第13話 情報屋
JR山手線の神田駅から徒歩五分の地点にある、古めかしいという言葉が似合う喫茶店。
CLOSEの札を気にすることもなく、鳴瀬は木製ドアの取っ手へと手をかけた。
そのまま押し開くと、澄んだカウベルの音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
心地よいBGMと落ち着いたトーンの挨拶が、鳴瀬を出迎える。
それは閉店中の店に訪れた客への態度ではなかった。
作業スペースではガッシリとした体格の中年男性が、食器を磨いていた。
純白のYシャツに紺色の蝶ネクタイ、長丈の黒いエプロンを身に着け、いかにも喫茶店のマスター然とした男だった。
流れるようにカウンター席に腰をかける鳴瀬に対して、男は慣れた様子でメニューを差し出した。
「ご注文は?」
「お任せで」
メニューを開くことすらせずに鳴瀬は答えた。
「たまには、情報以外のメニューにも興味をしめていていただければ嬉しいのですが。」
「それだけマスターの腕を信用してるんだよ」
「それでは、ご期待に添えるように努力いたしましょう」
厳つい顔に男くさい笑みを浮かべると、フラスコを手に取り水を注ぎ始めた。
この店――喫茶店「ハリモグラ」は、鳴瀬にとって情報収集の最重要拠点だった。
細々とした情報を集める分には人脈をフル活用することはあっても、重要な情報となると取得方法は限られる。
理由は簡単である。
鳴瀬に求められて、異変や事件の情報を提供したとする。
すると、しばらくして異変や事件がピタリと止むことになるのである。
情報提供者からすれば、そこに因果関係があると考えるのは必然だ。
つまり、下手に情報収集を依頼する相手を増やすことは、鳴瀬にとっては分かりやすくリスクを増やす行為である。
自ずと重要な情報の収集を頼むのは、限られた存在となる。
絶対に情報を漏らさないだろう、信用できる人物。
裏切られる可能性を考慮しつつ、互いに利用し合える人物。
この店は、鳴瀬にとって前者の存在だった。
「昨日の事件については、もう少し時間をいただければ。ある程度、警察や周辺住民などが動いてからのほうが情報が集まるかと思いまして。
じっくりと待った方が、いい味がでることもありますので」
ガラスの底辺を熱する、アルコールランプの火を見つめながらマスターは言った。
「それが、コーヒーの味の秘訣?」
「私のこだわりってだけですよ。最近ではエアロプレスのように、手早くいい味で抽出する方法が存在しますので」
「喫茶店でも時短の波なのか……」
「選択肢が増えているって感じですかね。気軽に本格を楽しめる店も増えたって話です。
手間や時間を楽しみたいって人は、変わらずそういう店に足を運ぶ」
「俺は間違いなくその類だな。人間、ゆっくりとした時間が必要だろ」
鳴瀬は憂鬱そうに頬杖をついた。
ひと息つくまもなく始まった、新しい事件の予兆。
コーヒーの一杯も世話しなく飲むことになれば、いつ心を休めればいいのか分からない。
「ようやく、先の件が片付いたと聞かされると同時に、低体温症で亡くなったものを調べて欲しいと言われた時は驚きましたよ」
「マスターには迷惑をかける」
「仕事ですので。とはいえ、正直、今年に入ってからの怪現象のペース……一体どうなっているのかとは思います」
「これから、もっと荒れるかもしれんぞ」
鳴瀬は口元を曲げるように笑った。
「そうなんですか?」
「ああ、獣同士は引き合うようにできているらしいからな」
「獣同士、ですか?」
「マスターにも分かるだろう?」
「……さあ、何のことでしょうか」
肩を竦めながら、マスターは保冷庫か一つの皿を取り出した。
「今日のお茶菓子は二つになります。まずはフルーツタルト」
鳴瀬の目の前に、皿のうえに載せられた宝石箱のような菓子が置かれた。
店構えや店主の容姿とは裏腹に、この店の売りは繊細で色鮮かな甘味の数々であった。
重度の甘味好きである店主の熱意が、そこに傾けられた結果である。
「それは嬉しいね」
「自慢の一品ですよ。それから、もう一点がこちら」
次に目の前に置かれたのは、大きな茶封筒だった。
鳴瀬がそれを開くと、中にはマイクロSDメモリと紙の束が入っていた。
「こちらも、いい品なようだな」
「要望があった、死者のうち30歳以下をピックアップして、そのプライベートを可能な限り調べたものです」
事件の資料にのらない部分。
同様の内容をSNSから秀人が調査しているが、いうなればそちらは、人に見てもらいたい見られてもいい情報の集合体である。
そうではなく、人間の素顔や本性は得てして人に見せられない、見せたくない部分であるというのが鳴瀬の持論であった。
「期待できそうだ」
「面白いものが見れると思いますよ?」
「拝見するよ」
「ごゆっくり」
*
鳴瀬が、その共通項に気がついたのは、提供されたコーヒーから湯気が消えた頃のことだった。
「女性の被害者の中に、美術関係の人間が多くないか?」
「それ、気になりますよね?」
立ったまま、コーヒーカップを傾けマスターは答えた。
喫茶店としては営業時間ではない。鳴瀬も特にその点を指摘をすることはない。
「死者五人のうち、美術に関係する人間が三人」
それぞれ――
美大生。
アート系の専門学校生を卒業した後、出版社勤務となっていたもの。
副業でイラストレーターとして活動していたもの。
「……
詳しく資料を見てみても、その事実以外に三人の共通点は存在していなかった。
年齢も、住所も、出身地もバラバラである。
だが、別の事情を知る鳴瀬には、それを偶然の一言で片づけることはできなかった。
「ここで……天白翠、か」
被害にあった美大生。
その女性の名前を目にした鳴瀬は、来訪前から考えていた新しい依頼をマスターに発注することにした。
「なあ、マスター」
「はい」
「天白翠って人物について、より深く調べてもらえるか?」
「了解しました」
何故、などという言葉は口にしない。
彼はプロなのだから。
死後、奇妙な事態に巻き込まれている女性が、怪奇な事件で命を落とした可能性がある。
保険をかけるという意味で、調査を頼む必要があると鳴瀬は判断した。
続けて、何度もページを前後させるが、想像したような内容は記載されていなかった。
「ふぅ……男性のほうは、似たような法則はないか」
いかなる形でも――例えば当人ではなく家族でも構わない。
美術に関することプロフィールに紛れていないかを期待したのだが、空振りに終わった。
そこまで都合よくはいかないかと、鳴瀬はため息をついた。
「そうとも限りませんよ」
「どういうことだ?」
「こちらはサービスです」
新たに取り出されたのは、先ほどのものよりは明らかに薄い紙の束。
その一枚めには、若い男性の顔が印刷されていた。
「メモリにもデータを入れておきましたが、被害者達の直近での容姿をプリントアウトしたものになります。半数も集められませんでしたがね」
どうやら渡された用紙の全てが、顔が印刷されたものらしい。
早速、鳴瀬は受け取った紙束をめくった。
十人にも満たない数の人の顔を確認するだけだ、すぐにその作業は終わった。
「これは……」
予想外の収穫に、鳴瀬は思わず唸った。
「全員が……似ている?」
被害にあった男性たちの容姿には、あまりに共通点が多かった。
全体的に顔立ちが整っているのだが、細かい部分でも、黒髪、線が細い、色白という点が完全に一致していた。
「ええ、似てますよね」
「どういうことだ?」
一方で、二名分だけ添付された女性には同様の共通点はみられない。
二人の女性だけを比べても、頭髪の色に輪郭、目鼻立ち、それぞれが似ても似つかない容姿をしていた。
「一応、容姿も分かればと集めてみたところ、数が揃うにつれて驚きましたよ」
「似た容姿の男性だけが、殺害されている?」
鳴瀬は眉を顰めた。
これでは幻獣の性質というより、猟奇的な殺人事件などにみられる傾向ではないか。
「いや、これはそういうことなのか?」
鳴瀬の脳裏に嫌な想像が浮かぶ。
男性のほうには、ある種の法則性が見られる。
一方で二人の女性に、それは当てはまらない。
もしも、他の三人の女性被害者たちについても、容姿に法則性がないのであればどうだろうか?
男性と女性の被害者たちは、二つの別の大きな流れのうえに存在しているのではないか。
それが意味するとところは……。
「別々の事件、なのか?」
「……突然、おそろしいことを口にしますね」
「俺だって、自分で口にしていて嫌な気分になったよ」
「必要なのは、他の被害女性の容姿に関する情報ですか?」
「察しがよくて助かる」
鳴瀬は残ったコーヒーを、味わうことなく一気に呑み込んだ。
受け取ったばかりのメモリを使い他のメンバーに説明するために、オフィスへ帰るべく席を立つ。
「鳴瀬さん。役に立つかは分かりませんが、一つ面白い情報が」
マスターが出口に向かう鳴瀬を、言葉で押しとどめた。
「聞かせてくれ」
彼がこのタイミングで口にするのであれば、今聞くべき内容なのだろうと鳴瀬は足を止めた。
「昨日の事件ですが、警察は事件の線が濃厚だと考えて動いています。
あまりに季節外れです。何らかの理由で前後不覚になったとしても、低体温症となるは不自然ですから」
「順当な判断だな」
「今回も遺体には不自然な点が見つかっていません……が、遺体以外で気になる証言が。
死亡推定時刻よりも前、現場をジョギングのために通り過ぎた近隣住民が妙な車両を見たと」
「妙な車両?」
「はい。現場は暗く、色などは判別できなかったらしいのですが、奇妙な形の箱を荷台に乗せた軽トラックだったと。
ちなみに遺体が発見された時には、そのような車は現場付近には存在していませんでした」
「車両か……犯人が移動に使った? だが、そんな足がつきそうなものを使うメリットがあるのか?」
「事件に関係あるかすら分かりませんし、もう少し掘り下げてからお伝えしようと考えていましたが……」
「そうか……感謝する」
状況が変わったために、優先して伝えてくれたのだろうと察し感謝の言葉を述べる。
そのまま踵を返し、扉に向かって歩きながら「車、か……」と鳴瀬は呟いた。
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