第8話2-2:海底に潜った罰だわいな


 ――僕は意識を取り戻しました。

 僕は海岸に打ち上げられていました。


「……お兄ちゃん」


 返事はありません。誰もいません。頭が回りません。



 一晩過ぎました。

 それはあっという間でした。暗くなっていたことにも気づかず、頭が回るようになったら家族と楽しく暮らした光景が何回もフラッシュバックしました。その度に胸が蛇に締め付けられるように苦しく、目からは湧き水のように涙が溢れ、体は埋められた死体のように全く動きませんでした。


「お主がテイかいな?」


 波の音に混じってシワを視覚化したようなしわくちゃな声が聞こえました。張り詰められた鼓膜が皺だらけになりそうなこそばゆいものでした。僕は脳のシワを意識しながら口だけを張り巡らせます。


「誰ですか?」


 僕の声が波の音に包まれました。沈黙が続き、返事がありませんでした。僕は空耳だと思い、再びまぶたを閉じて暗闇の中の白いシミみたいなものを追いかけました。


「わしは……この辺に住んでいるものだわい。お主のことはこの者に聞いたわいな」


 僕は目を開けました。そこには皺だらけの木目のような謎の者がいました。その謎の者は小さなドクロを見せてきました。


「それは?」


 僕はその謎の者が持っている謎の物は自分には縁もゆかりもない物だと思って信じていました。そんなわけのわからない物を魅せられても生まれる感情は困惑以外の何ものでもありません。そんなことよりも兄を探さないと……


「俺じゃい。カイじゃい」


 カイ、それは僕の兄の名前です。それが貝なら、海の生物です。かい、カイ、かい、そのかいとは何でしょうか?


「……そんな方知りません。見た目も喋り方も」


 僕は思考が追いつきませんでした。どうしてそんな言い方をしたのか、まるで相手が人であるかのような言い方をしたのか理由がわかりません。僕は無意識にある最悪な可能性を感じていたのかもしれませんが、目をそらしたかったのかもしれませんが、残酷な現実が目の前に現れます。


「テイの兄さんじゃい」


 僕ははっきりと聞こえました。耳から入り脳を経由して腸に浸って肛門から出ました。身に染みて聞こえました。


「いや、僕の兄さんはそんなんじゃないですよ」


 僕は視界が闇に覆われて周りの音が聞こえなくなる現象に襲われました。それは少しずつ僕の体を先端から壊死させていくものでした。そう、まるで化物へと変身していくかのように……


「なんじゃい。それが兄さんに対する態度かじゃい……」


 僕は地獄の業火に焼かれるような肺の呼吸混乱になりました。そのことになっていることに気づかないくらい僕は頭と体が乖離していたらしいです。頭はクールに体は情熱に、一流のアスリートがゾーンに入った時のような感覚がありましたが、僕の場合はそんないいものではありませんでした。


「――これはな、海底に潜った罰だわいな」


 謎の者は会話に割り込んできました。僕は肺が冷静になって、自分が汗をかいていたことに初めて気づきました。体が内から外に痙攣していきます。


「罰?」


 僕はその言葉にピンと来ませんでした。学校で習うに世の中では罪の文化と恥の文化があるようで、僕はどちらかというと恥の文化の人間であり、学校では恥ずかしくて一人でおりそれ以外も基本的に親や兄の後ろに隠れていました。そういうふうに意識をそらすことによって、心に岩のようにズシンと居座る嫌な現実から心を軽くすることに躍起になっていることは混乱しながらも、仮に冷静だったらとしてもわかりました。


「人が本来行くことのできない海底に行った罰だわいな。耐えることのできない水圧によって変形してしまう。外見だけでなく喋り方などの内面も変わることがあるんだわいな。成れの果てだわいな」


 どうやら兄は成れの果てに変形していたらしいです。不思議なことに、事実が解明されむき出しになったら、心は軽くなりました。しかし、それは悩み事を人に相談することで気持ちが軽くなる現象であり、程度においても底のさらに底にあったものが底に這い上がっただけであり、未だに状況も心情も底から脱することはできていません。


「ごめん。僕のせいでドクロの成れの果てになって」


 僕は謝った。僕が思い出したのは海底での僕の身代わりになったことだけではなく、親がいなくなってからの心配させたことや、平和なころの迷惑をかけたことや喧嘩したことや仲良かったことです。言葉と思考が整備されていない排水口のように詰まりました。


「テイは関係ないんじゃい。俺が勝手になっただけじゃい」


 兄は空気の読めない人のような空回りする口調でした。成れの果てになった影響でそうなったと考えると、心の中の空洞が響くイメージになりました。達観した人が言うではありませんか、人生とは空虚じゃありませんか、と。


「――お兄ちゃんを元に戻す方法はないのですか?」


 僕はその空の入れ物に何かを流し込むように画策しました。あまりにも空虚すぎて胃が痛いです。空腹のあまり胃が痛くなるのでとりあえず何かを胃に入れないと元気が出ないのと原理は同じかも知りません。


「それは分からないわいな。ただ、海底に行けばもしかしたら方法があるかもしれないし、ないかもしれないわいな」


 空虚が満たされない返事でした。僕は親の海難事故から意識が霧のように朦朧で、自分でも何を考えているのかわからない状態でした。僕はこのままでは毒霧に汚染されるだけなので、もう考えるのをやめようと思いました。


「では、今から海底に行きます」

「いやいやいや、お兄さんの二の舞になるわいな。やめておけだわいな」

「でも、お兄ちゃんを元に戻すには海底に行くしかないんでしょ?だったら行きます」

「――はぁ。兄のためには自分の命も厭わぬ、かいな。仕方ない、海底に行く方法を教えてやるわいな。」

「本当ですか?」

「方法といっても、最低限度の技術を教えるだけだわいな。修行するわいな」


 僕は思考を再開させたら、右足が海に突っ込んでいました、棺桶に片足を突っ込んでいるように。僕は死を直前に回避したと理解し、冷たく濡れた右足がぬかるみに足を取られた影響でバランスを崩しました。よく見ると自分の体の表面は塩が吹き上がっており、海にいたあと海水が乾くまで陸で乾燥していた時間経過と証拠を確認できました。


「それで、どういう修業ですか?」


 僕は木目のような者を再度確認したが、やはり見たことのない容貌でした。そのものが持つ僕の兄と豪語しているドクロは、やはり僕の兄としては見たことのない容貌でした。そして、兄を持つそのものが行おうとする行動も見たことのない容貌でした。


「修行をつけるわけだが、海への潜り方だわいな。見ておくだわいな」


 その謎の者が海に入っていくと、その体の周りを水が避けていました。モーゼが海の底を歩いた逸話を思い出しました。これが海の上を歩いていたら浅草四郎伝説を思い出していたと考えたのですが、そう思考しては目の前の驚くべき現象に意外と驚いていない自分に驚きました。


「これは?」


 僕は不明なことを訊きましたが、不明なことが多すぎて驚きが弱くなるのを感じました。謎の男、ドクロになった兄、不思議な潜り方、すべからく不明でした。よく考えたら、僕が今いるこの砂浜と波止場が入り乱れるここがどこか不明でした。遠くには車が通る道が見えていましたが……


「水を分解して酸素と窒素にして、酸素で呼吸、窒素を体の周りに纏わせて圧力から防ぐ、これで海底に行けるわいな」


 とても静かに海水をどけていきます。噴水のような静かな騒音くらいはあるかと思いましたが、海底のように静かな海上でした。これが神秘的というものでしょうか?


「それで、どうやるんですか? それは?」


 僕の言葉を聞くと、謎の者は海から上がりました。その体には水滴は1つも付いていませんでした。本当に凄いものなのでしょう。


「――慣れるしかないわいな」


 慣れ、か。


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