第6話 死者から届いた絵


 構内にあるカフェのテラス席から、空は何をするでもなく周囲を眺めていた。


 大学に進学する前は、もっと雑然とした場所を想像していた。あるいはこの学校が特殊なだけなのだろうかとも思う。

 建築物の数々は近代的なデザインで、校舎というよりもイベントホールや美術館といった佇まいである。

 敷地全体は、どこか公園然としており穏やかな空気を常に湛えていた。


 前に顔を出して時には緑一色だった梔子が、可憐な花を咲かせている。

 風にそよぐ白色を見て、自らが通学する機会が減っていることを改めて感じていた。


 今年に入ってからは、ゲーム制作に関連したイラストも課題と認められることになり、好きな作業をしているだけで単位まで与えられるようになったのだ。

 起業し、かつ軌道に乗せていることが評価されたのだろう。

 CGの専攻という比較的歴史が浅い学科だからこそ、柵なく柔軟に対応できるのだと大学側は説明していたが、それでもかなり融通してくれたことを空は察していた。


 注文したサンドウィッチを食べ終え、これからの予定を考えることにする。

 腕時計を見れば、時刻は午後1時半を過ぎたところ。

 次回作の資料を探して本屋でも巡るべきか。いつものようにオフィスに戻って気ままに過ごすのもいい。



「飛鳥、学校にいたんだ?」


 空の視線の先、全身をエスニック調の服で固めたウルフカットの女性が声を張り上げながら手を振っていた。


「夏井、声大きいから……」

「学校に来るなら返事くらいくれよ、この美少女が」


 夏井と呼ばれた女性は駆け足で距離を詰めると、空の向かい側にある白いガーデンチェアへと腰掛けた。

 その容姿や言動は、南国の花のような生命力と艶やかさを感じさせた。


「返事って?」

「昨日の夜、パソコンにメール送ったんだけど。時間をとって話ができないかって……見てない?」

「ごめん、昨日の夕方から、自宅のPCピーシーは一度も立ち上げてないや」


 空の返事に、夏井は大袈裟に深くため息をつく。


「はぁ……マジでスマホ持とうよ。いや、ガラケーでもタブレットでも何でもいいからさ」

「私、モバイル機器を持つと爆発して死んじゃう体質だから」


 実際は、壊れるのは体ではなくモバイル機器のほうであるが、理由を説明できるはずもなく空はいつもどおりに適当に誤魔化しを述べた。


「なら、伝書鳩でもいいからさ。丸一日連絡とれないのざらじゃん」

「その場合、頻繁に夏井の部屋にも鳩が訊ねていくことになると思うけど」

「クルックー、うるさそう……」

「私は管理会社に追い出されそう」

「鳩は駄目だわ」


 どちらからともなく視線を合わせると、二人は不毛な議論を打ち切った。


「で、どうしたの、話の流れ的に用事があるってことだよね」

「うん、頼みごとがあってさ。飛鳥って、ゲームを作る会社に所属してるじゃん?」

「所属してるね」

「つまり、パソコンに関しての知識も持っている?」

「そこは素人に毛が生えたくらい。同僚たちが詳しいから、頼りっぱなしだよ」

「なるほど……その同僚さんたちの力をお借りすることっていうのは可能でしょうか、飛鳥様?」

「内容によるけれど」


 明らかに乗り気でない態度で空が言った。厄介なことであればこそ、仲間を関わらせるつもりはない。


「えっとね、こう……パスワードがかけられたパソコンの中身を見たいなぁって」

「…………」


 空は無言で「こいつ、ついにやりやがった」という目を友人に向けた。


「いやいやいや、そんな目で見ないで。これには理由があるから、正義は我にありだから」

「凄い断りたいんだけど、っていうか断る」


 空の経験上、自らを正義という人間が純粋な正義であった試しはない。


「飛鳥様……無力なアタイの話を、どうか最後まで聞いてくださいよぉ」

 突然の卑屈な態度。わざとらしい揉み手のオマケつきである。

「へっへっへ、少し話が長くなるので、何か飲み物を買ってきますぜ」

「はぁ……レモンスカッシュで」


 あまりに安い買収を持ちかけてきた友人に同情し、とりあえず、話だけは聞いてみることを空は決めた。


                  *               


「ちょっと、変わった話なんだけどさぁ……」


 夏井がグラスを傾けアイスティーを一口だけ飲み込む。

 付属のストローを使うという、一握りの嫋やかささえも発揮するつもりはないようだった。


「変わった話?」

「そう。キッカケは、お隣の板橋美大の事務局に届いた一枚の絵なんだ。ある風景が描かれた十二号サイズの油彩画なんだけど、差出人に問題があってさ。

 差出人の名義が、半年前に事故で亡くなった女子学生のものだったんだ」

「死者から、絵が送られてきたってこと?」


 突拍子もない話題に、空は訝し気な表情を浮かべた。


「宛名だけをみればね。付属されていた手紙を見るに、実際に絵を送付したのは匿名の第三者みたいだけれど」

「その手紙には何が書いてあったの?」

「送った絵は、天白あましろみどりという学生から預かった絵になります。

 是非、彼女が生前希望していたとおりに、生徒作品の展示会に飾っていただけるようお願いします……そんな内容だったみたい。

 又聞きだから、細かい部分は違うかもしれないけど」

「手紙を書いた人の名前や素性について、何か書かれていなかったの?」

「うん。書かれていなかったみたい。完全な匿名だってさ」


 悪事どころか親切の類だというのに。

 名前を隠すような理由があったのだろうかと、空は興味を覚えた。


「内容を聞いた限りでは、学生さんの親族や友人の誰かが、彼女のために遺作となる絵を送ってきたって印象を受けるけど」

「大学側もそう判断したみたい。手紙の内容が正しいことが証明されて、遺族の許可が出れば展示したいって」

「人情味溢れるというか、手厚い対応だね」

「その学生の人柄や抱えていた事情がプラスに働いたみたい。後は届いた絵がとにかく凄い出来でさ……」


 まるで、その絵を見たことがあるような言い回しが気になったが、話の先を聞くために空は疑問の言葉を飲み込んだ。


「早速、大学側は彼女と関わりのあった学生や教員に声をかけて、絵の判別を頼んだみたい。これは彼女が描いたものかどうかって。でも、大学側では答えを出せなかった」

「そんなに難しい話じゃないよね? 在学中に描いた課題と突き合せればいい話じゃない?」


 真面に大学に通っていたのならば、比較するための作品は数多く存在するのではないか。

 結局、授業の大半は作品を作ることである。学校は違えど、そこに大差はないはずだと空は考えた。


「うん。もしも、彼女が油彩画専攻だったら、空の言う通りだろうさ」

「違うんだ?」

「彼女の専攻は、うちでいうヴィジュアルデザイン科……ロゴやキャラクターデザインなんかが専門だったの。

 デッサンとかの基礎授業を除いて、基本的にパソコンを使っての制作だってさ。だから学内には彼女の油彩作品は一点もなかったんよ」

「……届いた絵は油彩の風景画なんだよね?」


 空は首を傾げた。ポニーテールがふわりと揺れる。


「うん。少なくとも学校の授業で描く機会はなかったみたい」

「逆にそれが、彼女の作品じゃないって証明になるんじゃない?」


 少なくとも、亡くなった女性には油彩画を描く技術が無い証明にはなりえる。


「それがさ、その子は中高と美術部に在籍していて、油彩画を描く技術と道具を持ってたのさ」

「描こうと思えば、描けるってことか……」

「しかも、最近、画材を使用した形跡があるんだよね。使っていたと思われる色も、絵に使われたものと酷似している」

「じゃあ、その人が描いたんじゃない……とも言い切れないのか」


 それらしいという程度の理由で展示した場合、後で誰かが真の書き手だと名乗り出れば、間違いなくややこしいことになるだろう。


「それで大学側は遺族――ご両親は亡くなっているから、母方の祖父母に相談することにしたの。

 話を聞いた祖父母も是非協力したいって乗り気になったみたい。ところが遺品を探してみても、問題の絵の下描きすら見つからなかった。

 唯一、可能性が残ったのが……」

「その子のパソコン?」

「そう。生前使っていたのパソコンの中身。絵をスキャンや撮影したデータが残ってるかもしれないし。問題の絵について、誰かと交わしたやりとりが残ってるかもしれないでしょう?」



「ふぅん……」

 レモンスカッシュ一杯分の時間を経て、ようやく繋がった話に、空は思わず声を漏らした。

「でもさ、交友関係を調べるなら、パソコンよりもスマホを調べたほうがいいんじゃない?」


「あの子、ちょっとした事情で一年くらい前に解約したから、スマホを持ってなかったんだ」


 夏井の口から出た『あの子』という言葉は、どこか親し気な響きを帯びていた。

 亡くなった女性は、彼女の知り合いであるようだと空は確信した。

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