第3話 五分の三


 東京都荒川区。ゲームソフト開発会社【クインテット】。


 そのオフィス――という名のマンションの一室では、一組の男女が熱い討論が繰り広げられていた。


「どう考えても、このキャラのスカートは、もう十五センチほど伸ばすのがベストでしょうに……」

「今でも膝丈まであるんだよ? 元気キャラなんだから、これ以上伸ばすと印象が清楚とか大人しいに変わるよ?」


 直立不動で意見をぶつけ合う姿からは、互いに決して譲らないという強い意志が感じられた。

 もっとも、討論している内容が、その情熱に見合うほどに崇高な内容かといえば話は別なのだが。


「はぁ、トリーは分かっていない。分かっていないトリーは」


 五霞ごか秀人ひでとは、倒置法を使って遺憾の意を示した。


 スマートな体系に鋭い目つき、細い銀フレームの眼鏡の組み合わせで、知的な印象の青年だ。

 無造作に延ばされた黒髪は、整った顔立ちせいで周囲に不潔感を与えることはない。


「このキャラの元気さ加減はスカートの丈で表現せずとも、髪型や顔立ちで表現できているわけですよ。ラーメンでいったら、汁を見た時点で醤油味だと分かるようなレベル。

 そこに、メンマやチャーシューを加えてみるのはいかがですかと、拙者はそう申しているのです!」

「そんなところまで考えてるんだ。深い……さすがゴッチャン」


 飛鳥あすかそらは同僚の見識の深さに、恐れ戦いた。

 猫のような釣り目が見開かれ、ラフなポニーテールがゆらゆらと揺れる。


「ふっ、深淵の五霞と名乗ってもいい頃合いかもしれませんな」

「空さん、騙されちゃ駄目だから。ゴッチはただロングスカートが好きってだけだよ……っと」


 これまで黙って話を聞いていた青年――阿諏訪あすわ奏多かなたは、ソファに寝ころんでいた状態から上半身だけを起こしながら無慈悲にジャッジを下した。


「ふっ、カナタンの千里眼、おそるべし」

「危なかった。ゴッチャンの欲望を満たすために、時間を無駄にするところだった」

「そのデザイン、凄く素敵だから、そのまま使おうよ」

「そう?」


 奏多のフォローに、空ははにかむように笑って頷いた。



 近年、ゲーム業界において存在感を発揮している、独立系あるいはインディーズ等と呼ばれる形態の開発会社。


 多くの資本と人員を抱える大手メーカーが大型船だとするならば、少数で独自色の強いソフトを開発する、フットワークが軽い小型の快速艇のような存在だ。

 三人が所属するクインテットも、そういった会社の一つである。


 五重奏、五人組を意味する社名でありながら、従業員は四名しか存在しない。

 この場にいる三人に一人を加えた変わり者の集団として、コアなゲームファンや同業者の一部には知られた存在だった。

 そして彼らこそが、とある特殊部隊の隊長が推測した、恐ろしいまでの精鋭。その正体でもあった。


「奏多はもう大丈夫なの?」


 空は数分前までソファで寝ていた同僚に心配の声をかけた。

 ふわっとしたツーブロックヘアに、盛大な寝癖が見てとれたからだ。


「うん、夜遅かったから寝不足なだけ。怪我をしたとかじゃないよ」


 元々、いつも眠そうだと揶揄される顔を、さらに緩ませながら奏多は言った。


「一段落ついた時には、お日様がグッドモーニングしておりましたからな」


 昨晩は総力戦であり全員が疲労を感じていた。

 特に戦闘を行った奏多のことを、他のメンバーは気遣っていた。


「ナルさんは?」


 空は無人のデスクへと視線を向けた。


「急な用件が発生したから、三人で進めてろってさ」


 この場にいない仲間から託されたメッセージを奏多は伝えた。

 秀人と空は頷き、了解の意を示した。


「そういうことならば、早速……」

 表情を引きしめながら、秀人が報告を開始する。


「オーガこと紅沼は檻に収容されましたぞ。負傷の度合いは不明ですが、命は落としていないようです」

「間違いなく全力で攻撃した。間違いが起こってもいい相手だと思ったから。断言するけど、手加減スキルは存在する。感覚的には発動も確認できた」


 鬼による凶行の被害者に関する資料を思い出し、突き放すようなトーンで奏多は事実を口にした。


「私も上から見てたけど、普通であれば死んでもおかしくない傷の深さだったと思うよ。かなりタフそうな相手だったのに、一発で意識飛んでたし」

「すべての特殊系スキルも、我々が知るとおりの仕様で確定ですかな」


 満足そうな笑みを浮かべた秀人に対して、奏多はゆるゆると首を横に振る。


「そうなると喜んでばかりもいられない。特に必中や防御貫通、状態異常系のスキルは対策を慎重にしなきゃなくなる」

「麻痺とか毒とか、練度に関係なく効きそうですからなぁ」

「私たちが所有していないスキルに関しては検証すらできないもんね。対策が難しそうだよ……」


 まるで犬や猫の毛を撫ぜるように、奏多の寝癖を手櫛で直しながら空が呟いた。


「まあ、その点も徐々に対策をとってまいりましょう。最悪、厄介な相手ならばCOSDにぶつければいいわけで」

「ゴッチ、ブラックだな」

「ぐふふっ、闇属性という意味では否定できませんな」


 秀人は自慢気に笑った。


「ゴッチャンが黒い服ばかりを着てるのは、そのせいなの?」

「それは、そういう趣味なだけ。俺の右手が疼く的な……」


 奏多はグフグフと笑う幼馴染を、生暖かい目で見つめた。


「ちなみに、情報の隠蔽はいつもどおりに成功したかと。一般への情報拡散は今のところ、噂レベルでも確認できませんな」


 予想通りの内容に、奏多と空は安堵の表情を浮かべた。

 昨晩のような状況はこれまでに幾度も体験してきたが、だからといって誰も油断はしていなかった。 


「昨日に関する報告は以上ですな。二人からは?」

「私は別に」

「僕からも特に」


 これで数日に及んだ調査は終了である。全員の顔に自然と笑顔が浮かんだ。



「時間が空いたのなら、私は大学に顔出してこようかな」 

「神かよ。トリーは真面目の神様なのかよ」


 秀人は驚愕の表情を浮かべた。


「いや、課題を提出しにいくだけだし。しかも、学校に行くの5日ぶりなんだけど……」


 むしろ、不真面目な部類だと空は苦笑した。


「今年に入ってから、こっちに顔出す頻度が高くなってるけど大丈夫?」


 奏多は疑問を口にした。昨年まで、幼馴染が苦労しながら出席率を確保している姿をみていたからだ。


「三年になって座学が減ったんだよ。相変わらず課題のペースはきついけど、後はもう、とにかく作品を作って提出しろって感じ。

 就職活動用に、自由に動ける時間を増やしてるのかもね」


 だから大丈夫なのだと、空は微笑んだ。


「空さんは就職先も決まってるし、課題もここが一番やりやすいってことか」

「そうそう。ご飯も機材も話し相手も、ここ以上の環境はないから」


 事務所があるマンションの裏手には商店街が存在しており、夜遅くでも数件の飲食店やコンビニが営業していた。


「ところでさ、ゴッチャンこそ、いつ大学に行ってるの? 最近、ずっと事務所にいる気がするんだけど……」

「僕もゴッチが学校行ったって話、最近まったく耳にしない。というか、いつ来ても事務所にいるし」

「拙者、単位よりも大事なものが、学生にはあると思うわけで」


 秀人は不敵な笑みを浮かべた。


「無いから。単位は大事だから、卒業できないから」

「やだー、卒業がどうとか、急に下ネタを言わないでくださいますか?」

「無いから。今の会話に一ミリも下ネタ要素は無いから」

「二人は、今日もいい感じに馬鹿だよね」


 幼馴染同士のやりとりに、空はカラカラ声を出して笑う。


「まあ、話を戻しますと、クインテットを全面的に優先しているだけですな。休学や自主退学も視野にいれておりますぞ」

「え、マジで?」


 幼馴染の考えを聞いて、奏多は驚きの声をあげた。


「マジです。すでに我々の会社は無事に軌道にものっているわけで。キチンと卒業の意志を見せている二人こそ異常に見えますな……控えめにいってエイリアン?」


 形式的に起業しているというわけではなく、しっかりと企業運営は行われている。

 すでに三ヶ国語に対応したPC向けのゲームを三本リリースし、いずれも中々な利益での売りあげをあげており、外部に委託している部分の費用を考えても十分な利益を上げていた。


「僕の場合は、アイツと大学を卒業したら一緒にゲームを作るって約束していたから、卒業だけはしておきたい。再開した時に笑われそうだ」

「私は卒業したら、学問として美術を習う機会がガクンと減りそうだからなぁ。腕をあげるチャンスは逃したくないよ」


 迷う素振りさえ見せずに二人は答えた。心からの言葉であることは明らかだった。


「ぐおぉ、幼馴染二人が光属性な件について……や、闇属性にはハードな環境ですな」


 秀人は苦しそうな表情を浮かべて、デスクへと突っ伏した。ダメージを食らっている様子を表現しているようだ。


「それじゃあ、大学の帰りにまた寄るから」


 隣で繰り広げられる小芝居には触れずに、空が言った。


「了解。僕とゴッチは夜までここで作業してると思う」

「じゃあ、パパッと言ってくるよ」


 ひらりと手を振りながら扉の向こうへと消えていく背中を、男子二人は見送った。


「俺たちも昼飯行こうぜ、ゴッチ」

「今日は、ラーメン様に呼ばれている気がしますが……」


 いつの間にか姿勢を正していた秀人が、しれっと要望を口にした。


「じゃあ、昼飯はラーメンにしよう」

「やっふぅ!」


 奏多は、そのアイデアをあっさりと受け入れる。

 異論がないどころか同じことを考えていたのだ。


 何だかんだと気の合う幼馴染二人は、事務所を後にした。

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