第2話1-1:火


「返してくださいー!」


 私はコンクリートの建物が並ぶ街の広場で渾身の叫びをあげた。喉を切り裂くような声は痛いものだ。自分でもそんなに大きな鋭い声が出たことに驚いた。


「かかか、やだよ」


 赤いリーゼントの男は私から奪った蛇革のバックを右手にかけて蛇のように舌を出して笑っていた。かかか、と奇妙な笑い声が鼻についた。私は大変不快な気分に押しつぶされそうになった。


「返してください!」


 私はリーゼントの男に追いすがった。男が高く掲げたバックに手が届きそうになっては離されることを繰り返された。完璧に遊ばれていた。


「うっさいなー」


 ニヤニヤと憎たらしい言葉を放つ男だ。ハラワタを煮え繰り返しながらマタタビを求めてピョンピョン飛び跳ねる猫のように私はなっていた。私は自分が置かれている状況が犬畜生の如きに感じて、犬に優しくしておけばよかったと思った。


「返してくださいっ!!」


 無駄だと思いながらも、一縷の希望にかけて跳ね続けた。すると、リーゼントの男は諦めたようにカバンを胸の高さに下ろした。私は願いが叶ったと思った。


「わかったよ。返すよ……灰にしてな」


 リーゼントの男は火を吐いた。私は目の前で自分のバックが燃えかすになった瞬間を見た。私は悔しさと悲しさが混じった感情で目から涙がこぼれ落ちた。

 そのまま膝から崩れ落ちた私の頭の上では、リーゼントの男による不快な笑い声が響いていた。私の脳はすごく痛かった。何も喪失感から考えられない空っぽの頭に笑い声が反響につぐ反響を繰り返し、痛めつけていた。

 私は無力だ。私の周りは能力者ばかりだ。炎の能力者ばかりだ。

 この街は炎の能力者によって支配されている。私のように何の能力もない人間は虐げられるのみだ。泥水をすするように暮らすのみだ。


「そんなー」


 私は力なく膝をついたまま動けません。そして、そんな私の視線を合わせるようにリーゼントの男はしゃがみこんで来た。そのまま私の顎を指でつまみクイッと持ち上げて、下衆なことを言ってくる。


「かかか、次は裸になったもらおう」


 リーゼントの男は舌を私の耳から頬を辿り眼球まで舐め回してきた。その手も私の胸から腹を辿り股まで伸ばしてきた。私は恐怖に支配され、されるがままだった。


「嫌よ」


 私は震える声で精一杯の反抗をした。しかし、その反抗分子はすぐに恐怖という軍隊に押しつぶされました。体まで震えていた。


「嫌なら燃やすが、それでもいいのか?」


 私は地面から風で飛ばされていくバックの燃えカスに目をやった。私もあれと同じ道を歩むのだろうか。それは嫌だ。


「嫌です」


 私は本心から言った。死ぬのは嫌だ。至極単純な理由だ。


「だったら、自分で脱げ」


 当然の流れだ。死ぬか裸になるかの二択を迫られて、死を拒否したのだから、裸になるしかない。裸になるのは嫌だが、死に比べたらマシだということで感覚がマヒしてしまい、許容する流れが私の心の中で起きていた。


「……分かりました」


 私は言われるがまま脱いでいく。靴に靴下、白い服に赤のスカート、ブラジャーにパンツ、次々と脱いでいく。衆人環視の下、周りの目を気にしながら脱いでいく。


「かかか、分かればいい」


 私は服を脱いだ、リーゼントの男が満足そうに笑う声と聞きながら。周りには足を止めて遠くから眺めてくる者たちもいた。私は手で胸と股の部分を隠しながら頬を赤く染めた。


「――これでいいですか?」


 私は生命の誕生のように立ち尽くした。本来ならとても神秘的な光景かもしれないが、私の場合は恥ずかしい光景でしかない。目もうつろに震え、これで終わって欲しいと切に願うのみだ。


「かかか、絶景だな」


 その笑い声に私は絶望した。その声は、これで最後というわけではなく、地獄が続く神の意思を感じた。それでも藁をも掴む気持ちで、神にすがる気持ちで、私は気持ちを奮い立てながら頼む。


「もういいですか?」


 私の消え入りそうな声を聞きながら、リーゼントの男は舐めまわすように私の体を見回してきた。そして、実際に舌で舐め回してきた。胸に尻に足先に……


「では、俺とエッチしようか」


 私は心が石のようにずしりと重くなった。予想はしたが、いざその状況に追い込まれると心にくる。無駄だと思いながらも抵抗はしようと思った。


「それは……嫌です」


 私の言葉が終わるとともに、目の前を炎が通り過ぎた。その炎は群衆の一人に当たり、激しく燃え上がっていた。周りでは悲鳴が飛び交っていた。


「灰になってもいいのか?」


 指をさした先には人の焼死体があった。私は頷くのみだ。心を閉ざして、決心した。


「――分かりました」


 私の返事を聞いてリーゼントの男は満足げに汚い笑い声を出した。私は不満げに心の中で泣いた。そんなことを知ってか知らずか、リーゼントの男は身を乗り出してきた。


「かかか、わかればいい」


 リーゼントの男に腕を掴まれ、隠していたところを顕にされた。私は胸と股を開いた。もう色々と諦めた。

 と、何かが飛んできた。私は意味が分からずポカンとし、リーゼントの男も手を止めて飛んできたものに目を奪われた。そこには転げる少年がいた。


「いたたた。すみません、失礼しました」


 少年は黒髪の角刈りに黒いゴーグルをつけ、黒のピチピチスーツに親指ほどの大きさのドクロの首飾りをつけていた。恥ずかしそうにはにかみながら体についた砂ぼこりを手で払い、そそくさと去ろうとしていた。私は失っていた希望をそこに見出した。


「助けてください」


 私の言葉を聞いて、周りは固まった。少年もリーゼントの男も周りの群衆も時間が止まったかのように動きを止めて私を見ている。私は止まっていたように感じていた心臓が動いているのを感じた。


「え? 好きでしているんでしょ?」


 少年は野暮なことに首を突っ込みたくないような態度だった。それは本気で言っているのかわざと言っているのかはわかりませんが、私は助かるためにはっきり言う必要を感じた。ここははっきりと……


「違います! いやいやさせられているのです!」


 私ははっきり言った。リーゼントの男は不快な表情だった。少年は首を伸ばして品定めのように私とリーゼントの男とを交互に見た。


「いやいやねぇ……」


 熟考している少年の見つめる先では、炎の男が邪魔されたことを怒っていた。私は近くにいた男が炎のように熱くなっていくのを感じた。それは比喩表現ではなく、本当に炎の熱さだった。


「邪魔すんな!」


 リーゼントの男は火を吐いた。それは少年の体の周りを覆い、先ほど以上の激しい燃え方だった。先ほどがボヤ騒ぎ程度の炎に対して、放火事件レベルだ。


「そんな! 私のせいで……」


 私は今頃になって自分の犯したミスに気づいた。自分だけが被害に遭えば良かったのに、周りの人たちを巻き込んでしまったのだ。自分自身が何の抵抗もせずに犯されたら、少なくても2人が燃えカスになる必要はなかった。


「かかか、さて、邪魔者はいなくなったから、続きを……」


 リーゼントの男が高笑いし私が首を垂らしていた最中、不思議なことに気づいた。少年を覆う炎がいつまでたっても消えないのだ。すると、炎の中から少年が無傷で出てきた。


「危ないですね、いきなり」


 少年はライオンのタテガミのように炎をまとわせていた。その丁寧な口調が逆に怖く感じた。目の前の現象に理解が追いつかない。


「なっ!?」


 リーゼントの男も同様に理解が追いつかないようだ。自分の炎が効かない相手が珍しいのだろう。そのまま困惑した顔で一歩後ずさりしていた。


「次は僕の番ですね」


 後ずさりしたリーゼントの男との距離を詰めるように少年は一歩前に進んだ。私は物事が善き方向に一歩前進した気がした。心の中で少年を応援する。


「させるか!」


 リーゼントの男は再び火を吐きますが、少年の周りを避けていく。そのまま少年が一歩二歩進む毎に、リーゼントの男は一歩二歩後退する。蛇に睨まれたカエルのように恐怖を感じているのだろう。


「いきますよ」


 そう言う少年が突っ込んでくると、リーゼントの男は迎え撃つように炎を吐いた。それは今までと比べ物にならないほど強い炎だった。しかし、少年のパンチは炎を割って、男を直撃した。

 男は倒れた、燃えカスのように力なく。


「さて、僕はこれで」


 少年は軽い言い方でそそくさと去ろうとした。私のとっては生死に関わるすごく重い要件だったことが、少年にとっては道草当然の取るに足らない軽い要件だったようだ。心が軽くなった私は軽くなった足取りで少年の服の袖を掴んだ。


「ちょっと待ってください。お礼を」


 少年の服はピチピチだったので、少し皮を掴んでしまった。少年は少し痛そうに顰めっ面になっていた。私は自分の失態に恥ずかしくなった。


「――お礼よりも……」


 少年は何かを見て、何かを言おうとした。しかし、言葉を窮して、手をアタフタとさせていた。その顔の表情はよくわからなかったが、動作の表情で何かを恥ずかしがっているようだった。


「なによ?」


 私は疑問を投じた。何を聞いても驚くつもりはなかったし、先ほどの地獄のできごとを乗り越えた私には、怖いものはなかった。悲鳴などあげるつもりは毛頭ない。


「……服を着てください」


 私は悲鳴を上げた。

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