第42話 ミヤビとモリア

 時の流れが苔を鎧に変え、列となり立ち並ぶ大樹はまるで侵入者を拒む兵士の壁。

 今にも動き出しそうな木々の隊列を貫く林道は、無限の葉の屋根に覆われ入口から十メートルも進めば昼夜を惑わすほどの深い闇に包まれている。


 行きがけの馬車のなかとは打って変わって冷たい空気が辺りを包んでいた。時折聞こえてくる動物の叫び声に反応し、枝にとまる鳥たちが一斉に飛び立つ様を見、暗がりに潜む魔物の気配が漂っているようで空気がピンと張り詰める。


 心臓の鼓動が少しずつ早くなっていく。これまでのゴブリン狩りで命を落としそうになったことなんて殆どないが気は抜けない。ゴブリン相手とはいえ、一歩間違えれば死に至るから。


 しかし、そうして空気が重たく感じているのは俺だけなのか、森林を前にして他のギルドメンバーたちは全く物怖じしていない様子だ。誰がゴブリンを多く狩れるかだの、冒険者新聞の記事に一番多く載ってやるだの、はたまたミヤビに良いところを見せてやるだのと談笑を交わしている。


 その余裕はきっと、彼らにとってモリアの森林でのゴブリン狩りなんて簡単なものだという認識があるからだろう。


 実力がAランクに近いクランがどうしてモリアの森林なんかに?と疑問があったが、マシェリに聞いてみると答えは簡単なことだった。


 今回の彼らの目的はクランの活動を目的にしているのではなく、あくまでも冒険者新聞での取材が主だということ。つまり取材のために表面上の依頼を受けたというようなものだ。取材なのだから彼らにとってなんてことない簡易な依頼を受けるのが常套手段。だからこそのモリアの森林だった。

 

 今回、モリアの森林での依頼を共同受注したミザリーの茶会メンバーは総勢十五名。リーダーのマシェリ、サブリーダーのシャルロッテ嬢、リトル少年、以下メンバーたち。そして冒険者新聞記者のエミリー。

 

 同じ馬車とならなかったメンバーたちの名前はどこか朧気にしか覚えていない。というのも、とにかくみな何故かいるミヤビに興味深々で俺との挨拶なんて程々に我先にとミヤビへ話しかけにいったから。


「別に」「知らない」「わかんない」って面倒臭そうに相手をいなす様子をみて、ミヤビにもメンバーたちにもどちらにも申し訳なくなってしまった。そんな質問攻めや道中馬車の喧しさに疲れたのか、隣にいるミヤビは口数少なくどこか疲れた顔をしている。


「ミヤビ、大丈夫か?」


「……うん、大丈夫」


 大丈夫とは言うものの、やはり少し様子がおかしい。

 俯きがちに小さく頷いた。


「それではみんな、準備はいいですか? 今日は僕たちとしても初めての冒険者新聞の取材日であり共同で他ギルドさんと依頼を受けた日です。いつもと変わらず気を引き締めていきましょう。ジークさん、ミヤビさん、今日はよろしくお願い致します」


 マシェリが全員に声をかけた。

 小鳥のさえずりのような綺麗な声で。

 そしてこちらを見、深く頭を下げ、メンバーたちもつられて頭を下げる。

 ミヤビは別として俺にまで礼儀正しく対応をしてくれるあたり、流石上位ランククランのリーダーということか。ギルドセンターで言っていたように礼節を弁える立派な人物だと思う。


 まあ他メンバーたちは相変わらずミヤビのことしか見ていないようだけどさ。


「みんな、変にカッコつけようとしなくていいからね」と俺の気持ちを汲んだのか最後にマシェリが付け加えた。


 さあ、全員でゴブリン狩りだと、ミザリーの茶会の面々たちの後を追い林道に入る寸前になって、


「ジーク……ごめん、ちょっとまって」


 ミヤビに手を握られた。

 足が止まる。


 突然のことに驚き、彼女の顔を見ると普段より青白い。

 呼吸が浅くどこか苦しそう。


「どうした? やっぱり体調が悪いのか? なんかヤバそうだけど」


「違うの……でも、何か嫌な感じがするの。ここにいるの嫌なの」


 ここにいるのが嫌と言われて考える。


「みんなと一緒はダメだったか? ごめんな、無理させてさ」


「ううん、そういうことじゃなくて……」


 握られた手が小刻みに震えている。

 もしスキルで耳や尻尾を隠していなければ、きっとペタリと垂れさがっているのではないかと思う程に不安げな顔。


「この森にはいりたくない。出来れば君にも入ってほしくない」


「どうして?」


「分からない、分からないんだけど……何か怖いの」


 ミヤビが言うと同時、不安を煽るように森の奥で動物が鳴いた。不安というものの正体が何なのかは分からないが、怯えているといっても過言でもないミヤビの様子に胸がざわついた。


「ミヤビ、とはいえ俺だけが残ることは出来ないからさ。少しだけゴブリンやっつけてすぐに戻ってくるよ。それまでミヤビは馬車のなかで待ってて。本当にすぐ戻ってくるから」


 これはあくまでも共同作業。俺がミザリーの茶会メンバーたちの役に立つとは思っていないけど、ここまできて俺だけが残ることはできない。といってこんな状態のミヤビを放っておくわけにもいかない。だから、森の深くまで進まないように最低限のことを済ませて戻る、そうするしかないと思う。


「大丈夫ですかー?」


 後をついてこない俺たちを心配してか、入り口に立つリトル少年が声をかけてくれた。

 

「ごめん! 先に行っててくれ! すぐに追いかけるから!」


 リトルは了解と手をあげ、メンバーの後を追う。


 林道を行くメンバーたちの姿が次々に暗がりへと吸い込まれていき、土を踏む足音も徐々に離れていく。時折、さわさわと葉っぱが風に撫でられ擦れる音、ポトリと茂みに何かが落ちる音、自然の些細な音だけが残る。


 それさえも消えたとき、辺りに一瞬の静寂が訪れる。


 手のひらから伝うミヤビの心臓の鼓動。


 彼女はようやく「ごめん」と口を開いた。

 おでこに手のひらを重ね、汗を拭う。


「……私も少し休んだら向かうから、先に行ってて」


「ひとりで追いかけるなんて危ないだろ。駄目だよ。いいから、ミヤビは休んでて」


「いい。行く。だいじょーぶ」


「……動け無さそうなら無理はしないこと。それだけは約束な」


「うん。だって……こんなとき、君をひとりにしたら死ぬってのが演劇の定番だから」


「定番って――そんな怖いこと言うなよ」


「でも、本当に気をつけて。私の思い過ごしなのかもしれないけど、君も絶対に無理しないで。お願いだから」


「おう。無理のしようもないけどさ。わかったよ」


 ミヤビに見送られながら、森林へと吸い込まれていったメンバーたちのあとを追う。

 一歩、入り口から林道に足を踏み入れる。


 ひやりと冷たい風が吹いた。


 



 苔の生えた木が鬱蒼と茂り太い蔓が道を塞ぐように伸びていて、道を複雑にしていた。そして昼にも関わらずやはり暗い。木漏れ日が差しているとはいえ、それが余計に行く方向を惑わせる。前を進んだミザリーの茶会のメンバーの足跡が無ければついうっかり道から外れてしまうなんてこともありそうだ。


 メンバーたちの後を追いかけて十分ほど。

 ようやく人の姿が見え、声をかける。


「あっ、ジークさん。良かった合流できて」

 小動物のように無垢な笑顔を見せるリトル少年と、

「ああ、あなたですか。……とても、とても……遅かったん……ですね」

 はあはあと既に息を切らしているシャルロッテ嬢だ。


 他のメンバーとは少し距離があるようで、二人だけ。


「ミヤビさんは大丈夫でした?」


「ああ、少し体調が悪いみたいでさ。馬車で休んでる。だから俺も悪いけど少しゴブリンやっつけたら戻ろうかって思ってるんだ」


「そうですか――」と残念そうに言ったあとリトルは何かを思い出したように顔をしかめた。


「もしかして、僕がお水をかけてしまったから……風邪でもひいてしまったのではないでしょうか……本当にごめんなさい」


「ちがうちがう、そんなんじゃないから君は気にしないで」


「ほんとに……リトルは……昔からドジなんですから……」

「……ごめんなさい」

 俺のフォロー虚しくリトルは項垂れる。


「だからまじで違うって。――でも、ミヤビがこの森は何か危ないかもって言っていたからさ。君たちも気を付けた方がいい。思い過ごしだったらいいけど出来ればマシェリさんや他のメンバーにも伝えてほしい」


 危ないと聞いてもその意味が理解できなかったようで、シャルロッテ嬢は鼻を鳴らす。


「こんな初心者の森で……危ないことなんてないでしょうに……リトルならともかく。もし万が一にでもゴブリンオークが出てきたとて、あの程度ならわたくし達だけでもやれますから……」


「シャルロッテ嬢は相当腕に自身があるようで」


 つい、うっかり心の中での呼称が出てしまう。けど悪い気はしなかったのかリトル少年が受けるような説教が始まることもなかった。


「ええ、わたくしたちはその程度の魔物になんて眼中にありませんの。もっともっと、上の、名を上げられるような魔物を超えていかなければいけませんから」


「でもシャルロッテさん。ミヤビさんが言うのですから、ちゃんと気を付けておかないといけないのでは?」


「ミヤビさん、ミヤビさんってあなたまで……あなたはいったいどちら側の人間なのでしょうねっ!」

「ごめんなさいっ」


 顔を赤らめているのは息切れを起こしているからか、それとも怒りからなのか。

 高いヒールで蔓を思い切り踏んづけ、こけた。


「ほら、シャルロッテさん。危ないですよ」


「……リトルの馬鹿」


 最初はただリトル少年が一方的に怒られている思っていたけど、従者と主人とも違うこうしたやり取りを見てると何か特別な感情が見え隠れしている。


「――仲良いね、ふたりとも。羨ましいよ」


「なっ」


 と固まってしまう様子はなんとも古典的。

 

「そ、そんなことっありません!」

「そうか? ふたりを見てたらすごく仲良さそうに見えるけどな」

「そんなことありませんからっ!」


 赤らんだままの顔を震わせたシャルロッテ嬢。高いヒールをずかずか地面に突き刺しながら大股で先を行ってしまった。強気に振舞っていても中身はまだまだ子供といったところか、なんとも微笑ましい。


 十メートルほど先に行ってしまったシャルロッテ嬢の後ろ姿を、リトル少年の歩幅に合わせ追いかける。


 がしゃりがしゃりとリトルが下げたカバンの中身が音を立てる。ポーションやシャルロッテ嬢用の備品が入っているのか、相変わらずカバンはパンパンだ。


「少し持とうか? そんな大荷物だと歩くの大変だろう」

「いえいえ、慣れてますから大丈夫です」

「キツくなったら言ってくれよ?」

「はいっ。ありがとうございます」


 魔物の気配もない、静かな時間。 


「いつもああやって拗ねるのか?」

「え? ああ、シャルロッテさんは昔からああなんです。でも本当は優しい人なんですよ」


「へえ」


 聞けばシャルロッテ嬢とリトルとは幼馴染という関係らしい。

 ぽつりぽつりとこれまでのことを話してくれるリトル。

 故郷はクルージよりもずっと北の田舎町。そこの領主の娘とやらがシャルロッテ、その家に長く仕えていたのがリトルの家系というのが二人の関係性を構築している基盤となっているようだ。


「しかしまあ、そんな良家のお嬢さんが冒険者になることをよく許してくれたもんだ。ふつーだめだろ」


「そうなんです。だから、それが原因でお家から追放されちゃってるんですけどね」


 なるほど、と言って済まされない突然の重たい話題に唸る。


「シャルロッテさん、ああやって厳しい人ですけど、こんな僕を一緒に連れ出してくれたんです。外の世界を見せてくれるって言って。だから僕、何もできませんけど精一杯がんばりたいんです」


 街での生活、抜け出してからのこと、無一文で過ごしたふたりの日々。

 リトルの話を聞いていると、村から飛び出てきた自分たちと重なって他人事のようには思えなくなってしまう。


 そう、確か俺たちが村から飛び出したのもこの子たちと同じような時だった。


 何かあるようで何もない街、村、故郷。

 決められたことに従うしか出来ないしがらみ。

 詳しく聞かなくても、窮屈な世界から飛び出そうとしたふたりの姿が目に浮かぶ。 


「だからこれまでシャルロッテさんにお世話になった分、なにかお返ししたいなあ」


 って、俺よりも随分年下なのにしっかりとしたことを言う。


「あっ、ごめんなさい。僕のことばかり話をしてしまって」


「いや、いいんだ。ありがとうな」


 ありがとうの意味はまだこの子には分からないのだろう。

 御礼を言われることなんてありませんと不思議そうな顔を向けるリトル。


「それよりも、あの……」


「ん?」

「聞いていいか分からないんですけど……」


「……ジークさんはどうやってミヤビさんとお付き合いされるようになったんですか?」


 突然の質問に一瞬思考が停止する。


 リトルの質問の意味を数秒考え、理解し、吹き出す。

 大人しいかと思っていたけど、随分と大胆なやつだ。


 俺の笑い声に驚いたのか、前を行くシャルロッテ嬢が身体を震えさせたのが見えた。


 ひとしきり笑ったあと、

 

「そんなんじゃないよ。なんだ、君は俺とミヤビがそういう関係だって思ってたのか?」


「え!? 違うんですか? じゃあどんな関係で?」


「そうだなあ。強いていうなら――」


 口を開き、言葉に詰まる。

 相応しい答えがなかなか出てこない。

 あ、あー?と魚のように口を開閉させる。


 ――俺とミヤビの関係とはいったいなんだろうか。

 

 友達、いやなんか違う。

 親友、とも違う。

 恋人、ではない。

 戦友、というほどでもない。

 

 友達とか親友とか恋人とか戦友とか家族とかいった全部を足して何か特別な感情を入れた関係――そんな感じ。

 だけどその呼称を俺は知らない。

 

 何が飛び出てくるのかと期待に瞳を輝かせるリトルの顔を見たまま固まってしまう。


 そして苦し紛れに近い形で出た言葉

 

「大人には色々あるんだよ」

「答えになってません」


 大人はずるいもんだってこういう時に思うのかもな。

 ごめんなって不満そうなリトルに笑いかける。


「なにもない僕でも……いつかはそうなれるかなって思ったのに……」


 遠回しに凄く失礼なことを言われた気がするのはさておき、肩を落とすリトルが何を知りたかったのかがなんとなく分かった。


 君は何も無いと思っているけど、彼女はそうは思っていないことだろう。

 そう、きっとそう。


 気を抜くなってミヤビの言葉を思い出しながら、先へ先へと進んでいく。



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