第5話1-5指

 僕はポテトチップスの袋に入れている手を止めました。僕の良心が咄嗟に止めたのです。食べかけのポテチは食欲に負けて飲み込みました。


「これが盗みもの?」

「坊主、万引きとかしたことないんか?えらいな、立派やで、そのほうがええと思う。しかし、今はそんな問題やない。生きるためにはしゃあないねん」

「わかりました」

「よろしい。郷に入れば郷に従えや」

「はい」


 僕は良心よりも生きることを選びました。食欲だけの問題ではなく、バッタに対応できる初めての人たちだったからです。ここを追い出されたら生きていけません。


「ところで、なぜ坊主を助けたかわかるか?」

「え?人助け?」

「かわいいな、坊主。しかし、俺たちがそんなお人好しに見えるか?」

「見えません。じゃあ、どうして?」


 僕は車の中で殺そうとしてきた男を思い出しました。僕はいつでも逃げれるように中腰になりました。心臓の音が大きくなります。


「仲間が欲しいんだ。二人だけでは危険すぎる」


 角刈りが会話に入ってきました。

 僕は少し安心しました。腰を下ろしました。


「でも、僕は子供ですよ」

「それは分かっている。しかし、坊主以外で生きている奴を見つけることができなかった。こんな言い方をしたら悪いが、俺たちももう少し役に立ちそうな大人が良かった。しかし、背に腹は変えられないんだ。猫の手も借りたいんだ」


 隣では坊主メガネがそんな正直に言うなよ言わんがごとく笑っていました。その反応を見て本音だと理解しました。少し複雑な気分でしたが、最悪な気分ではありませんでした。


「わかりました。僕も死にたくないので」

「よし。それでこそ男の子だ」

「それで、どうしたらいいんですか?」

「これの使い方を教える」


 角刈りは先ほどバッタを撃退した片足ほどの大きさのボンベを見せてきました。どこか嬉しそうに見えたのは、自慢したいという心情からでしょう。自分だけが知っている秘密を人に言う時の楽しさは僕も経験あります。


「これは?」

「殺虫剤だ。いや、本来の使い方が殺虫剤かどうかは知らないけどな」

「どうして知らないのですか?」

「適当にパクってきたからだ。何かよくわからない工場に逃げ込んだ時にたまたまあって、使ったら効果あったんだ。だから、生きるためにパクっていきたんだ」


 僕はもう盗んだものに抵抗がありませんでした。生きるためには仕方がないのです。郷に入れば郷に従え、です。


「それで、これはどう使ったらいいんですか?」

「この栓を捻って……」


 僕は夕日の残り火に照らされながら確認しました。男性たちは懇切丁寧に教えてくれました。思ったより優しい人たちでした。


「……どうだ、いけそうか?」

「はい、たぶんいけます」

「たぶんじゃダメだ。いけるか?」

「いけます」


 すると、隣の家に何かがぶつかる音。悪魔の音。あの世の音。


「きやがったか。坊主、実践だ」


 テントの入口をかいくぐると、バッタの大群が隣家に向かって黒い渦を巻いていました。その渦の中央は冥府に繋がっているかのような禍々しさを感じました。空も赤みが薄らぎ暗くなっていました。


「すごい」


 僕は体が震えていました。寒さではなく、武者震いでもなく、恐怖からでした。僕は近日のことでバッタに圧倒されていました。


「何してんねん?」


 坊主メガネはボンベをバッタの大群に向けながら僕に怒鳴りました。でも、僕はきちんと頭が回りませんし、言葉にもできません。硬直するのみです。


「あああ」

「くそ、ビビってやがる」


 家から出てきたバッタが向かってきました。家の外で渦巻いていたバッタも向かってきました。二方向から鎌のように鋭く向かってきました。

僕は体が動きませんでした

 そんな僕の両横から白いガスが出ました。ガスだけではなく、二人の雑音も出ていました。僕に対する罵詈雑言だったのでしょうか?


「おい、こいつ役に立たへんやないか!」

「初めはこんなものだ。そんなこと言うな」


 次々とバッタが落ちていきました。二人の男性は勇敢な兵士が銃を持つようにボンベを持っていました。凄腕の兵士のようにかっこよく見えました。


「ちっ、まぁええわ。この坊主がいっちょまえになるまで俺らが面倒みたるか」

「おまえ、やさしいな」

「あほ、ちゃうわ。生きるためには見方は多いほうがええやろ?」

「はいはい」


 二人はガスを止めました。口は悪いですが、言っていることは優しいですし頼りにはなります。一仕事を終えた仕事人は飄々と余裕を持っていました。


「でも、いつまで続くんやろ?そんなにもたへんで、これ」

「そうだな。しかし、今日一日ぐらいならもつやろ」


 そう言いながら、角刈りはボンベを地面に落としました。


「なんやお前、しっかりもっときや、大事なもんやで、それ」

「すまんすまん。しっかり持ってたはずなんだが」


 角刈りの指が地面に落ちていました。

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