第2話

 ノゾミは声をかけようかと思って口を開いたが、二階からでは距離があって大きめの声を出す必要があることと、街が夜でしんとしていることと、アパートの壁がそこまで厚くなくてご近所迷惑になったら面倒なことを瞬時に考えてやめた。警察に連絡しようかとベッドに置かれたスマホへ目をやったが、ノゾミはちょっと声かけて帰るならそれでいいかと思い、傍まで行くことにした。

 煙草を灰皿でもみ消して、玄関でスニーカーを履いて外へ出る。ノゾミがアパートの薄い金属の階段をかんかん降りていくと、小さな子はまだ街灯の下に座っていた。


 傍まで歩いていって声をかける。

「おいどうした」

「…………」

 返答もなく、動きもない。

「子供が出歩く時間じゃないだろ」

「…………」

 やはり反応がない。

「おいったら。もしかして寝てんのか」

 ノゾミはさらに近寄って、座っている子の細い肩へと手を伸ばした。するとその子は首を左右に振るので、ノゾミは手を引っ込めて言う。

「帰らないのか」

 視線の先で首は横に振られる。

「じゃあなんでここにいんだ」

「…………」反応がない。

「というかお前、親――父さん母さんは」

 うつむいたまま、首を左右に振る。この子が話したくないのか、答えに困っているのかなんなのかがわからない。

「あぁ、ったく面倒だな。とりあえず警察――お巡りさんに来てもらおうか。ちょっとそこで待ってな」

 そう言ってノゾミはスマホを取りに帰ろうと振り返った。そして一歩踏み出した瞬間のこと。右手首に冷たい感触があり、ノゾミは息を呑んだ。振り向くと、座っていたはずの子が立ち上がってノゾミの右手首を両手で掴んでいる。頭はやはりうつむかせたままで表情が読み取れない。

「ちかくだからへいきです」

 その子は言った。女の子の声だったが、その声からは怯えや緊張も、喜びや悲しみも、焦りや恐怖も、どの感情もまったく感じられなかった。

「近くって、どっちだ」

「…………」

 ノゾミはため息をついた。小さい子ってのはどう接したらいいのかわからない。面倒というよりも、ノゾミにはどうするのが正解なのかがわからなかった。ただ、するべきことはなんとなくノゾミの頭に浮かんでいる。

 ノゾミは腰をかがめて目線を合わせるようにした。するとその子はそれに気づいたのか、手を握っていたことを今さら気にしたのか、握っていた手をパッと離してうつむいたままノゾミに背を向けた。

「こんな時間に子供一人であれだから送ってやるよ。変なヤツに連れてかれないようにな。こういう親切を装ったヤツとか」

「…………」

「今の笑うとこなんだけどな。まあ子供向けの冗談じゃないよな。行こうぜ」

 ノゾミが言うと、その子は向きを変えて道の片方へと歩きだした。それを見たノゾミは並ぶように歩いて隣を見る。相変わらずうつむいていて何を考えてるかわからないが帰ることにしたんだろう、とノゾミは思った。


 暗闇の中に浮かぶ街灯の間隔が広い。ぽつぽつ照らされた場所へたどり着くまで足元がよく見えないところもある。ノゾミは普通の速さで歩いていると隣の子をすぐに追い抜いてしまうので、歩幅を合わせた。自然と足音は小さくなり、しんとした道を二人の小さな音が並んで歩いていた。

 そんな中、ふいにノゾミの右手を冷たい小さな手が握る。ノゾミは大して気にすることもなくその手を握り返し、ぼんやりと遠くの灯りを見ながら歩いた。

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