第4話1-3

 ジュンは説明を受けました。


「つまり、植物の葉っぱの1つに僕の住んでいる街があるのですか」


 立ち上がっているジュンはダインと同じ目線で話していました。先程まで大きく見えていたダインを等身大に感じていました。意外と小さいと内心ジュンは思っていました。

 得体の知れないものは大きく見えるものですので、ジュンはダインのことを少し近しいものに感じたのでしょう。自分と同じくらいの身長で同じ人間で同じ年、近しいものです。そんなジュンには大樹が今だに大きく感じます。

 実際に大樹は大きいのですが、ジュンには実際以上に大きく見えるのです。説明を受けてもやはり得体の知れないままの大樹ですので、ジュンには憧れのままでした。それに、ジュンは自分の街に居場所がないので、戻るわけにも行きません。


「僕も大樹を登るよ」

「そうは言うけど、どうやって登るつもり?」

「崖登りと同じさ。きちんと準備してきたよ。ハーケンとかロープとか持ってきたよ」


 ジュンはリュックから登山道具をジャラジャラと出しました。意気揚々と自慢げに準備万端であることを示そうとしました。言われなくても準備はしている。


「ふーん。でも、それじゃあ無理よ」


 ダインは興味なさそうに一瞬しました。ジュンは自慢げな顔のまま固まりました。そして、すぐに動き出します。


「どうしてだよ?」

「ジュンは崖登りしたことあるの?」

「したよ。練習したよ」


 ジュンは何か失ったものを取り返そうとするようにダインに食いつきました。連れて行ってもらえないこと、自分の努力を否定されたこと、そういったことを察知しての言動でした。そのジュンをダインは軽くかわします。


「多分、練習したとしてもそこまで大きな崖ではないと思うわ。ここから大きな山が見えないし。それに、そこまできちんと練習していないでしょ?厳しい崖登りをしたわけじゃなくて、天気のいい日に万全の体制でしたくらいでしょ?」


 ダインの指摘は図星でした。ジュンは言葉を窮しました。しかし、ここで認めたら先に進めないのです。


「悪いかよ。天気のいい日じゃないと危ないだろ。それに、ここから見える山がないからといって、勝手に大きな山がないと決め付けるなよ」

「ジュンは何も分かっていないわ。あなたがこれから登ろうとしているのはこの大樹だよ。どんなに遠くから見てもはっきり見えていたはずのこの大樹だよ。そこらのちょっと大きな山で崖登りしたところで、比べ物にならないわよ」

「そ、それは……」


 ジュンは少し納得したように言葉を窮してしまいました。ダインの指先には天をも貫くような高い大樹がジュンを圧倒しました。それはジュンの眼球に映りきらない、枠にはまらないものです。


「それに天気がいい日じゃないと危ないですって? この大樹に登っていたら多少の天気の善し悪しなんか危険でも何でもないわよ。そんな考え方じゃやめといたほうがいいわ」

「じゃあ、どうしたらいいんだよ」


 互いに知らないうちに敬語でなくなっていました。打ち解けあったというわけではないが、互いに敬う感覚がなくなってきたのです。


「そうね。とりあえず、そういう道具を頼らないところから始めないといけないわ」


 ダインはジュンからリュックを取り上げて逆さにし、登山道具を一式地面に捨てました。その地面に落ちる音は無情にも崖から落ちた人たちの音のようにジュンには聞こえました。ジュンは吐き気を催しましたが、喉より下で堪えました。


「登るのを諦めろというのか?」

「いいえ。頼るのは道具ではなく、自分の体よ」


 ダインはまっすぐな目でいいます。ジュンは吐き気が引いていくのを感じました。そして、見捨てられていない安堵と道具を無碍に捨てられた憤怒でどうしたらいいのかわからな態度になりました。


「ちょっと待てよ。この樹木を道具なしで登れというのか?それこそ自殺行為だよ」

「そうよ。普通に登ろうとしたら自殺行為だわ。でも……」

「でも?」

「きちんと体を使いこなせば、登れるわ」


 ダインは片手を近くの木に触れると、そのまま滑るように上がって行きました。ダインが茂みの闇に消えて、風と茂みの音のみが残りました。ジュンはただただ見上げるのみで、アホみたいに口をポカンと開けました。


「――何が起きたんだ?」

「あなたにはこれができるかしら、ジュン」


 木の上からダインは月のように顔を出しました。その試すかのような口調はジュンの心に響きました。ジュンはやる気を震わせました。


「何だそれは? どうやったらできるんだ、それは?」

「1つ1つ説明していくわ。まずはそうね……これは特殊な能力よ」

「それは見たらわかるよ。僕にはできないの?」


 ジュンは自分にできないかと不安に襲われました。子供というものは自分が選ばれた特殊な人間だと夢想するところがあり、その夢から目を覚まして大人になっていくのです。ジュンは夢から目が覚めそうでした。


「特殊な能力だけど、本来は誰にでもできる可能性があるのよ。ただ、そのための練習をしていないからできないだけ。いきなり料理しろと言われてもできないようなものよ」

「そうなのか。僕にもできるのか。教えてくれ」


 ジュンは再び夢の中に戻りました。自分が特殊になる夢、街の外の大樹に行く夢、夜に見る夢の続きのようでした。夢を与えるダインは教えます。


「これはね、水を意識するのよ」


 ダインは滑るように木を降りてきました。上がる時と同様に音もなく衝撃もなく、優しく地に落ち木を触っていました。


「水って、あの水?」


 ジュンは寝耳に水でした。聞き間違いなのか夢の中なのか、そのどちらでもないのかわかりませんでした。見当がつかない状況です。


「そうよ。いつも飲むでしょ? 生きるために必要なものよ」

「その水が……え? どういうこと?」


 聞き間違いでも夢の中でもないことは確認しました。しかし、見当がつかない状況は変わりませんでした。


「私たちの体の70%は水でできているのは知っている? それと同じように、多くの生物も水を多く含んでいるのよ。同じことは植物にも言えて、この木やあの大樹も大量の水を含んでいるのよ」


 ダインは学校の先生みたいに説明してくれました。その内容自体はジュンでも理解できたのですが、その説明の意図はわかりませんでした。ジュンは渋い顔をします。


「僕たちや木が水をたくさん含んでいることはわかったけど、それとさっきの特殊な能力との関係は何だよ?」

「共鳴、って知っている? 自分と相手とが同じようになることよ、感覚とか考え方とかが。元々は音の振動が別の物体に同じように伝わることから生まれた言葉よ」


 ダインは再び学校の先生みたいでした。ジュンは再び内容はわかったが意図がわかりませんでした。再び渋い顔。


「それは学校の授業で学んだ……で?」

「その共鳴を水で行うのよ。自分の体内の水と相手の体内の水とを共鳴させるの。そうすることによって自分と相手との感覚とかを繋げるのよ」


 ダインは再三に渡って学校の先生みたいでした。ジュンは今度は内容がわからないけど、意図はわかりました。どちらにせよ渋い顔。


「よくわかんないけど、それによってどうなるんだ?」

「相手の体内の水を自分の体の中の水のように扱うことができるのよ。もちろんそれは木にも言えることよ。そして、木の中の水と共鳴して繋がり操ることによって、木の中の水を上昇させて尚且つそれにくっついて自分も上昇できるのよ」

「なるほどー、わかったつもりでいる」

「まぁ、いきなり言われてもわからなくて当然ね」


 ジュンが理解できていないことにダインは理解を示していました。ダインも理解できないことを見越してそこまで説明に力を込めていませんでした。おそらく、自分が学んだ時も説明を理解できなかったのか、今までに何回か説明したのに理解されなかったことがあったのでしょう。


「とりあえず、そうやってさっきみたいに木に登るのか」

「そうよ。水を操ることが大切よ。自分の体の中の水を操り、相手の水と共鳴し、相手の水を操る、それを悪用すると……」


 ――ダインが触っている木の部分がいきなり人の大きさほどの大きな穴を空けました。


「……こういうふうに凶器になるわ。だから、気をつけてね」

「――っ!? すっげ!」


 ジュンは腰を抜かしました。音もなくいきなり大きな穴が空き、穴が空いた木は倒れることもなく静かに立ったままでした。それを見てジュンは胴体に穴が空いたクマを思い出しました。


「まぁ、ここまで破壊力が出るのは大変だけれども、少し傷を付けるくらいまでなら少し頑張ったらできるわ」

「僕もそれができるのか?」


 ジュンの目先には大穴が空いた木は崩れることなく、立派に立っていました。普通なら倒木するはずの穴なのに、その特殊な能力にはほかにも何かがありそうです。


「できるかではなく、できないと大樹を登る資格が無いわ。さっきみたいに破壊できるまでではなく、少し傷を付けるくらいまではね」

「そうか。ところで、あの木は倒れないが、どうしてだ? 普通なら倒れると思うけど、あの穴の空き方からしたら。それもその特殊の力か?」

「そうね。たしかにこの能力は植物を倒すことはないわ、穴やキズをつけることはあっても。動物だったら倒すのにね、どうしてかしら? 理由はわからないけど、そういう特性だし、そのおかげで大樹に登ることが出来るわ」


 その説明は納得できるものではありませんでした。しかし、今のジュンにはそこまで大切なことではありません。それよりも……


「……少し傷を付けるくらいでいいのか?」


 ジュンはそれくらい自分でもできると言いたいがように笑みを浮かべながら手を木に当てました。ダインは意外な反応に眉をひそめました。


「したことあるの?」

「さぁね。でも、できそうな気がする」

「少し傷を付けるくらいまでできたら、少なくとも大樹にくっつくことができるわ。あとは崖登りの要領で頑張るしかないけどね。仮にさっきくらいの大きさの穴を空けることができたら、私みたいな木登りもできるわよ」

「そうか。では……」


 沈黙が続きます。ジュンは木を触っています。ダインはそれを見ています。


「――どうしたのよ? 早くしなさいよ」

「……どうしたらできるの?」


 ジュンが手で木に触れながら困った顔で笑っていました。ダインはしかめた眉を緩めてため息をつきました。ジュンの素人ぶりに呆れたのか、自分の騙された事実に呆れたのか、彼女は優しく言葉をかけました。


「――いきなり木で修行するのではなく、まずは水に慣れるところからよ」

「――よろしくお願いします」


 ジュンは恥ずかしそうに返事しました。

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