第17話 天使の婚約
最近、ラファエル兄様がわからない。そして、今日も今日とて穏やかな離宮だ。
魔法薬の材料は元気よく咲いているし、私が使った材料は夜のうちに世話役の精霊ペリとペリの叔母ニルに確認され、マリアンに補充されている。
魔法薬の出来は最高だ。材料が良いものだからね!
でもそうじゃない、私はマリアンのお友だちとしてフェーゲに遊びに来ているわけじゃない。エデターエルの王女としてフェーゲへ外交しに来ている。
確かに数日に一回晩餐会や夜会に呼ばれているが、ラファエル兄様がメインで、私はマリアンのエスコートを受けてちょっとだけ出席して挨拶だけして帰るを繰り返している。
「私、大半ここで引きこもってるだけなんだけど。良いの?」
「ラファエル様と、親愛なる我が母上のことですから、なにか考えがあるかと」
本来なら社交シーズンに各所を飛び回り、ペトロネア殿下の傍に控えて戦場の真っ只中に、時には謀略蠢く夜会に身を浸しているだろう吸血鬼マリアンが陽の下でのんびりとお茶を飲んでいる。
コーヒーを飲んでるイメージがあったけど、マリアンのお気に入りはバニラクッキーと甘い香りのするキャンディティー。バチバチの甘党だ。
勝手なイメージで悪いけど、すっごいミスマッチ。
「だって、ラファエル兄様の申請で滞在期間伸ばされた上に一季もこの状態だよ?!」
「ソフィア様はお嫌ですか?」
読んでいた本をテーブルに置いてマリアンが姿勢を崩す。チョコレート色の口紅が引かれた唇が寂しいを表現するように歪に笑みを浮かべ、痰や熱に効果のある果実モンドーグラスのような蒼い瞳が私を見据える。
マリアンに見つめられると落ち着かない。
ずっと傍に侍ってくれているマリアンは護衛も兼ねているから近くにずっと居ても仕方ないのに、時折、すごいモヤモヤするような落ち着かない気分になる。
そう、まるで魅了魔法を向けられているような気分になる。
でも、エデターエル屈指の魅了耐性を持つ私がラファエル兄様以外の魅了に影響されるはずがないからその可能性はない。
だとしたら、一体、なんなんだ!と脳内で自問自答して喚き散らす。まあ、答えなんてとっくにわかりきってるんだけど、そんなもんどこにもぶつけられない。
エデターエルでのいつものように、壁に手をうちつけたりするようなヘマはできない。
マリアンが護衛として付いている以上、私が怪我をしたら咎められるのはマリアンだ。私の奇行でうっかり怪我なんてしたらシャレにならない。どんなに近しくても彼はただの知り合いで、義務として侍ってくれている。
「私は今がずっと続けば良いと思ってますよ」
「なにを言って」
「ここは平和ですね」
マリアンのその言葉に口を閉じた。そうか、誰にも襲撃されず、血も流れないこの時間をマリアンは貴重だと思っているのか。
争いとは無縁なエデターエルで育った私にはない感覚だった。
「その平和を当然として楽しそうにするソフィア様を見ていると、ずっと平和で居られるのではないかと錯覚します。あなたを見ていると平和な気持ちになります」
思わず嫌味かよと返しそうになったが、穏やかな顔をしているマリアンにそれをぶつけるのはやめた。いくら私が心を読めない天使だとしても、あからさまな感情は見りゃわかる。彼は本気で言ってる。
「私にそれを言うのは変わってるよ。ラファエル兄様の方が見ていて幸せじゃない?」
「あの方は、どちらかと言えば私たち寄りです」
唐突にストンと表情を落としたマリアンは見慣れた顔になった。
にしても、天使の中の天使と言われるラファエル兄様が魔族寄り?マリアンが言いたいのはどういうことだろう?
「あの方は魔王陛下によく似ていらっしゃる。いえ、神代の物語はみなそう語られますから、王族とはそういうものなのかも知れませんね」
「兄様は何をしようとしているの?」
直球で聞きすぎた。そう思ったけど、特に隠すこともないと判断したらしくマリアンはそのまま教えてくれた。
「ソフィア様をフェーゲに移したいようですよ」
「それは……、もしかして婚約?誰と?」
通りで。夜会に少しだけ出てあちこちに挨拶だけして退出するのはそういう意味があったのか。
私と相手の相性を見て、国の派閥を見て、ラファエル兄様から見て最も良いところと縁を作るのだろう。
それは、ちょっとキツイな。
「わかりません。今のフェーゲは力関係が複雑ですから」
「そう、だよね。ねえ、マリアン」
「なんでしょう?」
「仮に、仮にだけど。フェーゲ王国内の争いが鎮火するとしたら理由はなんだと思う?」
口元に手を当てて考え込むマリアンは仮の話なのに真剣に考えてくれている。
不自然なラファエル兄様の行動と現在のフェーゲの事情、なんとなく、なんとなくだけど、私は嫌な予感がした。
エデターエルの天使たちは人間が嫌いだ。一方で、力の強い魔族が好きだ。好きな魔族と自分たちがウィンウィンでいるためになにを企むだろうか。
「私はね。国を脅かす敵の出現……だと思うんだ」
「まさか、エデターエルが?」
いや、フェーゲとエデターエルが戦うのは無理だと思う。エデターエル戦う前から惨敗だわ。むしろ、ペトロネア殿下おひとりで、かつ無傷なまま、一瞬で制圧してくれるだろう。
というか、私の想定はそっちじゃない。
「マリアンは天使の特性を知ってる?天使はね、強いひとを魅了するだけじゃないんだ。その天使が大切だと思っているひとの心を映す。そのために相手がなにを考えているのか心の色を読む」
そうして欲しいものを与えて、より庇護を得る。そうやって生き残ってきた種族だ。だから生まれながらに魔力が多く、天使としては強かった私は天使の特性を持ち合わせなかった。
それじゃあ、ラファエル兄様は、いま誰の心を映しているのだろう?
「まさか、そんな」
「ラファエル兄様が心を映して願いを叶えたくなるぐらい入れ込んでる相手を知らない?」
「それは……」
ぐっと黙り込むマリアンにこれ以上の示唆は要らないと思いながら言葉を続ける。
ラファエル兄様は確かに私を大切にしてくれている。それでも、これまで兄妹愛を見せびらかすようなことはしてこなかった。それなのにどうして急にそんなことを始めたのか。
それはフェーゲに対して、ソフィアの価値を吊り上げるため。
ソフィアは大切な子だったのに、とある敵に殺されたぞ。と物語を創るのだ。
「今回の外交で私の価値を吊り上げる。エデターエルの王子が溺愛している王女としてね。そんな前提があった上で、フェーゲの魔族と婚約しているエデターエルの第七王女が人間に殺されたら、フェーゲはどうする?」
マリアンにそう問いかけて、可愛らしい装飾のされたチョコレートを噛み砕いた。
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