第46話 昔のメンバーと

「うげっ、緑色じゃん。大丈夫なの? それ」


 日暮れと共に集合地点に戻ってきた俺を見て、とことこと近寄ってきたミヤビは開口一番に「ひい」と、短い悲鳴をあげた。その様子から察するに、頭からゴブリンの血を浴びた俺の全身は余程緑色に染まっているんだろう。

 

「鼻、切れてるよ」


 ちょんちょんと、自分の鼻を指す。

 人差し指で鼻先をぬぐうと指の腹に赤色の血がついた。


 そういえばゴブリンのククリナイフが鼻先を掠めたっけ。


 とはいえ、もう傷口も大分乾き始めているらしく、こすると瘡蓋のように血の塊が足元へと落ちる。痛みはもう無かった。


「ああ――問題ない」


「ふうん、そう。――頑張ったみたいだね、そんな顔してる」


 ミヤビが微かに笑う。

 図星ではあるが、そんなに顔に出てたんだろうか。


「まあ、色々あってさ」


「そうみたいだね。お疲れ様」


 ゴブリンをひとりで倒したんだぜっ、なんて、あれやこれやとミヤビに伝えようと思っていたけど、嬉し気な彼女の顔を見ただけで、多くを語らなくても良さそうだった。


「なんだか、激しい一日だったよ」


 言いながら硬い土の地面にへたりこむ。

 腰をおろした途端、気が緩んだのか、今日一日の疲労が全身をめぐる。

 緩んだ気持ちとは裏腹に、パンパンに張った全身の筋肉が悲鳴を上げた。

 

「そう。ほら、お水で綺麗にしなきゃ。色だけじゃなくてなんか生臭いし。――ちょっと冷たいけど我慢してね」


「……ん? って、冷たっ」


 何も了承する間もなく、ジャブリと大砲のような水玉が真上から落ちてきた。

 ミヤビがスキルを使ってくれたのだろうが、真冬の水温並に「だあっ」と情けない声が漏れた。


 もう少しぬるめだったら良いのだけど、全身についたゴブリンの血や匂いを洗い流してくれるだけでもありがたいので文句は言えなかった。


 まったく、便利なスキルだよ、ほんとに。

 

 ミヤビのスキルに頼って何度か身体を洗いながし、替えの服に着替えたところでようやく一息つく。


 馬車の前で火をおこして、ぱちぱちと燃える炎を見ながら冷えた身体を温める。


 転々と等間隔で炊かれている焚火が街灯の代わりとなり、辺り一面を鮮やかに照らしていた。


 時折、森のなかから獣の鳴き声がしてきたり、何かが木々の間を動き回る気配がするものの、心細さを感じない理由は今ここにいるのが自分ひとりでは無いという安心感があるからだ。


 その安心感を与えてくれる、十数人の冒険者たち。

 

 ロザリーの茶会も誰一人欠けず無事に戻ってこれたようで、5~6人で焚火を囲い「やっぱゴブリンだけじゃ味気ないな」とか「俺は二十は倒したね」など、今日の成果を楽しそうに語り合っていた。その中にはもちろん、リトル少年やシャルロッテ嬢、冒険者新聞記者エミリーの姿も。


 不気味なモリアの森林にいながらも、街の酒場にいるときのような賑わいだ。


「リトル少年も無事か――良かった。けど、大変そうだな相変わらず」


 リトルといえば、休むこともせずにせっせと薪をくべたり、小動物のように動き回っていた。大変そうだとはいえ、あれがリトルの幸せなんだろう。忙しくしながらも、矢継ぎ早に飛んでくるシャルロッテの話を嬉しそうに聴いている彼を見ると、まんざらでもなさそうだ。


 俺からの視線に気づいたのかリトルと目が合った。

 手を振ると「ジークさん!お疲れ様でした!」と元気な挨拶が戻ってきた。


「仲良くなったみたいで良かったじゃん」


 退屈そうにミヤビが言う。


「リトルたちのことか?」


「ん」


「仲良くなった……というよりかは少しはあの子のことを知れたって感じかな。話してみるとさ、随分と大人だったよ。俺があれくらいの歳のころなんてもっと幼かったって思えるくらいにな」


 道中、リトルは「シャルロッテへの恩の為に行動している」と言っていた。


 住み慣れた故郷から、シャルロッテとふたりで飛び出して四苦八苦しながらも生き抜いてきたふたりのこれまでを想像すると、まだ子供のように見えて、心はそこらへんの大人よりもよっぽど成熟しているように思えた。


「ふうん。そう」


 ミヤビが「ふん」と鼻で息を漏らした。


「なんだよ」


「なんでもない」


「拗ねてんのか」


「す、拗ねてねーからっ!」


 なるほど、間違いなくご機嫌を損ねてしまったみたいだ。 

 

「それよりミヤビのほうこそどうなんだ? 昼間は様子がおかしかったけどさ。結局一日馬車にいたみたいだし。大丈夫か?」


「んむー」と両手を組み、

「なんだったんだろうね、あれ。今まであんなことならなかったのに。でも、今は平気」と肩をすくめた。

 

「そうか――ミヤビがそう言うのならいいんだけどさ。明日も無理そうだったら休んでていいからな?」


 今回のギルドからの依頼の予定日は一応明日まで。

 ミヤビがいた方がもちろん心強いのだけど、今日の感じからしても明日も俺ひとりで十分な気はしていた。だから無理にミヤビを突き合わせる必要はない。


「ううん、多分大丈夫。ありがとね」


「まあそれなら」いいんだけど、と言おうとしたとき、空腹を刺激する香ばしい匂いが風に乗ってきた。


「やあやあ、ジークさん、それとミヤビさん。今日はお疲れ様でしたね」


 香ばしい匂いと共に背後から現れたのは、骨付き肉の乗った皿を片手にもったマシェリだ。


 匂いにつられてか途端にミヤビのお腹がぐうと鳴る。


 ミヤビの空腹を察したのか、マシェリはニコリと笑い「どうぞ」と皿ごと差し出した。「これはジークさんとミヤビさんへ」


「え! いいのっ!?」


 焚火で焼いたにしては綺麗に焼き目のついた骨付き肉。


 それを前にして喉を鳴らしたミヤビは、少し恥ずかし気に受け取った。


 どうやら彼女なりのプライドも食欲には勝てなかったらしい。


「……あ、ありがと」

 

「大したものじゃありませんけどね。隣、いいかな?」


 言いながらマシェリは俺の隣に座る。


「なんか、差し入れまですみません」


「いえいえ、気にしないでください。あっ、ミヤビさんお肉は冷めないうちにどうぞ召し上がってくださいな」


「せっかくだからいただこう」


「うん! いただきますっ!」


 お預けをくらった犬のように、肉と俺の顔とを行ったり来たり視線を泳がせていたミヤビの顔が「まってました」とばかりに明るくなる。


 皿の上の骨付き肉は4つ。ふたりで半分こというマシェリの計らいなのだろうけど、目を離している隙にミヤビの胃袋に全て収まってしまうことだろう。美味しそうに肉にかぶりつくミヤビを見ると、まあ、それもいいかなって思うんだけどさ。


「はは、あんなに美味しそうに食べてもらえるならお届けにきたかいがあったというものですね。しかしミヤビさんはもう少しクールなイメージがありましたが、なるほど年相応な一面もお持ちなようで」


 独り言のようにマシェリが言う。


 たしかに俺もはじめはマシェリと同じような感想だった。ツンツンというかサバサバというか、冒険者新聞で知ったミヤビの印象と今とではギャップがありすぎたから。


 おっさんふたりで、ミヤビの微笑ましい食事シーンを眺めているとマシェリが俺の肩を叩いた。


「さて――ジークさん、今日は大活躍だったようで。陰ながら応援していましたが、何の心配もありませんね」


「……えっと――つまり、見てました?」


「ええ、別クランとはいえ今回の依頼はあくまでも共同での依頼です。なので万が一のことがあってはいけないでしょう。とはいえ、差し出がましいことをするつもりはありませんでしたが……一応、ね」


「変に心配をかけたみたいで。対してかっこいいところもなかったんで、ちょいと恥ずかしいな」


「なんのなんの。見事な戦いっぷりでした。ゴブリン相手とはいえ、スキルも使わずにあそこまで見事に攻撃をいなせるなんてなかなか出来たことじゃありませんから」


 きっと半分以上はお世辞なんだろうけど、Bランククランのリーダーからの賛辞は素直に受け取っておくことにしよう。


「いやいや本当に俺なんて大したことないですよ――それよりも、そちらはどうなんですか? 冒険者新聞の取材とかもあって忙しそうでしたけど」


「ああ、そうですねえ。エミリーはとても仕事熱心なんですが、集中するとどうも前のめりになりすぎちゃうようでね。それが原因か、どうもシャルロッテと上手くいっていなくて」


 確かにシャルロッテ嬢の相手をするのは難しそうだ。

(なにしてるのエミリー! 他のメンバーなんてほおっておいて、もっとわたしをフォーカスしなさい!)なんてツンツンと指示している様子が目に浮かぶ。


「メンバーが多いクランもなかなか大変そうだ」


「ははは、うちのメンバーは個性的な面々が集まっていますから、余計に大変ですね。といっても、皆からすれば僕のことをサポートするほうが大変だと思っているかもしれないけどね」


「そうですか? そんなこと……というと語弊がありそうですけど。そんな風には見えないけどな」


「僕は助けられてばかりです。クランのみんなには感謝してるんですよ。こうしてクランが大きくなってきているのもみんながいてこそですから」


 ぽりぽりと頬を搔きながら照れくさそうに言うものの、メンバーへの感謝は嘘偽りのないマシェリの本音なんだろう。「昔はこんなことがあって、誰に助けられて」なんてクランリーダーであれば隠しておきたいようなことまでを教えてくれた。


 今日のことを互いに報告し合っていると、俺への質問へと話題が変わる。

 

「そういえば、ジークさんは何でクランを立ち上げようと思ったのですか? 理由は様々だと思いますが、ひとりでゼロから始めるなんて苦労が大きいでしょうに」


 いやー実は前のクランを追放されたからなんですよね。


 なんて笑い話にできればいいんだけどさ。出会って間もないマシェリに余計な気を遣わせることになるだろうし。


 うーん、と考えてからやや言葉を濁す。


「正直なところ、前のクランで色々あったっていうあまりカッコいい理由じゃないんですよね」


「ふむ」


「……前のクランを抜けたことがきっかけで自分の冒険者としての限界を知ることになって。それで――昔から憧れていた夢をもう一度見る為に最後に悪あがきしてみようって思ったんです。冒険者として最後にあがいてみようって。それでダメなら、その……冒険者人生を諦めようって思って、それでクランを始めたんです」


 言葉を濁したせいかロマンチックなようで、十代の若者が掲げるような猪突猛進な答えになってしまった。聞く人がきけば「なんだそんな甘っちょろい考えで」と説教されそうなもんだ。


 しかし、マシェリも流石十数人を束ねるクランのリーダーである。


 なんの答えにもなっていないはずの俺の言葉から、触れてはいけない場所を感じ取ったのか、深く問うことなく静かに頷くだけだった。

 

「冒険者って色々ありますよね。自分の限界を感じて、いつ諦めようかって思ったり。諦めるしかないって分かっていても、けれど、どうしても諦める勇気がでなかったり」


 諦める勇気がない、か。

 確かにマシェリの言う通りだ。


 諦めるしかない、自分には無理だって分かっていてもどうしてもその一歩を踏み出すことができなかった。一歩踏み出すどころか、これまで積み重ねてきた全てを自分自身で否定してしまうような気がして。


「諦めることって悪いことじゃないんですけどね。僕も昔はそうでした。諦めちゃだめだ、だめだって自分に言い聞かせて。至らないのは自分の努力が足りないだけだと、生まれ持った器の広さを認めたくなくて、これ以上広げようもないものを大きくしようと必死でした」


「けれど」と一息落としてマシェリは続ける。


「今はクランのみんながいます。僕には足りていないものは誰かに補ってもらって、みんなで一緒に成長していければ良いって思えるんです。スペシャルな人がひとりだけいて、それに頼るなんて多分、いや――きっと上手くいかないでしょうから」


「そう……ですね。うん、間違いなくそうだ」


 スペシャルな人間ひとりにだけ頼ってもいいことなんてない。

 それをしてしまったクランがどんな結末を迎えたか、俺自身よく理解している。


「ですから、ジークさんも良いお仲間と巡り会えますように」


「仲間、ね……」


 こういった話をするとオラクルの街と一緒に決別した鷹の爪のメンバーの顔が嫌でも頭に浮かんでしまう。モリアの森林にきてからずっとこうだ。マカラス、ガラルド、エミルダ、そしてシルク。あんなことがあったのに、昔の良い思い出だけが都合よく。


「っと、これは失礼。もう既に良いパートナーがいますか」


 マシェリの視線がミヤビを向く。


 気づけば皿の上の肉は残り半分。

 多分俺とマシェリの会話なんてひとつも耳には入っていないことだろう。

 苦悶の表情を見せながら、残った肉と睨めっこしていた。

 

 見られていることに気付いたのかミヤビと視線が交差する。

 色々なことを考えながら、しばし見つめ合う。


「いいよ。ミヤビが食べな」


「……我慢する」


「いいから」


 ミヤビは「うー」と唸ったあと「ごめんっ!」と残った肉に手をつけた。

 肉の油で口周りがテカテカだ。

 

「ミヤビ、汚れてる」


 口をちょんちょんと指差し、ハンカチをミヤビへと放る。


「あい」

 

 雑に口を拭くと油のテカリが余計に広がってしまった。

 こんな姿をエミリーに見られてしまえば冒険者新聞の良いネタになってしまうだろうに――。


「ああ、やっぱり」


 マシェリが笑う。


「あなたたちは、もうすでにお互いの足らないところを補っているかもしれませんね」



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