第12話 遺作


 大学構内にある図書館で、空は夏井と横並びに椅子へと腰掛けていた。。

 二人の間、テーブルの上には一台のノートパソコン。


 昼時であり比較的、人が集まる時間なのだが、それでもまだ空席のほうが目立つ。

 館内には穏やかな空気が流れていた。


 美術を主とする大学らしく蔵書は芸術関係が多いが、その絶対数は多くはない。

 外観や内装のデザイン性が重視されており、本棚や椅子、受付のカウンターにいたるまで曲線を主体として構成された空間となっていた。


 結果的に、勉学のためというよりは、落ち着くラウンジといった使われ方をする場合が多かった。

 学校側もその事実は把握しているらしく、ある程度の会話が許容されていた。


 大きな声で騒がない限りは注意されないのだが、空は囁くような声で夏井と会話していた。



「で、後は、数分待つだけ」


 周囲を気にしてのことでもあるのだが、二人の中に堂々と行える作業ではないという感情はあったことは否めない。

 館内でも奥まった、人の往来が少ない場所を選んだのも無意識ではなかった。


 どこでも作業が行えるという意味で、天白の遺品であるというパソコンがノート形式であることは幸運だった。


 3DでもCGを制作する空にしてみれば、グラフィク制作用の機材とは、デスクトップタイプで大型のモニターというイメージである。


 想像とは違い、天白の機材は高額な液晶タブレット――筆圧を高感度で検知する絵描き用の入出力デバイス――とミドルクラスのグラフィックボードを搭載したノートパソコンの組み合わせだった。

 夏井が言うには、動画や3Dに手を出さない限りは、天白と同じような環境の人間は多いとのことだった。


「すいぶん簡単なんだね……」


 必要な行程は電源をつける前に、USBにメモリを刺すだけ。

 成功していれば数分もかからずに全てが終わる、と空は夏井に説明していた。 


 本当に必要な時間は一分もかからないにも関わらずである。

 念のため、凍死事件関する情報が欠片でも残されていないかを疑い、データを全てコピーするための時間稼ぎを含めた時間を告げていた。


 いざという時のため。基本的に見るつもりはないし、見る機会がおとずれても空が担当する。

 そういった約束のもとで行われた秘密の作業であった。


 三十二パーセント。

 デザイン性のないプログレスバーが、作業の進捗を伝えていた。


「はー、凄いんだね、空の同僚さんって」


 最早、閉じられた鍵が開くことを疑っていないのか、心から感心した様子で夏井が言った。


「凄いよ。今回のことに協力してくれた人も、他の二人もね」


 仲間を褒められたことが嬉しくて、空は胸を張った。

 

「四人でゲームを作ってるって話を聞いたことはあったけどさ、どんな人たちなの?」

「私を除くと、幼馴染が二人と、保護者が一人」

「へぇ、幼馴染と活動してるんだ。気楽そうでいいねぇ……」

「幼馴染うち一人は眠そうなイケメンで、もう一人は知的眼鏡イケメンだね」


 知的眼鏡については、残念な口調のせいで容姿のアドバンテージを殺しきっているのだが。


「え、それどこの楽園?」

「で、保護者みたいな人はイケオジだね。ユーモアを忘れないダンディみたいな感じ」

「天国かよ! 特にイケオジの部分」


 夏井がクワッと目を見開きながら声をあげた。


「静かに」


 人差し指を口に当てるジェスチャーをしながら、空はたしなめた。


「いや、だって、イケオジだよ? イケオジなんだよ?」

「夏井の好みは理解した」

「え、いや、どういうこと? そんな天国で働いて、お金も稼げてるのに……どうして飛鳥は学校に通ってるのさ」

「いや、その質問が『どういうこと』だよ。学校に通うのは絵を勉強したいからに決まってるじゃん」


 信じられないといった表情で夏井が言った。

 つい昨日、似たような台詞を聞いたと、空は苦笑しながら答えた。


「その環境、私なら仕事が手につかないかもしれない……」

「まあ、知的眼鏡とイケオジには、それぞれ心に決めた人がいるから、どんな女性も近づくのは無理だろうね。

 元々、私は異性として二人に興味はないけど」


 その点について、幼い頃から一途な想いを抱いている空にすれば、互いに異性として意識することがないというメリットしか感じない。

 あの二人に想いを寄せてしまう人たちについては、ご愁傷さまといった感覚だ。

 間違いなく叶わない恋をすることになるのだから。


「へぇ……あれ、その言い方だと残りの一人は」

「ご想像にお任せします」

「ほほう……これは根掘り葉掘り聞いて欲しいという、前振りだね?」


 楽し気に笑みを浮かべた夏井を遮るように、ピッという電子音が作業の終了を知らせた。


 

「開いたみたいだよ」


 タイミングのよさに「ナイス、ゴッチャン」と心の中で賛辞を送りながら、飛鳥は仕事が終わったことを告げた。


「え、もう?」

「もう」

「そっか……開いたんだ」


 先ほどまで楽し気に話していた夏井の顔には、隠し切れない緊張感がにじみ出ていた。


「それじゃあ、私は帰るけどさ、夏井はこの場で確認していくの?」

「あ、ちょっと待って」


 夏井が焦ったように声をあげた。


「どうしたの?」

「あのさ、もしよければだけど、できれば一緒にチェックしてくれない?」


 不安そうな友人の顔に、空は帰り支度を始めようとしていた手を止めた。


「私が?」

「絵が分かる人に見て欲しいんだけど、ほら、プライベートなものが出てきた時に講師とかの人よりはさ……」

「赤の他人なんだけど」

「だからいいんだよ。変な想像とかすることないだろうし。

 それに飛鳥はさ、いい意味で人づきあいが薄いじゃん。変な形で人に漏らすこともないでしょう?」

「ハッキリ言うね。正解だけど」


 空は頷いた。仲間以外に日常の出来事を話すような相手は存在しない。

 その彼らにしても、故人のプライベートを茶化して話すことを喜ぶようなものは一人もいない。


「ごめんね急に」

「分かった、いいよ。

 でも一緒にチェックするって言ってもさ、私は話題の中心になっている、天白さんの最期の絵を知らないんだけど」


 根本的な問題点を、空は指摘した。 

 見比べなければ、それが同一人物が描いたものなのか分かるはずもない。


「大丈夫。私自身が見比べるために、絵のデータを持ってきてるから。

 あわよくば飛鳥にも見せようと思ってたし」


 夏井は自らの鞄から、ノートパソコンを取り出す。

 高速で起動プロセスが終了すると、最初から準備していたのかデスクトップに置かれたファイルをダブルクリックした。


 紐づけされた画像処理ソフトが立ち上がる数秒の間に――


「驚くと思うよ」


 と夏井が言った。


 モバイルとしては大型の17インチの画面。

 その全面に映し出されたのは、想像を越えた映像だった。


「え……すごっ」


 無意識のうちに、空は驚嘆の言葉を口にしていた。



 それは赤と黄金に染められた世界だった。



 夕焼けに照らされた水面。

 画面の半分を埋め尽くした黄金色の草原。

 日暮れ前に土手から見下ろした河川敷と、堤防にひしめくように生息するススキを描いたものなのだろう。


 ぶるりと心が震えた。


「この絵を見た時は、私も驚いた。これって傑作とか、そう評価されるやつだよね」

「……十二号のキャンバスなんでしょう? これを生で見たら、とんでもないんじゃない?」


 画像でこの質と迫力なのだ、空には本物の持つ魅力を完全に想像することはできなかった。


「うん……凄かった」


 作品を思い出しているのか、目を瞑り、噛み締めるように夏井は言った。


 油彩画が専門ではない空をしても、これが尋常の作品ではないことは理解できた。

 絵画の技術などの面において優れた、いわゆる玄人好みの絵がもつ凄さではない。


 想いを塗りこめた。もっと根源的な『絵』だ。

 

 才能。感性。学ぶだけで埋めれる部分ではない。

 多くの美術に関わるものが、欲しいと切望するそれ。


 一言でいえばそれは……


「天白さんって、天才?」

「私が知る限りだと、普通に上手いって印象で、こんな絵を描くとは……。

 とはいっても、キチンとした絵をみたのは高校以来だから」

「……学校も、これだけ手間をかけるわけだよ」


 学校側は、何も温情だけで動いていたわけではなかったのだと、空は確信した。

 むしろ温情をかけるという建前で、ただこの絵を展示したかったのだ。


 絵に関わるもので者であれば、抱いて当然の感情。

 あまりに素晴らしい絵に対して、多くの目に触れて欲しという純粋な願い。

 関わった各人の心の裏に、嫉妬、羨望、諦め、奮起、色々な感情があるのだとしても。


「もしも、天白さんの作品が飾られるのであれば、絶対に見に行くよ」


 この仕事を受けてよかったという感情が、空の胸に広がる。


「翠も喜ぶと思うよ。自分の見た目とか性格よりも、描いた絵を褒められるほうが好きな子だったから」

「そっか」

「そのためにもさ、素描とか、構図の検討過程とかがパソコンの中に入っているといいんだけど……はぁ」

「見てみる?」


 明らかに踏ん切りがついていない、級友の背中を空は押すことにした。

 夏井は覚悟を決めるように頷くと、マウスを手に操作を開始した。



 必然的に最初に表示されるトップ画面。

 そこに並んでいたのは、最低限のアイコンだけだった。

 

 最初からPCに入っていただろう基本のアプリ。それから家計簿アプリらしきものと、絵画と画像に関するアプリ。

 それぞれのショートカットキーのみが一列と少しの数だけ並んでいた。


 天白という女性は、キチンと整頓のできる性格だったのだろうなと、空は想いを馳せる。

 メンバーでいえば奏多と似ていると、眠そうな目を思い出していた。

 

「えっと、最初に探すのは?」

「画像制作か閲覧アプリの使用したファイルの履歴か……いや、シンプルにデータを保存しているドライブのトップがいいんじゃない?」


 トップ画面を見るに、丁寧に整頓して分かりやすい名前でデータを保存しているのではないか。

 空は、そう予想を立てた。


「分かった」


 表示されたドライブはCとD。

 データの類はDと判断した夏井がマウスカーソルを合わせながら、空へと視線を送る。

 「うん」と頷き、飛鳥は先を促した。

 

 カチリという押し込み音。

 続いて表示されたのは、課題用、趣味、キャラクター、参考、などという分かりやすい名前のフォルダ群だった。


 これならば、捜索に手間取ることはないと、視線を縦に滑らせはじめてすぐのこと。

 問題のデータがあると思しい場所は、拍子抜けするほどに、簡単に見つかった。



『河川敷』



 探していたのはこれであると空は確信した。

 隣に顔を向けると、夏井の視線はその一点にくぎ付けとなっていた。


「そこだろうね」

「……」


 答える余裕がないのだろう。マウスを握る夏井の手は、少し震えているようだった。

 

 開かれたフォルダの中身は相当数の画像だった。

 ファイル名は全て数字から始まっている。

 八桁のそれらは、日付――年月日であることがすぐに想像できた。


 そのうちの一つを夏井はダブルクリックする。


 それは、どこかで見たような河川敷のデッサンだった。

 続いて、別のファイルをクリックする。

 それもまた、同じ河川敷のデッサンだった。


 複数のファイルで、閉じては開くを繰り返す。


 表示されるのはすべて、河川敷。

 季節も構図も、少しづつ違うそれらは、やはり同じ場所を描いていた。



「……この場所に、余程思い入れがあったのかな? この場所が好きだったのかな?」


 震える声で夏井が言った。 


「じゃなきゃ、あんなに素敵な絵は描けないんじゃない」


 空は本心を口にした。 


 美しいとは思うが、他に類をみないほどの場所だとは思えない。

 だというのに、ひたすらに繰り返されたデッサン。


 特別、という言葉が思い浮かぶ。

 他人にとっては、他愛のないものでも、彼女にとっては大切な何かだったのではないだろうか?


 ただ少人数でゲームを作っているようにみえる集団が、空にとっては守るべき楽園であるかのように。

 彼女にとって、この場所には別の意味があったのではないか?


「翠……見つけたよ」


 夏井の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。


「よかったね。この絵を描いたのは彼女だと思うよ」


 それに気づかない素振りで飛鳥は彼女の背中とポンと叩いた。

 

 下描きは一枚だけではない。

 構図が固まるまでに描かれた膨大な素描も存在している。

 間違いなく、天白という女性の絵だと認められるはずである。


「……うん」

「これで」

「……うん、ありがとう」


 夏井が空に頭をさげた。

 その瞳からは、ポタポタと涙が零れ落ちていた。

 

「ホダカ、って?」


 瞳を真っ赤にしながら、ファイルの閲覧を続けていた夏井が声をあげた。

 気になった空は、彼女の視線の先を追った。


 開こうとしていたファイル、そこには日付以外にもローマ字で『Hodaka』という文字が加えられていた。

 画像を開いてみても、同じ場所でのデッサンであり、その内容に大きな差異はない。


 同様の名付けがされたファイルが、七つほど存在した。


「これなんだろう?」

「ホダカ……ホダカ。うーん、どこかで聞いた気が」

「そんな名前の有名な山がなかったっけ?」

「いや、そういうのじゃなく、もうちょっと……駄目だ考えがまとまらないや」


 空の問いに、考え込むようにして夏井は応えた。


「そうだね、今は先にやることがあるか」

「うん。はぁ……とにかく、このことを学校に説明して、それから翠のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも知らせないと」

「あと一息、頑張って」

「うん」 


 ゴシゴシと袖で目元をぬぐった夏井は、気合を入れるように深く頷いた。


「それから、そのパソコンは七を七回入れれば開くようになってるはずだから。

 必要なら、すぐにパスワードを変更してね」

「飛鳥、本当にありがとう……って、痛っ」


 二つのパソコンをシャットダウンしながら、後片付けをしていた夏井が机に手を強打する。


「気をつけなよ、私のことはいいから」


 時間が惜しいのだろう、世話しなく動き出した彼女に空は苦笑した。


「お礼は、また今度でいい?」

「期待してる」


 しばらくは、こちらも忙しくなるかもしれない。

 互いに落ち着いてから、ランチでもともにしよう。

 その時には、逆に頑張った彼女にデザートを奢ってあげようか。


 そんな取り留めもないこと考える空の脳裏には、夕焼けの河川敷を描いた一枚が強烈に焼き付いていた。

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