第5話 おっさんとは哀愁と経験値の塊
「異常でしょう? この地図に記されている点の三分の一が、四月以降に低体温症で亡くなったものたちです」
秀人がキーを叩くと、それに合わせて画像の赤丸のうち幾らかが点滅した。その数は少なく見積もっても十を越える。
春の夜に発生する複数の凍死者。何かが起こっていることは明白だった。
「これは、さすがに不自然なんだよね?」
「拙者が一ヶ月の間に、一度もハンバーガーを食べないくらいには不自然でしょうな」
「不自然の極みじゃん……」
週に二、三度はかかさずに食べている姿が、事務所において目撃されている。
それでいて、たいした運動もせずに細身なのだから、一体カロリーはどこに消えているのか不思議だと他のメンバーは常々疑問に感じていた。
「凍死者の数と気温はデータ上連動しております。本来であれば遅くとも三月辺りまでがピークなようで。
さすがに警察も疑問を抱いて何件かに関しては捜査しておりますが、今のところ事件と断定できたものは皆無ですな」
「どうして?」
「物を盗られた様子もなければ、身体に目立った傷跡もない。被害者の足取りを辿っても不審な点はない」
「……どれほど不審だとしても事故だと処理するしかなかった?」
「ええ。ですが、我々は知っておりますからな、設定上こんな状況を作り出せそうな存在を」
ニヒルな笑みを、自称闇属性の青年が浮かべた。
「正直、思い当たる幻獣は何体かいるね」
「とはいえ、これが現実の事件ではないという確たる証拠もないわけでして。例えば、冷凍施設などを使っても近いことは出来きるとは思いませんか?」
「出来るだろうね。後は遺体を運ぶ手段さえあれば、この状況は作れる……そうか、調査中っていうのは幻獣絡みであるという確証を探しているってことか」
「あるいは、現実の事件ではないという否定の材料で――」
そう秀人が答えを口にしようとした瞬間。
「お前ら喜べ。その材料とやらを入手してきたぞ」
会話を遮るかのように、二人のすぐ背後から声が発せられた。
二人が振り返ると、そのすぐ傍に、白いYシャツの上に焦げ茶色のウエストコートを着た男が腕を組んで立っていた。
陽気のせいだろうか、シャツの袖は軽く捲られていた。
大型の猟犬のように眼光鋭い、精悍な顔つきの中年男性。名は鳴瀬統一郎。クインテットの音周り担当で最年長メンバーである。
「ビックリしたぁ……ナルさん、こんにちは」
「おう。それっぽいことを言いながらドラマティックに登場したくてな……気配を消してばれないように近づいてきた」
「いや、子どもじゃないんだから……」
「さすが師匠、実にドラマティックでした」
秀人がサムズアップしながら賞賛の言葉を口にした。
「二人とも、昨日はお疲れだったな」
「一息つく暇もなさそうですけどね」
労いの言葉に対して、奏多は肩を竦めた。
「その分、目的に近づていると思えばいいさ。追加の資料は一部の事件についての詳細と、被害者数名分の個人情報だ」
「本当、ナルさんは、どこからそういう情報を仕入れてくるんですか?」
どう考えても個人では手に入れられない、手に入れるべきではない情報。
それを当然のように取得してきた鳴瀬に対して、奏多は呆れた視線を向けた。
「蛇の道は蛇。おっさんの道はおっさん。おっさんには独自のネットワークがあるのさ」
鳴瀬以外のメンバーは全員が大学生だ。
どうしても交流する相手は限られ、特に同年代で固まりがちとなる。
人の繋がりという点においては、鳴瀬の人脈はカルテットの要となっていた。
「おっさんの道って、何やら哀愁漂う響きですね」
「まあな。おっさんっていうのは、哀愁と経験値の塊のような生き物だからな」
「くぅー、今日も師匠から溢れ出る大人の余裕が眩しい限りですな」
「え、今、眩しい要素どこかにあった?」
「個人情報に関しては、秀人が収集しているもののほうが量も質も上だろ。だが警察関係については収穫ありだ」
不敵な笑みを浮かべながら、鳴瀬は紙の束を秀人が座るデスクの上に置いた。
「師匠の収穫とは、期待が天井知らずに高まりますな」
「期待に応えられるといいが。数件、警察が事件の可能性が高いと捜査しているのは知ってるか?」
「はい、ゴッチから聞いたばかりです」
「最初は、そちらが進展していることを期待していたんだが……むしろ事故として処理された方にこそ、興味深い情報があった」
鳴瀬はおもむろに資料と捲ると、あるページで手を止めながら二人に内容を読むように促した。
「これは……」
「先月、小岩で亡くなった四十代の男性なんだが、遺体となって発見されるほんの十五分ほど前まで居酒屋で元気に飲食をしていたらしい。複数の客と店員がそれを目撃している」
「店を出て後で、たった十五分の間に男性は死亡したってことですか? 資料を見るに、四月の二十日ですよ?」
秀人の背後から、資料を覗き込みながら奏多は疑問を口にした。
「真冬の吹雪の中で裸にでもならない限り、そこまでの速度で死ぬことはなさそうな気がしますなぁ」
「四月の東京都内じゃあどう転んでも難しいだろうな。当然、男が亡くなった時には衣服は身に着けていたぞ」
「外気以上の、それこそ冷蔵庫の中にでも放り込んだとか?」
奏多の脳裏に、びっしりと霜で覆われた冷凍施設が思い浮かぶ。
「そこで気になるのは、遺体には目立った異常がなかったという事実だ。
人体を外部から急速に冷却すると、皮膚や内臓の状態に大きく変化が表れてしまうにも関わらずな」
「ええと、つまり、遺体は時間をかけてゆっくり冷やされたってことですか?」
「目撃証言とは矛盾しておりますな……」
「だからこそ、警察は客や店主による証言に誤認があると断定した。
死体が嘘を吐かないのであれば、店の時計やレジの時刻設定が狂っていたんだろうってな。そして事故と結論づけたわけだ」
「……事情を知らなければ、多少苦しくても他に選択肢はなさそうですな」
「幻獣の仕業で確定ですかね?」
「それを前提に動くべきだろう。たった十五分で痕跡も残さずに人を低体温症にさせる能力者がいるなら、遺体の状況も目撃者の証言にも矛盾はなくなるからな」
鳴瀬の意見に対して、秀人と奏多は揃って頷いた。
「んー、気になるのは幻獣の仕業だとしても、どんなスキルを使ったのか見当もつかないことかな。
単純に対象を巨大な氷で包んだりといったスキルは思い当たるけど……」
「遺体の状況が、それを否定している……か」
「はい。思ったよりも複雑な事件なのかもしれません」
「まあまあ、まだ調査は始まったばかり、いつもどおり腰を据えて行いましょうぞ」
深刻そうな表情の二人を励ますように、秀人は明るい声を出した。
「了解。でもさ、ゴッチ。今回は少しだけ急いだほうがいい気がするんだ」
幼馴染の気遣いに頷きながらも、奏多は気懸かりな点を口にした。
「何ゆえに?」
「この時期に入っても犯行を続けているってのが、嫌な感じがするんだよ」
話の途中から違和感を感じていた。
凍死させることの意味はどこにあるのか、と。
冬であれば、寒さそのものが勝手に事件のカムフラージュとして機能する。
それが目的であるならば、夏の気配さえ感じられる今は犯行を控えるはずである。
だというのに凶行を続けているのであれば、その意図が一部だが透けて見える。
「少なくとも犯人は……犯行を止める気が全くないんじゃないか?」
呟いた奏多の視線の先には、夏めいた雲が忙しそうに青空を泳いでいた。
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