第9話2-3:一緒に海底に行こう

 一年が過ぎました。

 修業から一年経っても上手くいかない。上手くいかないことに慣れてしまいました。上手くいくことといったら、水着が黒のピチピチの長袖というかっこいいものを新調したくらいです。

 あとは、近くに立ち入り禁止である倒壊ぎみのトンネルがありましたが、そこは危ないから近づいてはいけないと言われたので、近づきませんでした。無駄に危ないことには首を突っ込まないように決めたのです。海底での落石事故を思い出して身がすくむのです。


「上手くいかないな」


 少し長くなった角刈りの前髪から雫が垂れていました。僕は特に髪型に興味がなかったので、修行の邪魔にならないようにできるだけ短くしました。しかし、丸坊主は直射日光で暑くなるから帽子をかぶらない限りはやめたほうがいいという助言を聞いて、帽子をかぶる習慣のない僕はやめました。


「これ以上しても意味ないわいな。修行は終わり、帰るんだわいな」


 修行をつけてくれている謎の者は冬の海より冷たく突き放しました。そういえば修行で一年中海に入ってわかったことだが、冬の海は意外と暖かく感じるもので、冬の海より冷たいといってもそこまで冷たくないのです。実際、見込みがない人にきっぱりと諦めるように諭すのは暖かい心を持った人がすることです。


「そんな師匠、待ってください」


 僕は表面的には嘆願する素振りを見せましたが、内心はほっとしました。半年前から自分のあまりの出来の悪さに、進展のなさに、心身とものキツさにやめ時を探していました。僕はあまり頑張り屋ではなかったようです。


「そうだ、兄を返すわいな」


 僕は兄を受け取った。兄に申し訳ない気持ちになった。親のため、兄のため自分以外のために頑張るのは無理でした


「お兄ちゃん、ごめん」


 ドクロを持ったら、急に周りの海水が僕から距離をとりました。これは……成功しました……ということだろう。僕は急に成功するという出来事に理解が追いついていませんが、世界が明るくなり、暗い僕から距離をとったように感じました。


「これはすごいわいな」


 海を支配しているような光景を見て、謎の者はそう笑顔になりました。修行を終えましたが、結局この謎の者が何者かはわかりませんでした。しかし、詮索するのは良くないという僕の信念から聞きませんし、今から海底に行く僕にはもう興味がないことでした。


「師匠、ありがとうございました」


 師匠が急に僕を襲ってきました。



 僕は反射的に師匠を攻撃しました。

 先程までの穏やかな海面とはうって変わって、爆発のような飛沫と音が僕と師匠との間に起こりました。まるで戦闘の合図であるかのように起こったそれは、逆に戦闘の終結を知らせていました。僕の技術によって、師匠の銅に大きな穴をポッカリと開けてしまったのです。


「どうして?」


 僕は二重の意味で言いました。師匠がいきなり僕を襲ったことと、自分の技術の殺傷力に対してです。息を切らす師匠は後者の意味で捉えました。


「わしは死にたかったわいな。成れの果ては嫌だわいな、迫害もされるしだわいな」


 師匠は、自分を殺してくれるものを求めていたようです。その求めていたものが僕になったということです。そのために僕に修行をしてくれたということで、僕は師匠の手のひらで踊らされていたのです。


「どうしてですか?」


 僕が訊くためにちゃぷちゃぷと海を歩いて近づいた師匠は浜辺に打ち上げられていました。血が砂の吸収を受け入れられないくらい溢れ、海に流れていました。人間が生き残るには無理な出血量であることは容易に理解できました。


「わしも成れの果てだわいな」


 生き残れるのではないかと疑いました。人間ではないのなら、この湖のような血の失い方でも大丈夫ではないかと、自分が師匠を殺す可能性を消すことに願いを馳せました。しかし、その木が枯れるようなシワシワな衰弱の仕方から師匠の死を覚悟しました。


「でも、見た目は人間ですよ?」


 僕は師匠が死ぬ前に情報を得ようと画策しました。実際は人間とは思えない木目みたいなものだという印象でしたが、言葉の流れでそう言うことになりました。突き放すより寄り添ったほうが相手は心を許すのです。


「能力者といって、見た目が変わらない成れの果てがいるんだわいな」


 師匠は水圧による成れの果てであり、特殊能力者であり、それが嫌だったのです。師匠はそうは言うが、見た目はだいぶ変わっています。あくまでもドクロになった兄よりは変わっていないだけであり、そのことはわかっているが一般化させて成れの果てや能力者の説明をしてくれているのです。


「それなら、こんなこと言うのは嫌ですが、自殺したらいいのでは……」


 僕は自殺を勧めるのが初めてでした。本当はそんなことは良くないのですが、僕のような人殺しの手伝いをさせられる犠牲者を増やしたくないというか、ダシに使われた腹立たしさから勝手に死んでくれよと心が病んだのです。親の海難事故からいいことが何一つないと嘆く日々です。


「成れの果てには、自殺をする能力がない、殺して欲しい」


 理由は至極単純でした。僕が考えたことなんか既に考えていたのだろうと、自分の考えの浅はかさに反省しました。僕に限った話ではないが、人間には自分の方が相手より物知りだとかと優秀だと勘違いする癖があるのです。


「自殺できないって、動物みたいなことを……」


 僕は昔の東洋の小説家が『城の崎にて』で書いていたことを頭に浮かべて言葉を漏らしました。小説で知った知識を実際に思い浮かべる出来事に出会うと不謹慎にも嬉しいと思うことがあるのです。表向きは神妙な面持ちをしていましたが、内心はそこまで師匠に悲壮感を持っていませんでした。


「わしは死にたくて彷徨っていた時に、お主らを発見したのだわいな。期待はしていなかったが、運が良かったわいな」


 師匠は息が絶えそうです。血を吐く元気もないのです。本当なら師匠との思い出に馳せたりして泣くところなのかもしれませんが、そんな気は全く起こりませんでした。


「では、海底に行けばお兄ちゃんが元に戻る方法があるというのはうそですか?」

僕は師匠が死ぬ間際に、戻す方法を聞きます。あくまでも自分本位に、自分の目的を優先して師匠のことは後回しです。それは師匠が僕を修行したことと同じ自分のための行動であり、師匠がそのことで僕を咎めることはありえないと自分に言い聞かせました。

「うそではないわいな。海底に行けば何かあるかも知れないが、ないかもしれないわいな」


 師匠は目の焦点が合わずに、嘘をつく気力もないのは明らかでした。本当に知らないのでしょう。僕は実際に自分の目で確認するしかないのです。


「では、どうして自分で海底に行かないのですか?」


 僕はふと疑問に思いました。成れの果てが嫌ならば、自分で海底に行って人間に戻る方法を探さないのだろうか? 自殺するよりかは有意義だと思いますが……


「自分はもう疲れたから、海底に行くつもりはないわいな」


 師匠は疲れた口調でした。それはサボリ魔の常套手段のような言い草でした。僕は面倒くさい相手を見るように冷ややかな視線を送りました。


「そんな、死ぬよりはいいでしょ?」


 僕は内心で「だめだこりゃ」と見下していました。自分はこんなやる気のないダメなものになりたくないと心底思いました。自分を世話してくれた師匠に対して最後に抱いた感情がこれなのです。


「もしかしたら、成れの果ての本能が不能にしているかもしれないわいな。まぁ、せいぜい頑張れわいな」


 師匠は死にました。一陣の風が吹き、師匠の魂をどこかに運んだのかと思いました。僕は師匠を殺してしまったことにため息を漏らしながら兄に顔をあわせました。


「お兄ちゃんも死にたいの?」


 僕は確認を取りました。成れの果てが皆同じ思考に行き着くのならば、ここで兄を殺したほうがいいのかもしれません。その確認でもありました。


「そんなことないんじゃい。死にたくないんじゃい」


 どうやら、成れの果てにもいろいろな考え方があるそうです。人間だっていろいろな考え方があるのだから当然だと自分の無知を呆れて嘲笑しました。そして、母を探しに海底へ進んでいたことを思い出しました。


「じゃあ、一緒に海底に行こう」


 僕は海底に行くことを決めます。師匠みたいに成れの果てだろうが殺したくないと思い、兄を元に戻したいと思い、海底に行きます。もし、これから先に成れの果てや能力者を殺すことになるとするならば、僕は再び苦い思いをするのだろうから、できればごめんこうむるのである。

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