第16話3-1
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ジュンはやるせない気持ちで緑一辺倒のところを登樹していました。
「いつまで暗い顔しているの? ほら、キビキビ動く」
「はぁ、なんか、思ったのと違うなぁー」
ため息混じりの登樹をしているジュンをダインは叱責していました。気落ちだろうが浮かれ気分だろうが、心無い登樹は死に直結します。特に2回目は1回目より気が緩んでしまうので失敗しやすいのです。
「何が違うのよ?」
「いやー、登樹ってもっと楽しいものだと思ったんだ。故郷にいたときは窮屈で退屈だったんだ。だから、故郷から出て大樹に行けば楽しいことがあると思ったんだ」
ダインは前の街に悪い意味で後ろ髪を引かれる思いでいました。血のハーケンを刺して抜いて血のロープでクロスに結びつけてを1つ1つ作業するのも億劫そうでした。1回目はその単純作業ですら楽しそうだったにも関わらずです。
「よくある話ね。隣の芝生は青いといって、遠くにあるものはよく見えるのよ。でも、実際に近くで見たら嫌なところがたくさん見えるのよ」
「そうか。はぁー、僕はただ単に外の世界に行けば何かがあると思っただけなのに、あるのは故郷の中と同じ醜い人間関係か」
ジュンはため息混じりに血のハーケンへ手を伸ばし足を付け筋肉を刺激しながら登って行きます。横では手を大樹につけるだけで滝を逆流するように自動的に登るダインが涼しそうな顔をしています。今頃になって自分の能力を不便だと気づきます。
「あなたの目的は、故郷から出ることなのね。まぁ、いいんじゃない、それも」
「そういうダインはどうして登樹しているんだ?」
「私? 私も同じようなものよ。この大樹には何があるのかを探求するためよ。この大樹のことさえわかったら、それ以外興味ないわ」
ダインは片手で登る片手間に答えます。上に向かって氷のように滑るダインは相変わらず涼しき澄ました顔でした。ジュンは手を止めずに苦痛の顔をしながら訊きます。
「探検家とか学者といったところ?」
「そうよ。真理の探究というのかしら? それが私の目的よ」
「すごいな。僕なんか外に出たかっただけだぜ? ずーっと家の中にこもるのが嫌だから気晴らしに散歩するようなものだぜ? ダインのようにカッコよくないさ」
ジュンは自分とダインを対比させて考えました。冷静で強くて目的があるダインとは対照的にすぐ頭に血が上り弱くてそれといった目的がない自分が嫌になりました。顔を暗く落としたジュンは手が止まり、それに合わせてダインも滑るのを中断しました。
「私も別にカッコよくないわ。探究だとか研究だとか言い方はカッコいいかもしれないけど、していることはジュンと同じよ。大樹を登って、葉にたどり着いて、いろいろな街を見るだけよ。成果といえるような成果なんかないわ」
「それでも、目的があるだけすごいよ。僕は意味もなくプラプラしているだけだ」
「そんなことないわ。私なんか、故郷の教えの流れに乗っかっただけよ。私の故郷では共鳴を学んで大樹を登り真理探究するのが良しとする文化があるのよ。だから、私の目的もただの故郷の目的であって、私の目的かどうかわからないわ」
太陽の光を体全体に浴びながら、2人は背を伸ばし小休憩の沈黙でした。途中に雲が太陽を遮り、雲の影がダインを包みました。ジュンはそれを見て涼しさを羨み渇望しましたが、そのために動く体力の消費を考えて断念し日光の下にいました。
「故郷の目的ではなく、ダインの目的があるとしたら何だ?」
「わからないわ。特にないかも知れない。しかし、それは大樹の真理を知ってから考えたらいいと思っているわ。まだまだ先が長そうだけど」
「そっかー。いいなー、目的がある人はー。僕も急いで目的作らないと」
「それは任せるわ」
2人は晴天の中を再び登樹を始めました。
「冷たっ!」
ジュンは顔に冷たい違和感を覚えました。それはジュンが自分の街でも経験したことがあるものだと考えました。雨が降り始めた時のそれです。
「ダイン、雨が降ってきたぞ」
水の小粒の数が増えてきました。ダインは言葉が届いているのか分からない無母野で、静かに上を眺めています。さらに水量が増えてきます。
「違うわ」
「何が違うんだ?」
「これは雨じゃない」
「何を言っているんだ? 雨以外の何なんだ? まさか、鳥のオシッコだというのか、この量を? でも、匂いがしないぜ、オシッコの匂いは」
「気をつけなさい。水が落ちてくるわ」
上から大きな水の塊が落ちてきました。雨ではなく、滝のような水の流れがそのまま落ちてきました。豪雨なんて生易しいものではありませんでした。
ジュンは驚くが先か、ハーケンで盾にしました。しかし、ハーケンはすぐに折れて水に流されました。流されながらもハーケンを打ち付け、何とかハーケンとロープで捕まっていました。
脳天が割れそうな衝撃、首が折れそうな猛撃、手足の踏ん張りが効かない追撃、それはただの暴力でした。水は生命の源であり生きるために必要不可欠なものだと思っていましたが、命を刈る鎌の役割も持っていることを痛感しました。それでも気合で何とか耐えていました。
ダインは手を上にかざして、落ちてくる水に共鳴して体の周りを避けさせていました。
「大変そうね。1から修行しなおす?」
「ヴゃヴゃヴゃ!」
「……後で話は聞くわ」
「少しは助けてくれよ!」
「そんなことだろうとは思っていたわ」
ジュンは詰め寄りたかったのですが、登樹の途中で危なかったので血のハーケンを震える手で握り締めながら声だけ詰め寄りました。体中がずぶ濡れで体温が奪われるのですが、そんなジュンよりもダインのほうが涼しそうな顔をしていました。
「涼しい顔で、腹立つな。今のままでも大丈夫だ、今みたいになんとかなる」
「そう? それなら――」
そう言いながらダインは人差し指で上を指しました。視線誘導されたジュンは指の先を見上げました。そして、ジュンは血相を変えました。
上から雪の滝が落ちてきました。
「――あれも大丈夫なのね。すごいわね」
「ちょっと待ってー!」
大樹を削る鈍い音が響きました。
「――すごいな、さっきのは! あんな雨や雪は体験したことない」
体中に溶けきらない雪をくっつけながらジュンは明るい口調でした。難題をクリアしたことにより気が高ぶっているのです。
「ちょっと違うわ。あれらは葉から大樹を伝う水や雪よ。ああやって大樹の根に水分や養分を贈るのよ」
ダインはいつもの通りツアーガイドみたいに説明します。ジュンは「へぇー」と田舎者みたいな顔をして無知をさらけ出すのです。
「水分はさっきのだとわかるけど、養分は何?」
「葉の上にあるものよ。街、作物、人よ」
ジュンはいきなり残酷な実情を聞かされて、高ぶったはずの気が下がりました。自分の街や先ほどの街が滑り落ちる姿を想像しました。水や雪からくるものではない寒さが襲います。
「そんな残酷な」
「世の中は残酷なのよ。といっても、事故みたいなものよ。葉から落ちる、葉自体が落ちる場合よ。もちろん私たちのように登樹の最中に落ちても養分になるわ」
明日は我が身ということだろう。人の不幸を嘆く余裕なんか自分には無いという忠告に聞こえました。ジュンは奥歯をかんで気持ちを踏ん張ります。
「――というか、そもそもこの大樹の下には何があるんだ? 大樹の上ばかり目指しているけど、大樹の下も目指したほうがいいんじゃないか?」
「心配せずとも、下を目指している人たちもいるわ。私はたまたま上を目指す側だったけど、別行動する?」
知らない情報が再び出てきました。下へ行くルート、ジュンには考えたことがないものでした。いつも街から大樹を見上げる日々でした。
「いや、僕も上を目指したい。このまま一緒に行こう」
ジュンは覚悟を決めたように、鋭い笑顔を浮かべました。自分はもう後戻りするつもりがないのだから、毒を食らわば皿までの精神で様々な残酷を見ていこうとするのです。そんな殺気に近い雰囲気を感じたダインは、上を指さしながら次のことをいいます。
「それはいいけど、あれはどうするの?」
「あれ?」
上から溶岩の滝が落ちてきました。
「よくあそこからああしたわね、すごいわ」
「褒めてくれてありがとう。でも、もうヘトヘトだ」
2人は大樹のくぼみで簡易的な水のテントを作って就寝しようとしていました。もちろんダインが作ったテントです。ジュンの黒焦げになった体周りは日の沈みとともに視覚的には気にならなくなりました。
翌朝。
「ダイン、ほら、上を見なさい」
登樹中、ジュンが見上げると、葉が小さく見えました。
「あんな近くにあったのか」
「暗くて気づかなかったわ。さて、もう一息よ」
「よし、さっそく登るか」
「それよりも」
「?」
「先に体を洗いなさいよ。というか、昨日洗ってなかったの?」
ススだらけのジュンに対して、ダインは大樹から吸い上げた水を、水で作った桶の中に入れて差し出しました。
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