第18話 渋海八広を名乗るもの ― ヴォジャノーイ ―


「ふぅ……どれだけ、実力の差が。わざと足だけを狙ったわね」


 傷ついた足が痛むのだろう、眉をひそめながら女は言った。


「力に目覚めて、半年ってところか?」

「……ええ、正しくは五カ月よ」

「なら、お前の数倍は、この力とともに生きているからな」

「分が悪いわけだわ」


 会話をしながらも、強化された鳴瀬の耳は僅かに水が湧き出るような音を捉えていた。

 音の出どころを探るように目を凝らす。


「……再生や不死性についての逸話があるやつは、相変わらず厄介だ」


 女の足に刻まれた傷が、まるで巻き戻るかのよう消えていく。

 皮膚に残った血と、ずたずたに避けたスポーツウェアが、怪我が幻ではないことを証明していた。


「へぇ、力を持っている誰もが、こうだというわけじゃないのね?」

「ああ。普通は多少傷の治りが速い程度だ。羨ましい限りだよ」

「一撃でも与えられれば、私に有利ってことかしら」

「はっ、できるならな」


 鳴瀬は挑発するように嘲笑った。


『蒼の茨鞭 ―ブルーウィップ―』


 水の鞭が、うねりながら鳴瀬に迫る。

 点ではなく面の攻撃、これまでのようにステップで回避されることへの対策なのだろう。


「もう一つ」

『蒼の茨鞭 ―ブルーウィップ―』

「ほう」


 かなりの遠距離で待機時間なく発生させる制御力に、鳴瀬は感嘆の声をあげた。

 センスだけではどうにもならない、鍛錬の後がそこには見えた。


『這いより ―クリーピング―』


 沈み込むように、地を這うような低さで薙ぎ払いの下を潜り抜ける。


『蒼の塁壁 ―ブルーウォール―』『蒼の塁壁 ―ブルーウォール―』『蒼の塁壁 ―ブルーウォール―』


 道を遮るように、立ちはだかる水の壁たち。

 鳴瀬は速度を落とさずに、スキルも使わずに透明の壁を殴りつけた。


 高速の三連撃。

 派手な水音とともに、水の塊が形を失い地面へとかえる。


「……冗談でしょう」


 鳴瀬が一歩踏み出すと、女は半歩下がった。

 そこには、このまま間合いをとって戦うことが正しいのかという、迷いが見てとれた。


 獲物は忙しなく視線を走らせ、生きるための道を懸命に探り出そうとしている。

 好機だと見た鳴瀬は、女に問いかけた。


「一つ聞きたいんだが……そこまで自由に水を発生させれるのであれば、溺死をさせることなど容易いはずだ、手間をかけて凍死させる必要などなかっただろう?」

「……私を快楽殺人鬼か何かと勘違いしていませんか?

 別に人を殺すことが好きってわけじゃないです」


 息を整えながら、女は鳴瀬を拒絶することなく質問に答えた。


「では、凍死さることに意味があったと……何故だ?」

「うーん、説明が難しんですけど……」

 真剣に悩む素振りを見せた後、女は滔々(とうとう)と語りだした。


「例えば、音楽が大好きな少女が、世界一だと思えるような歌に出会ったの。

 誰も知らない、寂しい川辺で知らない誰かが唄っていた。

 世界のほとんどが、その歌を知らないことがあまりにももったいなくて、少女は自分も、その歌を唄ってみようと思ったのよ。

 こんなにも素晴らしい歌があると、他の誰かに知ってもらうために。

 あるいは、歌を唄っていた人に伝えたいのかもしれないわ、あなたの歌は素晴らしいと!」


 女は興奮が抑えられない様子で捲(まく)し立てた。


「……つまりは、誰かの模倣ってことか?」

「そうね……これはラブレターなのかもしれないわ」


 鳴瀬の問いには答えずに、陶然とした面持ちで宙を眺めた。。


「ラブレターって、誰にだ?」

「ふふっ、ごめんなさい、初対面の人に話すほど、この気持ちは軽いものじゃないのよ?」


 右手の人差し指を唇に当て、内緒だと女は笑った。


「男だけ、しかも似た容姿ばかりを殺したのも、模倣なのか?」


 鳴瀬は自然な流れの中で鎌をかけた。


「それは……好みの問題かしら。美しい材料を使った方が、美しい物ができあがる気がしない?」


 隠された棘に気づくことなく、女は応えた。

 心から楽しそうに口元が弧を描く。


「そうか」


 感情の無い目で、鳴瀬は敵を見据えた。


「そちらも質問に答えてくれないかしら?」

「構わないぞ」


 鳴瀬には拒否する理由はなかった。

 どうせ、相手は肝心な部分についてはのだから。


「どうして、私に仕掛けてきたのかしら? 警察の人ってわけじゃないんでしょう?」

「ああ、違うな」

「もしかしてだけれど、戦うことで経験値みたいなものが手に入るのかしら? それが目的とか」

「……ある意味では正解だ」


 性質や嗜好の醜悪さはさておき、聡明で柔軟な思考の持ち主だと、鳴瀬はある部分では相手のことを認め始めていた。


「へぇ、やっぱり」 

「能力を使うほど幻獣との同調は進む。しかも命のやり取りなどの極限状態で使用した方が、圧倒的にその進みは早くなる。

 だが今回に限っては、そんな収穫がなくとも俺はお前を潰しに来たさ」

「どうして?」


 本当に、分からないと言った様子で女は言った。


「簡単な話だ……お前が、気にくわない」


 目の前の怪物は、鳴瀬の禁忌に触れた。

 それだけの話である。


「……あなたに酷いことをした覚えはないのだけれど」

「お前の殺した被害者な、一人は死の一週間前に子どもが生まれたばかりだとさ。

 他にもだ、今でも三歳の子どもが帰って来ない父親を待っているらしい」

「もしかして、あなた意外と善人なの? 同類かとさえ思ったんだけど」


 鳴瀬の発言が、倫理観や良識といったものからくると思ったのだろう。

 女はつまらなさそうに言った。 


「ふっ、俺が善人? 面白い冗談だ。ただ俺の禁忌(タブー)なんだよ、それは」


 的外れな意見に、堪えきれずに鳴瀬は笑った。


「……ついてなかったってことかしら?」

「そういうことだ」

「そうなの……まあいいわ。さて、ここまで待ってくれてありがとう」

「はっ、こちらの意図を分かったうえで話に付き合っていたんだろ?」


 質疑応答するために、鳴瀬はこの状況を整えた。

 戦いのペースと、相手の負傷度合いをコントロールし、相手に時間稼ぎをさせる必要性を生み出した。

 出来る限り、情報を搾り取るために。


「話をするだけで、回復できるなら安いものでしょう?」


 相手は気づいていないが、それはつまり、もう二度と相手とは話す機会がないと鳴瀬が考えていることを意味していた。


「もう一度言う、後悔のないように全力を尽くせ」

「立ち上がりなさい」


 彼女の背後、雄大な水源から水柱が立ち上がる。

 先刻のスキルが水の精ならば、さながらそれは水の巨人が立ち上がるようであった。


 周囲に多数浮かび始めた水の球とそれらは合流し、巨大な水の塊へと化す。

 ただ落ちるだけで、人間など簡単に押しつぶせるような質量を湛えていた。


『大水塊 ―リザーバー―』


 これまで女が操った水の中でも圧倒的に巨大。


『潤ける大地 ―ウェットランズ―』


 続けて礼拝するかのように、女は大地に両手をついた。

 徹底的に足場を奪うつもりなのだろう、急速に辺り一面の地面が緩んでいく。


「待っていてくれてありがとう」 

「全力を出して負けたほうが、絶望が深いだろう?」

「……やっぱり、同類なのかしら?」


 首を傾げた女が、両手を空に突き出した。


『蒼星落下 ―シューティングウォーター―』


 水の天井が崩れ落ち、無数の塊へ分裂し、落下を開始した。

 自由落下では到達しえない速度と、不自然な硬さで


 地響きのような重低音。

 圧倒的な数と質量の水の塊が大地を叩き付ける。

 それは鳴瀬など容易く呑み込み、周囲の地面をも破壊した。


 破壊はあまりに広範囲。それは逃げ場を奪うために、あえて狙いなどつけずに放たれた技――



 のように錯覚させた一手。


『蒼流 ―ブルーフロウ―』


 水の勢いに任せて高速で、女は宙に身を躍らせた。

 そのまま速度を落とさずに、真っ黒な水面へと浸入していく。


「それじゃあ、またの機……」

 全てを言い終える前に、水の中へと女は消えた。


「予想通り、か」


 相手が河川敷を戦場に選んだ段階で、鳴瀬はこの展開をも予想していた。

 慎重で臆病な相手ならば、絶対に残しておくはずの手札。


 視界を奪ったうえでの水中への逃亡。


「最初に言っただろう――」

『天駆け ―エアウォーク―』


 言うがいなや、鳴瀬は


 高速で泳ぎ去る影に追い付くと、そのまま空中を並行して疾走する。


 水中から伝わる驚きの気配。


「次があると思うなと」

『天狼爪 ―ウルフズクロウ―』

 

 爆音とともに、水面が爆ぜた。

 多量の水を流れごと切り裂いた狼の爪は、獲物を巻き込みながら水面下の地面までも深く抉った。


 立ち昇った水飛沫が、豪雨のように地面と水面を叩き付ける。

 霧雨のように舞った微粒な粒子は、周囲から一切の視界を奪う。


 嵐のように荒れ狂うこと数秒。

 ざぶりざぶりと悲鳴をあげていた水面は、すぐに調子を取り戻し元の流れへと戻っていった。


 霧が晴れる。鳴瀬の姿はいつの間にか河川敷へと移動していた。


「他の生物には悪いことをしたか……はぁ」


 抱えていた女の体を無造作に地面へと放り投げる。

 全身に激しい打撲、背面に巨大な裂創を追いながらも、すでに修復が開始している水魔の様子に溜息をついた。

 か細くなっている呼吸も、この分であれば時期に戻るであろう。


「不死性ってのは本当に厄介だ」


 初期を卒業した段階の力の持ち主でこうなのだ。

 より同調が進んだ、しかも再生や不死性により深い逸話を持つ幻獣が現れれば厄介なことになる。

 鳴瀬の目は、すでに遠い先にいる敵を捕らえていた。


「ヴォジャノーイ……命拾いしたな」


 濡れた髪を、掻きあげながら鳴瀬は言った。

 

 もっとも、それが彼女にとって幸せかどうかは別の話であった。

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