



「力尽きる前に捕らえろ!」



目の前にある花は枯れている。その花も誰かが魔力を注いで美しく保っていたはずなのに。

前に花が咲いているときにはこんなに労力とお金をかけて無駄だなぁと思っていたのに、枯れていたらこんなに悲しくなるんだ。無駄なことにあんなに力を注げたエデターエルは平和で、とても貴重だった。


マリアンはずっとこの虚しさを知っていたから、リドワルド離宮の時間をあんなに慈しんでいたんだ。


今になって理解できても、時間は巻き戻せない。マリアンにもっとお礼を言っておけばよかった。マリアンが居てくれたから寂しくなかった、楽しかったよ、ありがとうと。

あんなにバカにしていたのに、私も感謝できない天使のひとりだったらしい。


長くゆっくりと息を吐いて、最後のブレスレットが弾ける音を聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る