第21話 計画的犯行

 音を立てずに部屋を出たはずだった。

 だが玄関で靴を履いていると、背後から「どこ行くの?」と声がかかり肩が跳ねた。

 恐る恐る振り返る。そこには、腕組みをした母が壁に寄りかかり立っていた。暗闇の中からじっとこちらを見ている。



「ごめん。起こして」


「それは別にいい。それより、いま何時だと思ってるの?」


「あー……うん。ごめん」


「……また司狼くんと?」



 僕は気まずさを感じながら頷く。

 嘘は苦手だ。いや、嘘というわけではないのだが、まったく正直かというとそれも違う。

 母を裏切っている。これから自分がすることで、きっと母に迷惑をかける。そう考えると、胸の辺りが少し重くなったように感じた。



「本当は、彼とはあまり深く付き合ってほしくないんだけど」



 思案するようにそう言った母を、僕は意外な気持ちで見た。

 泰虎には散々「あいつと付き合うのはやめろ」と言われ続けてきたが、母に言われるのははじめてだ。あまり人を悪く言ったり批難することのない母だが、心の中ではずっとそう思っていたのだろうか。



「別に、司狼くんを悪く言ってるわけじゃないの」



 僕の心を読んだかのように母が言う。

 司狼を悪く言うわけではないが、深く付き合ってほしくない、とはどういうことか。首を傾げる僕に、母は困った顔をした。



「ただ、恐いのよ」


「司狼は母さんに暴力を振るったりはしないと思うけど」


「そうじゃなくて……。あんたを手の届かない遠くへ連れて行かれそうで、恐いのよ」



 なんだか似たようなことをつい先日も聞いた気がする。

 母の言う遠くとはいったいどこを指しているのだろうか。ぼんやりと考える僕に、母は「まあいいわ」とため息をついた。



「あんたが心を開ける唯一の相手だもんね。行っていいわ。でも、ちゃんとここに帰ってくるのよ?」



 絶対に、約束。そう言った母の表情は、薄暗くてよく見えなかった。けれど声はとても真剣だったので、僕はしっかりと頷き家を後にした。

 外に出ると夜の湿った匂いと静けさに包まれた。見上げた空に星はない。雲に隠れた月がおぼろげに見えるだけだ。


 長い夜になる予感がした。





 駅前の外付けコインロッカーエリアには、夜でも煌々と明かりがついている。

 その眩しさに目を細めながら、僕はロッカーの二段目を開けた。入っていたシルバーのスーツケースはかなり大きいが、中身は空なので軽々と降ろすことができる。

 スーツケースを貸してくれた犬井さんには、後でお礼をしなければ。だが、お礼に何をすればいいのかがさっぱりわからない。菓子折りを渡すのがいいか。それとも現金をスーツケースに入れて返すべきか。まあ、泰虎に相談すれば確実だろう。

 スーツケースを転がしながら、鈴が丘に向かった。病院の正面玄関はもちろん閉まっているが、時間外通用口がある。小さな入り口から入り狭い廊下を進むと受付があり、そこで名前を記入した。



「こんな時間にお見舞いかい?」


 受付にいた初老の警備員に声をかけられ頷く。


「姉が産気づいたようで。とりあえず色々荷物を届けに」


「そうかい。無事生まれるといいねぇ」


「ありがとうございます」



 やり取りには緊張したが、すんなり通ることができてほっとした。

 羽子さんの入れ知恵で、色々なパターンの言い訳を想定していた。怪しまれるのも覚悟していたのに簡単に信用されると、それはそれで罪悪感が生まれて困る。やはり僕は嘘が苦手だ。

 スマホで時間を確認し、メッセージを送信する。エレベーターで緩和ケアの階に向かうと、扉が開かれた瞬間何かが飛びこんできた。

 驚きながらも受け止めると、飛びこんできたのは白いワンピースを着た羽子さんだった。



「え……早くない?」


「同じ入院患者の人が協力してくれたんだけど、騒ぎを起こすタイミングがちょっと早くて。それより、ボタン! 早く下の階押して!」


「あ。そうか」


 扉が再び閉まり、狭い箱の中にふたりきりになると、彼女はほっと息を吐いた。


「上手くいって良かった……」


「誰かに見られてない?」


「うん。ナースステーションは無人だったし、大丈夫」


「薬は?」


「ちゃんと持ってきました!」



 斜めがけした小さなバッグを軽く叩き、羽子さんが笑う。

 普通の服を着て、ベッドにいない彼女は、一瞬どこにでもいる元気な女の子に見えた。

 けれど死の匂いは完全に拭いきれるわけもなく、骨の浮いた手足や、ステントの埋め込まれた胸元からもれ出ている。

 それでも出会ってからいまがいちばん、羽子さんが生き生きして見える。

 僕がこれからすることが正しいとは思わない。けれど、いまするべきことだと確信した。



「大丈夫そう?」


「もちろん。外出なんて久しぶりで、ドキドキしてる」


「そう。……じゃあ、行こうか」



 スーツケースを大きく開き、羽子さんに向かって手を差し出す。

 彼女は笑顔のまま僕にエスコートされ、スーツケースの中にその足を下ろした。




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