第45話  ジーク

 初級冒険者に丁度良い言われる魔物、ゴブリン。


 でも実は結構に厄介な魔物だ。小柄ではあるものの獣らしく伸びた牙や鋭い爪を使い群れをなして襲い掛かってくるし、知能は自体は低くくてもこと狩りに関しての能力は人間以上に優れている。だからゴブリン程度——と油断して返り討ちに合う冒険者は少なくない。


 かくいう俺だって昔はそうだった。何もできないくせに、ゴブリンくらい――って舐めてかかって何度死にかけたことか。それでも、何もできなかった俺が今こうして生きていられるのも、サポートしてくれる鷹の爪のメンバーがいたからだと思う。


 噛まれても刺されてもシルクが治癒してくれて、仕留め損ねたゴブリンはマカラスがカバーしてくれて。そういやガラルドにも助けてもらったこともあったっけな。


 でも、あの頃と今じゃ色々なものが違う。誰かを頼ったり助けてもらうなんてもう出来ない――漠然と今の自分はひとりなんだと思うと、今まで感じたことのない心細さに襲われる。


 縁あってロザリーの茶会とやってきたモリアの森林。樹齢百年は越えるだろう大木や、色とりどりの植物が生い茂る広大な森のなかで、やたらとやかましく鳴る心臓の音を抑えるようにして胸に手をあてた。

 

 十数メートル先、葉の天井がぽっかりと空いて暗い森の中に差し込む一筋の陽光。


 陽だまりの中心にはゴブリンの姿。


 すでにコト切れている野ウサギの腹にかぶりつき「ギャッギャッ」と楽し気な鳴き声をあげていた。濃い緑色の身体、汚れ擦り切れた麻布の前掛け。背丈は百二十cmほどかな、俺よりも頭二つ分は小さい。


 視界に捉えているのは一匹だけ。二、三匹でチームを組み狩りをおこなう習性をもつゴブリンだが、注意深く辺りを見回しても気配を感じ取れないことから群れからはぐれたゴブリンなのだろう。


 風にのって漂ってくるのは鉄っぽい血の匂い。

 気配を悟られぬように息を短く吐き呼吸を整える。

 全力で坂を駆け抜けたときとは違う、不規則な動悸。


 腰に据えた短剣の柄に手をかける。

 カタカタとホルダーが音を鳴らす。

 見ると手が震えじわりと手のひらに汗をかいている。

 柄に伸ばした手を戻し、胸元で汗を拭う。


 目を閉じる。


「大丈夫、大丈夫」


 俺ならやれる――。

 何度もそう言い聞かせた。


 ゴブリンなんて――と甘く見るわけじゃない。

 超位回復もない俺にとって、なんてことない相手な訳でもない。


 けれど、爪でひっかかれて噛みつかれたとしても、すぐに死にはしないんだ。

 そう――随分と可愛いもんだ。

 

 この前やり合ったばかりの化け物に比べれば、さ。


 アホみたいな力でぶん殴られて蹴とばされて、骨を砕かれた痛みや恐怖に比べたらなんてことはない。地獄みたいな時間を思い出すだけでも胸やけがしそうなもんだけど、そうやって考えれば張り詰めていた空気が少し緩んだ気がした。


「ああ、そうだビビることなんてないさ――」


 メンバーたちがいたあの頃とは色々なものが変わっているけど、それは俺自身にも言えることでもある。もう成長なんてするはずないって思っていたステータスだって上がり始めてるんだから。


 何もかもが昔と同じじゃない。

 俺だって変わってる。

 いや、変わっていかなきゃいけない。


 生唾を飲み込み、相変わらずランチを貪っているゴブリンたちに目を向ける。

 


 いち、にい、さんだ。

 うん。

 いち、にい、さんでいこう。

 

 そう決めて、

 タイミングをはかる。 


 いち、数えて

 ――息を吸う。

 

 にい、数えて

 ――吐き出す。

 

 もう既に手の震えも止まっていた。


 さん、とはもう数えない。


 地面を蹴り、飛び出す。

 ゴブリンたちに向かい一直線に。

 

 飛び出すと同時、流石獣といったところか鈍く光る赤い瞳に貫かれた。


 俺の姿を捉えたゴブリンが腰に据えた短刀に手を掛ける。そして、まるで猫がネズミを狩ろうとしているように四つん這いの姿勢になると同時、細枝のような四肢についたしなやかな筋肉が二倍近くに一気に膨らんだ。


 怖くない、怖くない、怖くない。


 距離はまだ10m少し。


「ギィィィ」だの「ガア」だのよく分からない雄たけびが戦闘開始の合図。


「やってやんぞ、ばかやろうっ!」


 飛び掛かってくる――直感的にそう思うのと同時。


 俺に向かってゴブリンが真っすぐに突っ込んできた。ただの人間には到底真似できないほどの圧倒的な瞬発力。踏み込まれた地面から土煙が巻きあがる。 

 まだ距離はあったはずなのに、一気に縮まった距離。


 分かってはいても、ゴブリンの醜悪な面が目の前に迫ったことで冷静さを取り戻していたはずの心が途端に乱れてしまいそうだった。


 眼前に迫ったククリナイフが水平に薙ぎ払われる。

 足先に力を込めなんとか踏みとどまる。

 剣先が鼻先をかすめてカッと熱を帯びた。

 

 それでも痛いなんて思う暇はない。


 鼻先の皮一枚だけを切った大ぶりの一撃にがらあきになったゴブリンの腹、浮き出たあばら骨を目掛けて何の芸もない前蹴りを差し込んだ。


 重たいな――


 子供みたいな体格をしてるくせに質量が全く違う。まるで砂袋を蹴り飛ばしているような重量に後ろにすっころんでしまいそうだった。それでも、カウンターのように決まった蹴りがゴブリンの身体を後退させた。 


「ギァァッ!」と雄たけびと、口から噴き出た唾液はダメージによるものではないのだろう。まるで鼓舞、野生の魔物の闘争心に火が付いた。一旦引いた小さな身体を小刻みに震わせ、怒りをむき出しに襲い掛かってくる。


 弓なりに沿った身体から放たれる上段からの一撃は——、俺の身体を両断することなく地面に突き刺さった。どれほどに力を込めていたのか、巻き上がった土飛沫を顔面に浴びる。反射的に顔を覆いたくなっても、絶対に目だけは反らさない。


 鈍く光る赤い瞳、視線が交差する。


 ふっ、ふっと短く浅く息を吐きだし呼吸を整える。

 次の攻撃に備えてグッと腹に力を入れた。


 くる、そう思うのと同時。


 頭を低くし、地面を這いながら襲い掛かってくるゴブリン。人の形をしていながら、まるで肉食昆虫のような俊敏な動きだ。ジグザグと進路を変えながら、開いた距離を一気に縮めてきた。


 低空から、顔面へ。


 二撃目、下から上へと突き上げる斬撃。顎から一直線に顔面を突き刺そうってことか。でも、今後は上手く躱すことができた、刃先は俺の皮一枚もかすめることなく、虚しく空を切り風圧だけが顔を撫でる。 


 三撃目、真っすぐ腹に向かってくる突き。

 身体を捻り、俺の横を突っ切るゴブリンの禿げ頭を見送る。


 四撃、五撃目。右に左に上に下へと身体のバネを活かして繰り出される攻撃の数々。


 でも――もう、土飛沫さえもあたらない。

 

「ぐるる」と大きく荒くなった獣のノイズよりも、風に吹かれ葉がこすれ合う森の音のほうがやけにクリアに聞こえる。いつもなら命のやり取りに喧しく鳴っているはずの心臓も今はえらい静かだ。


 この感じはいったいなんだろう――。


 ククリナイフを何度も振り下ろしてくるゴブリンの隙をついて、二の腕目掛けて短刀を振ると肉を裂く確かな手ごたえが指先から走る。だけど、これだけじゃたりない——、吹き出した緑の体液を顔に浴びながらも、ひるむことなく二撃目をくりだした。が、細った脇腹に刃先が向かう寸前に弾かれる。流石に急所がどこかは分かっているということか。


 死に物狂いとばかりにゴブリンの手数が増えてきた。腱が切れたのかダラリと垂れさがった右腕からククリナイフを左手に持ち換え、攻撃が重ねられていく。これまで以上に一撃一撃が早く、重たい。


 けれど――

 やっぱり見えている。 


 ゴブリンの攻撃が、見えている。


 今までこんなことはなかった。


 戦闘になると、目の前に迫る恐怖に全身が固まって思い通りの動きなんてできやしなかった。ビビッて足が震えてしまっていた。気を抜けば小便でもちびってしまいそうな程に。


 でも、いまはどうだ。スローモーションとまではいかないものの、攻撃がどこに向かってくるのか、ゴブリンの狙いを直感的に理解することができている。頭から四肢の指先まで俺の思ったように動いてくれる。


 そう思えるのはきっとウェスカーとの戦いを自然と思い出しているからだろう。速度も威力も、ウェスカーから受けた攻撃と比べると、あまりにも離れすぎている差。


 これまで散々苦労してきた相手のはずなのに、全く別の魔物を相手しているような気さえしてきた。


 緊張と恐怖に委縮していたはずの心に膨らんでいくのは、今まで感じたことの無い戦うことへの高揚感。攻撃を見切り、狙いを澄ませてダメージを与えていく。少しずつ、少しずつ、それでも確実にゴブリンよりも優勢に立てている。


「はは……」笑う余裕なんてないはずなのに。


 嬉しい、嬉しい、嬉しい。


 普通の冒険者のように戦えている自分が、まるで今ようやく冒険者としての第一歩を踏み出したように思えてとにかく嬉しいんだ。


(自分でクランを立ち上げた? ひとりで何もできないのに?)


 ああ、確かアイツらはそう言ってたっけ。


(役に立たないスキルじゃ、ゴブリンにだって勝ち目がないでしょ)


 おい、どうだよ。


 少しはやれるようになったんじゃねーか。

 お前らは信じられないって思うかもしれないけどさ、こうして俺は一丁前にゴブリンとやり合えてんだぞ? いつも対して活躍もできなかった俺がだぞ? どうだ、驚きだろ?

 

 アイツらが馬鹿にしていた何もできない俺はもういない、変わったんだ。


 そうだ、もうあの頃とは何もかもが違うんだ。


「ありがとな、くそったれのウェスカー」


 あんなやつに感謝なんてしたくないし、色々なものぶんどられてしまったけど。何を無くしたのかも分かってもいないけど。でも、失ってしてばかりじゃあないらしい。


「ありがとな、ミヤビ」


 ここにはいないけれど、今の俺がこの状況にいられるのは間違いなく彼女のお陰でもある。彼女にしてみれば些細なことなのだろうが、俺が一歩踏み出すきっかけをくれた。手を引っ張ってくれた。


 ひとり馬車で待つミヤビのことを想う。

 帰ったら、真っ先に彼女に今日のことを報告しよう。

 あいつはそんな報告を聞いてなんて言うんだろう。

 

 ふーん、良かったじゃん。っていつもの調子で言いながらもふわふわな尻尾をパタつかせてくれるんじゃないだろうか。まあ、戻ってからのお楽しみとしよう。


 最後まで油断はできないけど――そろそろ終わりにしなきゃな。

 はぐれゴブリンだからといって仲間が近くにいないとも限らない。

 調子こいて油断した結果、ダサく返り討ちになるのだけはごめんだ。

 

「ありがとな、ゴブリン」


「ギィアァァアアア!」と叫ぶ、これはきっと俺の言葉の意味を理解してのリアクションではないだろう。狩られてたまるかと、瞳の光は損なわれることなく一層の炎を帯びた。最後の一撃がくる。


 ククリナイフを地面へ投げ捨て、真上へと跳躍した。

 高く、高く。

 最後の力を振り絞るかのように。

 大きく開いた口、伸びた鋭い牙。

 ゆっくり、ゆっくりと落ちてくる。


 俺も、腹の底から叫んだ。


 力強く握りしめた短刀を真っすぐに突き出す。



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