第4話
「なあ、もう少し急がないか」
ノゾミは隣でうつむく女の子に言った。
「…………」
また反応がなくなる。
「おいったら」
ノゾミは立ち止まった。女の子が立ち止まらず少し前まで歩くと、つないだ手が自然とノゾミの前へ伸びる。そして、女の子はうつむいたまま振り向いた。
「…………」
「お家はどこなんだ? そこまで急ごう」
ノゾミは女の子が何か言うのを待った。その間も辺りはしんと静まり返っていて、この暗闇には自分とこの子しかいないんじゃないか、とさえノゾミには思えた。
「……わか、いです」
「え?」
「わから、です」
言葉を詰まらせながらも、それでも絞り出しているように聞こえた。女の子は「わからない」と言っているようだ。さっき女の子が「近く」と言っていたので、ノゾミはそれがどういう意味なのかわからない。だが冗談を言っている感じでないことはわかった。
「もしかして、迷ってる?」
女の子はうつむいたまま頷いた。
「そっか……」
ノゾミは空いている左手で頭の後ろをかいた。困るでもなく、頭に浮かんでいたのは女の子が最初についた嘘のこと――違う、嘘ではない。ただ言えなかったのかもしれない。どうして声をかけたら一人で歩いて行ったのか。最初はあたしが行こうと言ったからだと思っていたけれど、本当は一人でどこかへ行こうとしていたのではないか。見ず知らずの大人に心配をかけるのが恐かったのではないか。
では、どうしてあたしの手をとった?
「じゃあ、反対の方に歩こうか。元居た場所まで行けば何か思い出すかもしれない」
女の子は無言で頷く。ノゾミは軽く手を引いて、元来た方へと歩きだした。家へ置いてきたスマホで警察へ連絡できれば、という考えもあったが、ここでいろいろ問い詰めるのは余計に女の子を苦しめるだろうとノゾミは思った。ノゾミが子供の頃だったら、こんな夜中に見ず知らずの人間と歩くだけでもう十分苦しいはずだった。
もう、ほとんど灯りの見えない闇夜を、二人は並んでゆっくり歩く。
「なんかお前はあたしに似てるな。ああ、独り言だから気にしなくていいけど」
ぽつん、と言葉が暗闇に浮かぶ。
「本が好きで――」
いつも余計なことをたくさん考えている。多分これは同類だからなんとなくわかるんだけど、それは面と向かってあまり言われたくないかもしれない。
ノゾミは後に続く言葉を変える。
「あたしは昔すっげー泣き虫でさ、それも変な虫なんだ。迷子になると誰かに会うまでは泣かないんだけど、見つけられると泣いちまってな。別に安心して泣いてるんじゃないぜ。迷惑かけて申し訳なくて、それで泣けてくるんだ。変な子供だろ?」
女の子は何も言わない。だけどノゾミは気にしない。「変な子供」の部分に同意しないようにしたのかな、と思ったからだった。
「お前はすごいな、泣いてないし」
ノゾミが言うと、女の子は首を横に振ったのが腕へと伝わってくる。ノゾミが来るまでは泣いていたのだろうか。
「目が開かないんです」
女の子が言った。どういうことかわからないけれど、つまりは泣けないということだろうか。
「それは、いつからなの?」
「……が来るまで――会う少し前からです」
誰が? とノゾミは一瞬考えた。しかしすぐに、ノゾミが来るまで、と言おうとしてどう呼んだらいいのかわからなかったんじゃないか、と気づく。だとすればやはり自分が子供の頃に似ているな、とノゾミは思った。
「怪我したのか」
「わからないです」
「そっか。見てあげたいけど、もう暗くて顔もわからないんだよな。痛くない?」
「はい」
「そうか。まあ、そりゃ暗いのわかんないよな」
だからあの時、隣を歩くノゾミの手を取ってきたんだろうか。
いよいよ街灯がどこにあるのかわからなくなってきた。夜空に星はなく、ノゾミはうっかり道路脇の電柱にぶつからないよう気配に注意して歩く。ノゾミは左ひじを張って路の片側を気にして歩くようにしながら、スウェットのポケットに左手を入れた。こう暗くなるとノゾミにもこれがただの停電でないことがわかる。しかしそれでも、まっすぐ歩けば帰れる、と考えていた。
「――あ」
煙草の潰れたソフトパッケージと使い捨てライターが入っている。
ライターで前を照らしてみよう、とノゾミは思った。さっそくライターを取り出して、目の前でスイッチを押す。
が――
「あれ」
ライターから昇るはずの炎が、よく見えない。ぼんやり赤いようなものが見えるが、そういう気がしているだけのようにも感じる。カチッ、カチッと何度もやってみたが、それでも火が見えない。まだガスはあったはずだった。
「火が見えない……」
立ち止まって、目の前で火を灯し続けてみる。つないだ手が前に伸びて、女の子も立ち止まる。
「いや、あたしが見えなくなってるのか――」
ノゾミがそう言った時、ついにはぼんやり見えていた色がすべて闇に染まった。辺りを見回してみても何もない――見えない。
「どうなってんだよ、これ」
その時、
「火、見えます」
女の子が言った。
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