第6話
「お頭!」
「――何だ? うるさいな」
「すみません。うるさい奴らが来まし……」
かすれ声で倒れていくゴロツキの向こうから、ダイスとカキが姿を現しました。その顔は怒りを隠しきれておらず、開いた瞳孔に浮かんだ血管に血が出るほど握った拳が見えました。男たちは巨人の足音のように船を揺らすくらい強く歩みを進めました。
「お前たちか、人さらいなんかしやがって、このやろう!」
「これは見逃せませんね。人権も何もあったものじゃないですね」
カキは人権がどうとか言いましたが、この時代には人権という概念はありませんでした。人権はルネサンス期以降にできた新しい考え方であり、お頭やゴロツキや束縛された人々は誰ひとりこの言葉にピンと来ていませんでした。しかし、人さらいがダメだというニュアンスは分かっていたので、お頭とゴロツキたちは敵意をむきだしにし、束縛された人々は熱烈歓迎しました。
「またボコボコにしてやるぜ、お前ら!」
「お頭、ここは俺たちに任せてください」
「くたばれ、くそ、おら、どりゃー!」
ゴロツキたちはお頭に対して格好つけるために、お頭の迎え撃ちを口で制して自分たち10人くらいだけでハチのように一気に襲ってきました。カキはダイスに対して自分だけで十分だと言わんがばかりに手で制して1人だけ前に出ました。お構いなく集団で攻めてくるゴロツキたちは各々の刃物を振りがざしました。
カキは隠していた鋭利なものを右手で取り出し投げ飛ばし、それでゴロツキの1人の左目を刺しました。刺されたゴロツキは叫びながら床に倒れて目を抑えました。ゴロツキたちは刃物だと思いその鋭利なものを見ました。
そこには鉛筆が刺さっていました。
「鉛筆!?」
「こんなもので刺したのか?」
「ふざけたことしやがって」
ゴロツキたちは鉛筆であることに驚きました。刃物や石なら投げつけた経験があるゴロツキたちからしたら、鉛筆を投げつけてくる存在は前代未聞だったのです。少し困惑しましたが、周りのゴロツキたちは鉛筆だろうが投げつけてきた男を見て、卑怯だと罵ります。
「卑怯ですと? 君たちのような悪党に言われる筋合いはないが、悔しかったら真似したらいいではないか。どうだ? 君たちも何か隠しているのではないのか?」
カキの冷静な返答を聞いたゴロツキたちは隠していた刃物や石や投げつけて、カキの体をメッタ刺しにしたり傷だらけになることを期待しました。しかし、カキはそれらを鉛筆で1つ残らず綺麗に叩き落としました。落ちた物たちは綺麗な半円を床に描いていました。
「うーん、きれいな円ですね。我ながら上手くいったものです」
カキは少し舞い上がっていました。ゴロツキたちはその不可解な言動に疑問を呈しました。カキは怒りも冷静さも少し忘れて嬉しそうに説明しました。
「すみませんね。私は幾何学を専門にしていまして、きれいな図形を見たら興奮してしまうのですよ。ほら、見てくださいよ、きれいな円ですよ。そもそも円というものはある一点から同じ距離にある点の集まりのことでして、その方程式は距離の方程式であり、距離の方程式とは直角三角形の辺の長さの方程式であり、直角三角形の辺の長さの方程式とは補助線を引きまくって大きな正方形を作ってそれの面積を2通りの求め方をしてイコールで結びつけて式変形しまくったら……」
ゴロツキたちは大混乱しました。聞いたことのない言葉の羅列に開いた口が塞がらない状態でした。異文化コミュニケーション。
意味わからない相手だがここで倒さないとお頭に殺されるということで、ゴロツキたちは再び襲い掛かりました。カキは有頂天に自分の世界に入り浸って数学談義を続けていまして、鉛筆をまっすぐ伸ばして狭いスタンスでほぼ棒立ちでしたので、隙だらけに見えました。束縛された人たちは悲鳴を上げ、ゴロツキは勝ちを確信したようにうすら笑いを浮かべ、お頭は神妙な面持ちでいました。
カキは一人で話の続きをしながらゴロツキの攻撃を避けて鉛筆で反撃しました。その動きは舞のように優雅なものであり、見るものを魅了しました。ゴロツキたちは涙を流すくらい感動して豊かな心のまま鉛筆で切られていきました。
――全てのゴロツキたちが倒れて、大きな円を描いていました。それはカキが円を描くような動きをした所に起因するものであり、幾何学的に有効だとして編み出した戦い方です。数学をいろいろな分野に応用することは昔からあることです。
ちなみに、カキの戦い方はスペイン剣術に近い戦い方です。スペイン剣術とは、剣をまっすぐ伸ばして狭いスタンスの棒立ちに近い体制で円を描くように攻めるものであり、中世ヨーロッパにおいて最強と言われた剣術です。この時代の日本では誰も見たことがないその剣術は、その場を制圧しました。
「おい、そこのお頭と言われていた君、その女の子を話してください」
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