第32話 善意の返却
「お礼なんて、全然よかったのに!」
三日学校を休み、土日を挟んだ週明け。
借りていたスーツケースを菓子折りとともに犬井さんに返すと、慌てたように彼女にそう言われた。
少し困っているようにも見えたので、菓子折りは失敗だったかと思いながらチラリと泰虎を見る。すると笑顔でグッと親指を立てられたので、どうやら成功だったらしいと安堵した。
司狼に、クラスメイトにスーツケースを借りたのだが、お礼は何がいいか相談すると、あの男は面倒そうに「スーツケースにエロ本詰めて返せばいんじゃね?」と言った。相手は女の子だと説明すると、意外そうな顔をしたあと「女でもエロ本読むだろ」と言うので、さすがに相談相手を間違えたことは僕にもわかった。
パシリにしている知り合いに電話して、エロ本を調達させようとしたので止めておいた。パシリの人も可哀想だが、エロ本をお礼に渡される犬井さんも可哀想だ。
「ありがとう。本当に。おかげで助かったよ」
「う、ううん! 役に立ってよかった」
「で? どうだったんだよ、虹」
僕らのやりとりを満足そうに見ていた泰虎がそう聞いてきた。
悪意のない、だが好奇心が押さえられないといった顔をしている。
「どうって?」
「とぼけるなよ。好きな子と旅行してきたんだろ? 何か進展あったか?」
なぜ僕がファミリーサイズのスーツケースで好きな相手と旅行するという発想になったかはわからないが、特に否定はしなかった。
少し考えてから小さくうなずく。
「お互い、欲しかったものを見つけられたよ」
「ふーん? よくわからんけど、良かったな!」
バシンと勢いよく背中を叩かれよろける。
相変わらず力の加減を知らない。そういうところは司狼とよく似ている。兄を心底嫌っている泰虎の前では、絶対に言えないが。
「ところで、どんな相手なんだ? 年上? 年下? 同い年?」
「……何でそんなこと聞くんだよ」
「だって気になるだろ。なぁ、犬井さん?」
「旅行するくらいだから、きっと年上じゃない?」
なぜか泰虎以上に食いついてくる犬井さんに、僕は少し考える。
スーツケースを貸してくれた犬井さんを蔑ろにするのは良くないかもしれない。
「ふたつ年上、だったかな」
「やっぱり! じゃあ大学生?」
「まじか、なんか負けた気分だな。美人なのか?」
「美人……だと思う」
うなずく僕に、泰虎はものすごく意外そうな顔をした。
「へぇ……虹がそう言うってことは、相当美人なんだろうな」
「どういう意味」
「だってお前、人の美醜になんか興味ないだろ」
言われてみれば、と納得する。
たしかに美少女だろうが美女だろうが、そういった人の外見には興味はない。だが興味がないからといって、わからないわけではないのだ。
羽子さんはやつれているが、間違いなく美人だ。司狼は野性味あふれる美形で、泰虎は凛々しい男前。総じて皆、骨格がきれいだと思う。
そして羽子さんの外見でいちばん美しいと思うのは、あの意思の強さを感じさせる目だ。
命の灯は消えかけているはずなのに、羽子さんの目は逆にどんどん力強く輝きを増していた。
「虹の初恋だな。その美人、いったいどんな人なんだ?」
今度はからかうような調子ではない、純粋な質問に聞こえた。
だから僕も、真剣に考え、最適な答えを探す。僕にとって羽子さんはどんな人か。
「……僕に、生きるってことを教えてくれる人、かな」
「そりゃあ……」
泰虎は何かたじろぐような仕草をしたあと、犬井さんと顔を見合わせる。
僕は何かおかしなことを言っただろうか。まあ、いつもズレたことを言っているのかもしれないが。
「そりゃあ……大事にしなきゃだな」
幼なじみは、どこか寂しそうに、嬉しそうにそう呟いた。
犬井さんはそれにうなずき「付き合えるといいね」と笑って言う。
「いや。もうフラれてるんだ」
「えっ! ご、ごめんなさい!」
一瞬で顔を青褪めさせた犬井さんが、何度も頭を下げてくる。
泰虎は「あきらめるな、虹!」と暑苦しく励ましてくるので、何でも正直に言うものではないな、と僕はまたひとつ、人付き合いについて学んだのだった。
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