第2話1-2普通は
「何をしているのですか?」
僕の声は届いたようで、その日光が反射した顔がこちらをはっきり見上げました。彼女は太い眉毛がしっかりと汗から大きな目を防いでおり、丸い鼻と違った口が僕に向かっていました。僕の悪い予想は当たり、そのボーイッシュな顔はクラスで見たことがありました。
「バスを待っています」
彼女は太い眉毛を下ろして眉間にシワを寄せました、というのもいきなり知らない人に話しかけられたら当然のことでしょう。僕が見たものは、その目に表れた困惑したような凛としたような混ざったものと、慣れた社交辞令のように爽やかに愛想笑いでした。僕はその社交辞令には対応しませんでした、普段から仏頂面の僕にはできない芸当だなと感心しながら、できないからむしろ仏頂面を極めようと決心したことを思い出しながら。
「でも、もう1時間以上待っていますよ」
僕は無機質に淡々とした口調で事実を述べました、といっても自分ではそういう口調かどうかは判断できていないのですが、今まで周りからそう言われてきたのだからそういう口調なのでしょう。
「えっ? もうそんなに?」
彼女は驚きの声をあげました、下げた眉毛を上げて眉間のシワを消しながら。彼女は慌てて自分のピンクのウエストポーチの中を探りました、というのも時間を計るものを探すためでしょう。しかし何も出てきませんでした、彼女が忙しく手をネズミのように這わせているカバンの中からは。
「時間を見てください」
僕は自分の水色のケータイを開いて画面の時間を見せました、というのも彼女が困っているのを助けようという道徳心からではなく、クソ暑い炎天下に待つ時間が長くなることが嫌になったからです。僕はもう懲り懲りでした、嫌なことで時間が長く感じることを指への複数注射だけでなく炎天下での待ちぼうけでも起こることを。彼女の眼球が僕のケータイの近くに忍びました、その太い眉毛が僕の指に刺さりそうなくらい近くまで。
「ホントだ。ぼーっとしていた」
彼女は即答しました、全くぼーっとしていないと思うくらい早く。彼女は微動だにしませんでした、座りながらも前に背を伸ばして僕のケータイを覗きながら。僕は心配でした、手で顔を支えていないバージョンの考える人の彫像のような彼女を見ながら。
「熱にやられたのですか? 病院の中に入って涼んだらどうですか?」
僕は一応の提案をしました、といっても人によって価値観は違うので無理強いをするつもりはありませんでした。僕は冷めた気持ちを自分でも感じていました、というのもこの人に興味がなく、おそらくぼーっとしているかどうかどころか生死にも興味ないからです。そう思ったとき、僕が感じたものは自分を冷たく包み込むものであり、それは彼女がケータイの向こうから眉毛をピクリともさせずに恐ろしい程涼しい真顔を向けたからです。
「熱にはやられていないの。ただ、時間が過ぎるのが早く感じただけ」
彼女は見つめてきました、僕の目を真っ直ぐに。僕はまっすぐ見ました、彼女の右斜め後方を、というのも僕は人と話すときはいつもそうだからです。僕にはわかりませんでした、恥ずかしいからなのか癖なのかなんなのかが。
「普通、こんな暑い中なら時間が経つのは遅く感じると思いますが」
自分でも悪いことだとは思いますが、目を合わせずともいっちょまえに意見を言うことはできました。その言い方は偉そうに聞こえるものらしいです、というのも過去にそう注意されたことがあるからです。僕が感じるに、時間が過ぎるのが遅く、自分の嫌なところを後悔して過去の注意された嫌なことを思い出していました。
「普通はね。でも、普通でなかったら?」
「……」
彼女曰く、普通はそうらしいです。僕は腕とヒクヒク痙攣させながらゆっくりケータイを下ろしてジーパンのポケットに戻しました。その姿を舐めまわすように見る彼女の視線と関係なく照らす太陽からの光線とがジリジリと僕の心と体を焼いていました。
「――ところであなた、同じクラスの人よね」
彼女は僕のことに気づいていました。僕の気のせいかもしれませんが、さっきまでの問答を突っぱねるように声を強く弾ませていました。僕が彼女のことで気づいたことは、こういう元気な人は誰に対しても分け隔てなく話す傾向にあることです。
「たぶん、そうだと思います」
「たぶん、ってどういうことよ?」
彼女は怪訝そうに再び眉毛を上げて眉間にシワを寄せました。僕がすぐに気づくことに、同じクラスの人を覚えていないことは普通は失礼なのです。僕が気づかなかったことは、普段クラスの人とは接しないから忘れていたことです。
「すみません。僕、人の名前と顔を覚えることは苦手で」
「ふーん、まぁ、誰でも苦手なことはあるから別にいいんじゃない」
彼女曰く、別にいいらしいです。僕は安心しました、右耳の後ろを掻きながら素っ気無い態度をする彼女を見て。安心はしましたが脳裏に浮かぶものがあり、それは過去のそういう記憶が遅い僕をバカにする元クラスメイトたちの思い出せない顔でした。
「バカにしないのですか?」
僕は言葉に出しました、ほとんど反射的に気になったことをです。僕が思うに、こういう僕に対する普通の反応は馬鹿にするか、少なくとも苦手なことをなくすように注意することです。僕の性質を気にせず耳の裏が気になり掻き続ける彼女の態度は普通とは違うものであり目新しく感じました、例えそれが無関心から来るものだとしても。
「どうしてバカにするの?」
その口調はクラスメイトのように馬鹿にしたものではなく教師のように咎めるようでもなく、反射的に気になって出てきた口調に感じました。彼女の手は耳から太ももの上に素早く落ち、冷たい視線が僕の目から体の中に氷を叩き込むように注がれていました。僕が肝を冷やしたことに、僕の外していた視線の先にも彼女の目があるように錯覚しました。
「普通は僕みたいな人は馬鹿にされると思うのです」
「普通はね。でも、普通でなかったら?」
彼女曰く、普通はそうらしいです。僕が安心したことに、自分の普通に対する価値観は正常だということであり、僕が不安に思ったことに、普通でなかったら何だろうというものです。普通というものは、僕も学校という謎の場所に放り込まれた時から考えてきたことですが、普通ではないものを考えたことは恥ずかしながら何故かありませんでした。
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