じかんがはやくながれてく

すけだい

第1話1-1:時間がゆっくり流れてく


 時間がゆっくり流れていく。

 僕が思うに、ジャネーの法則は間違っています。説明をすると、ジャネーの法則とは、大人になるにつれて時間が早く感じることです。しかし、高校2年生に育った僕は今この瞬間、これまでで一番時間が遅く感じていました、その目に注射を見ながら。

 一般的に注射というものは腕の太いところに打つものといわれています。しかし、本当にそうでしょうか?僕は違うと思います。なぜなら、僕は注射を打たれていたからです、右手の指のあらゆる細いところに。

 目前の若い角刈りの男性の医者は白衣越しに注射を打っていました、毛抜きのように一箇所ずつ細々と化膿して膨らんだところを。普通は一箇所に一気に注射を打ちますがそうしません、というのも、指先の多くに注射を打つ理由があるからです。僕は痛みより困惑が優先していました、白い部屋の中の黒い丸椅子に座りながら。

 僕が思い返すに、これは人生の中で初めてのことでした。手の平も甲も指を中心に至るところが段々畑のように膨れていました、というのもダニに噛まれたからです。僕はダニに噛まれたのです、夏の浜辺での天体観測で下に敷いたマットが押入れの中で奴らの住処になっていたことに気づいていなかったせいで。

 僕がとった行動の結果、体中にできた大量の虫刺されはムヒでは治りませんでしたが、海で使ったマットの天日干しはとりあえずしました。それで親に相談した結果、病院の皮膚科に行くことになり、ダニに噛まれた大量の場所を注射されているのです。それらの結果、苦痛な時間がゆっくり流れているのです。



 僕が思うに、病院はすごく嫌なところであり、それが原因で注射が嫌いなのである。世間が言うには、注射が嫌いだから病院も嫌いになるのだということですが、順序が逆なのだと思います。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言いますが、袈裟が憎いから坊主が憎い場合もあるのです。

 母曰く、僕は小さい時に点滴を打っている1時間を泣き続けていたらしいです。僕が予想したことには、自分の中に得体の知らないものが入ってくることが嫌なのであり、痛いから泣くわけではないのです。事実を述べますと、歯医者を全く怖がらなかったことを母が不思議に思ったらしいです。

 そう考えながら僕が気づいた矛盾は、病院が嫌いだから注射が嫌いという理論が、病院が嫌いなのに歯医者が嫌いでないという事実に反することです。事実によって理論が間違っていることを了解しながら考えたことには、先ほど副次的に考えたことであり、得体の知れないものが入ってくることが嫌だいう理論です。この理論に則れば、歯医者は体の表面を削ることはあっても何かを注入することがなかったので、怖がわらなかったことは合点がいくのです。

 そういえばいつからだろうか、僕が病院に母親と共に来なくなったのは? そういえばいつからだろうか、僕が歯医者に行かなくなったのは? そういえばいつからだろうか、この海で受けた虫刺されに対する注射地獄を受けるようになったのは?

 一つ一つ丁寧に注射針が膨らんだところを刺していきます、まるで針地獄のように、まるで石を一つ一つ積み重ねる罰ように、まるでニキビを一つ一つ潰すように。僕の右手は前世で何か悪いことをしたのではないか、そう思うくらい十数カ所を針で刺されて痙攣していました。医者と看護師は二人して真顔で真剣に対応してくれていたので、僕も真顔で真剣に我慢をして右手に力を入れずに動かしもせず泣き続けませんでした。

 僕は雑念を持っていました、この注射が最後だ、と何回も。心を無にしました、何回も行われる最後のはずの注射が僕の右手の指先から肘までをスポンジのように穴を開けていく間に。僕は解脱を確信しました、医者の「右手終わりました」という言葉を聞いて。

「次は左手です。足はその後です。では、左手を同じように前に出してください」

 ……


 

 病室を出た僕はケータイを開いて時間を確認しました、13:08と表示されているところを。僕が冷静に思い返したところだと、確か入室前に13:00だったはずだから、10分もかかっていなかったことになります。体感では一時間以上に感じることでしたが、そんなに時間が経っていないことは思考としてはあることでしたが、それでも小さな驚きはありました。

 僕がそのあとすぐにしたことは、待合室の深緑色の長椅子が5つ並んでいるところに座る場所を探すことでした。そこはこの大病院の表口から入ってすぐ右にある皮膚科のスペースでした。この1階には奥に行くと他にも小児科・眼科・耳鼻科なども並んでおり、処方箋等を出してくれるところが表口を挟んで皮膚科の向かい側にありました。

 僕が気づくに、待つのは皮膚科の待合室ではなくて処方箋とかを出すところでした。きちんと数えていないが5階くらいあるこの大病院にくるのは久しぶりで、小さな町医者のところの感覚で病室前の椅子に座っていました、看護師から案内されたにも関わらず。僕は立ち上がって10mくらいの距離を歩くことにしました、その左手にカラス越しに見える8月の晴れ模様を背景にしながら。

 窓の向こうに見えるのは、バス停であり、道路の向かいにあるコンビニであり、見えていないけど学校もあったはずが、中学校か高校なのかも記憶に定かではありませんでした。部活らしきランニングしている人たちが赤・青・緑の学年ごとのハーフパンツを揺らしながら右から左へとハケていく姿を見て、中学校だと知識を定めました。そんな中、白い屋根と木の長椅子でできているバス停において、光の角度の関係で座っているところが直射日光になっている人がいました。

 僕は見ました、どこかで見たことがあるベリーショートに健康的な小麦色の肌を覆う黒のタンクトップと赤い短パンを履いた人が病院前のバス停に長いこといるところを。普通は夏の暑い中に外で長々といることはないはずです。来るバス来るバス全てが彼女から逃げるように足早に発車していきました。

 僕が気づいたことに、1時間前からその人はそこにいました。僕は見ていました、待合室で座っている時から、病室で指に注射をされることなんか頭の片隅にも予想せずに指を掻いている時からです。僕は気づいていました。気にかけながらも見て見ぬふりをしながら処方箋などを出してくれるところの冷房の効いた待合室の長椅子に座る自分に。

 僕は気づきました、薬が出るまでの待ち時間がその人を見ているうちにあっという間に時間が過ぎたことに。13:30になったことに薬を貰うまで気付かなかった僕は、いつまでもバスに乗らないその人が心配でした。倒れても病院がすぐここにあるとしてもです。

 それでも僕が話しかけるのをためらったのは、他の人がしてくれるだろうと思ったからではなく、人の不幸を見て喜ぶわけでもなく、人と話すのが苦手だからです。一般的に人見知りは言い逃れになるかもしれませんが、僕が思うに、人見知りというものは全ての人にある性質なので言い逃れになりません。でも、僕は人見知りなので話しかけません。

 僕が思うに、ひとつの問題として、その人をどこかで見たことがあるというものがありました。全く知らない人なら旅はかき捨ての精神で恥ずかしくないのですが、知っている人なら後々のことを考えて恥ずかしくて話しかけたくないのです。僕は学校でもその精神で話し相手が少ないのです。

 気分としては、ガラスの向こうに映画のような別世界として写っているその人に話しかけないことを自問しながら数時間経ったものでした。しかし、時間を確認したら13:40になる前であり、嫌な時間がゆっくり進むというすごく嫌な気分で頭を横に振りました。頭は拒否しました、でも、その時の僕が行動として移したことに、その人のところに向かって暑い世界に足を踏み入れるということがありました。

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