3-15. ウサギのエプロン

 翌朝、山のようにある食べ残しやゴミの山を淡々と処理しながら、俺はこの店やドロシーをどうしようか考えていた。武闘会とは言え、貴族階級である勇者を叩きのめせば貴族は黙っていないだろう。何らかの罪状をこじつけてでも俺を罪人扱いするに違いない。であれば逃げるしかない。リリアンが味方に付いてくれたとしても王女一人ではこの構図は変えられまい。事前に彼女の騎士にでもなって貴族階級に上がっていれば別かもしれないが……、そんなのは嫌だ。

 であれば、店は閉店。ドロシーは解雇せざるを得ない。

 そして今後、ヌチ・ギや王国の追手から逃げ続けなければならない暮らしになることを考えれば、ドロシーとは距離を置かざるを得ない。危険な逃避行に18歳の女の子を連れまわすなんてありえないのだ。どんなに大切だとしても、いや、大切だからこそここは身を引くしかない。


 悶々もんもんとしながら手を動かしていると、ドロシーが起きてきた。

「あ、ド、ドロシー、おはよう!」

 昨晩の熱いキスを思い出して、ぎこちなくあいさつする。

「お、おはよう……なんで私、二階で寝てたのかしら……」

 ドロシーは伏し目がちに聞いてくる。

「なんだか飲み過ぎたみたいで自分で二階へ行ったんだよ」

「あ、そうなのね……」

 どうも記憶がないらしい。キスした事も覚えていないようだ。であれば、あえて言及しない方がいいかもしれない。

「コーヒーを入れるからそこ座ってて」

 俺がそう言うとドロシーは、

「大丈夫、私がやるわ」

 と、言ってケトルでお湯を沸かし始める。

 俺はまだ食べられそうな料理をいくつか温めなおし、お皿に並べた。


 二人は黙々と朝食を食べる。

 何か言葉にしようと思うが、何を並べても空虚な言葉になりそうな気がして上手く話せない。

 ドロシーが切り出す。

「こ、このテーブルにね、可愛いテーブルクロスかけたら……どうかな?」

 なるほど、いいアイディアだ。だが……もうこの店は閉店なのだ。

 俺は意を決して話を切り出した。

「実はね……ドロシー……。このお店、たたもうと思っているんだ」

「えっ!?」

 目を真ん丸に見開いて仰天するドロシー。

「俺、武闘会終わったらきっとおたずね者にされちゃうんだ。だからもう店は続けられない」

 俺はそう言って静かにドロシーを見つめた。

「う、うそ……」

 呆然ぼうぜんとするドロシー。

 俺は胸が痛み、うつむいた。

 ドロシーは涙いっぱいの目で叫ぶ。

「なんで!? なんでユータが追い出されちゃうの!?」

 俺は目をつぶり、大きく息を吐き、言った。

「平民の活躍を王国は許さないんだ。もし、それが嫌なら姫様の騎士になるしかないが……、俺、嫌なんだよね、そういうの……」

 嫌な沈黙が流れる。


「じゃ……、どうする……の?」

「別の街でまた商売を続けようかと、お金なら十分あるし」

「私……、私はどうなるの?」

 引きつった笑顔のドロシー。透き通るようなブラウンの瞳には涙がたまっていく。


「ゴメン……、ドロシーの今後については院長に一緒に相談に行こう」

 ドロシーがバンッとテーブルを叩いた。

「嫌よ! せっかくお店の運営にも慣れてきたところなのよ! 帳簿も付けられるようになったのに! これから……なのに……うっうっうっ……」

 テーブルに泣き崩れるドロシー。

「お金については心配しないで、ちゃんとお給料は払い続けるから……」

「お金の話なんてしてないわ! 私もつれて行ってよ、その新たな街へ」

「いや、ドロシー……。俺のそばにいると危険なんだよ。何があるかわからないんだ。また攫われたらどうするんだ?」

 ドロシーがピタッと動かなくなった。

 そして、低い声で言う。

「……。分かった。私が邪魔になったのね? 昨晩、みんなで何か企んだんでしょ?」

「邪魔になんてなる訳ないじゃないか」

「じゃぁ、なんで捨てるのよぉ! 私の事『一番大切』だったんじゃないの!?」

 もうドロシーは涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「す、捨てるつもりなんかじゃないよ」

「私をクビにしていなくなる、そういうのを『捨てる』って言うのよ!」

 そう叫ぶと、ドロシーはエプロンをいきなり脱いで俺に投げつけると、俺をにらみつけ、

「嘘つき!!」

 涙声でそう叫んで店を飛び出して行ってしまった。

「ドロシー……」

 俺はどうする事も出来なかった。ドロシーが一番大切なのは間違いない。昨日の旅行で、熱いキスでそれを再確認した。しかし、大切だからこそ俺からは離しておきたい。俺はもうドロシーがひどい目に遭うのは耐えられないのだ。次にドロシーが腕だけになったりしたら俺は壊れてしまう。

 もう、ドロシーは俺に関わっちゃダメだ。俺に関わったらきっとまたひどい目にあわせてしまう。

 そして、ここで気が付いた。ドロシーが『一番大切』という言葉を覚えているということは、昨晩の事、全部覚えているということだ。記憶をなくしたふりをしていたのだ。俺は自分がドロシーの気持ちを踏みにじっていて、でも、それはドロシーのために譲れないという、解決できないデッドロックにはまってしまった事を呪った。

 俺はため息をつき、頭を抱える。

「胸が……痛い……」

 なぜこんな事になってしまったのか? どこで道を誤ったのか……。

 俺はドロシーが投げつけてきたお店のエプロンをそっと広げた。そこにはドロシーが丁寧に刺繍したウサギが可愛く並んでいる。

「ドロシー……」

 俺は愛おしいウサギの縫い目をいつまでもなで続けた。

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