第41話 モリアの森林

 モリアの森林――王都クルージから北東に位置する古くから存在する大森林。樹齢数百年を超える木々が生い茂る太古の森林は、クルージ建国の際に必要な木材を全てそこから用意したと言われるほどに広大な面積を持つ。名につくモリアというのは、森林伐採を手掛けた商業組合が祈りを捧げる象徴として祀った神の名に準えているらしい。


 今も尚、豊かな資源を与えてくれる大森林には様々な魔物が生息していて、材木資源を商いとする商業組合の活動エリアにまで縄張りを広げることがある。そうなると伐採中に魔物に襲われてしまったり、資材が損傷したりと様々な支障が出てしまう。なので、そういった問題の原因となる魔物達を処理するのが冒険者ギルドの役割だ。


 魔物が様々生息しているとはいえ、害となるのはゴブリンまたはコボルト種が主で高ランクの魔物は少ないと聞く。中には危険な魔物もいるにはいるらしいが、それの殆どは誰も立ち入ることのないような森林の中心部に生息している。

 

 だから俺のような立ち上がって間もないクランでもモリアの森林であれば仕事を受けることができる――と、ここまでの全てミヤビから得た情報である。


 そしてその情報を基に、ギルドセンターで依頼を受けた俺たちは「モリアの森林でのゴブリン退治」を初仕事とし、意気揚々とモリアの森林へ向かう――


 というのが当初の予定だった。


 だった、と過去形なのには理由がある。

 

 モリアの森林までの道中。


 手狭な馬車の荷台の中、


「ちょっとリトル。狭いわ。もう少しそちらへ詰めなさい」

「ごめんなさい! シャルロッテさん」


「偶然とはいえ、ミヤビさんとご一緒できる日が来るなんて嬉しいなあ。でもミヤビさん、黒虎の方は大丈夫なんですか? それとも黒虎でなにか――あったとか」

「……別に」


「リトル、お水」

「はい! シャルロッテさん!」


「そのクールな感じ、想像通りだなあ。なんか冷たくあしらわれても傷つかないというか。それがいいっていうか。その、黒虎のみなさんもそんな感じなんですか? あっ! これは取材じゃないんで!」

「……別に」


「ほらリトル、はやくなさい」

「はい! シャルロッテさん!」


 見覚えのある少年、見覚えのある金髪お嬢さん、余所行きのミヤビ、ドライな対応にも負けず熱心に筆を走らせるボーイッシュな少女。そしてそんな賑やかな場を眺める俺。本来であればミヤビと二人のんびりと目的地を目指すはずだった荷馬車のなかは、わいのわいのと騒々しい。


 そして、俺たちを追うようにして同じ仕様の馬車が二台、後方から続く。


「すまないねジークさん。喧しくて。荷馬車をもう一台借りられれば良かったんだけど、彼女がどうしてもミヤビさんに聴きたいことがあるってきかなくて」


 綺麗なソプラノの声で呼ばれる。


 声をかけてきたのはBランククラン「ロザリーの茶会」リーダー、名をマシェリという。俺よりも頭ひとつ分背が高く、短く切りそろえられた坊主頭に顔にはいくつもの裂傷が走っていて、それらが風体とやけにマッチしていて歴戦の戦士を思わせる。にも関わらず物腰柔らかで、呼ばれればつい振り向いてしまうような綺麗な声色。


――なんというか個性的な青年である。


「いいえ、構いませんよ。こちらこそ助かってるからさ」


「取材熱心なのは結構なんですけど、エミリーは暴走しがちな子でね。僕たちギルドの取材なんて忘れてずっとミヤビさんに質問攻めだ。――しかしあなたたちがシャルロッテやリトルと面識があったなんてこれもまた偶然ですね。これも何か神の思し召しなのかもしれません」


「神よ、この縁に感謝します」と仰々しく胸の前で手を合わせる。


 本当に、個性的な青年だ。


「それでミヤビさん!」


 日に焼けた健康的な肌。大きな瞳を煌めかせる純粋無垢な少女。


「エミリー! あなたは本来の目的を忘れていらっしゃるの!?」


 金髪お嬢さんが叫び、荷台が揺れる。


「あっ!」


 とリトル少年がミヤビに向け水をぶちまける。


『だからわたしは嫌だっていったの』って水浸しのミヤビから鋭い視線。



 こうして俺たちが「ロザリーの茶会」の面々と馬車を同じくモリアの森林を目指しているいきさつ、遡る事数時間前。





「大変申し訳ございません。モリアの森林近辺での依頼ですが、Aランクより下のクラン様での単独出向には規制がかかっております」


 王都にあるギルドセンター。

 カウンター越しに職員が頭を下げる。


 予想外の言葉に出鼻をくじかれた。


「――え? モリアの森林ってそんなに魔物のランクも高くないって聞いていましたけど、何かあったんですか?」


「ええ、普段であれば何も問題はないのですが。近頃、近辺で上位種の魔物が増えているらしく制限を課すとの国からのお達しが出ておりまして。皆様には大変ご不便をおかけしますが、共同での依頼の受注、もしくはモリアの森林以外での依頼をご希望頂ければと」


 なんの淀みもない丁寧な説明は、数えきれない冒険者たちの対応を積み重ねてきた賜物だろうか。


 詳しく聞けば、国からそのようなお達しがでたのは二、三日前。でも、それ以前から本来ではあり得にくい場所で上位種の魔物に出くわしてしまったという被害の報告が幾つか出ていたらしい。


 なので職員の言うように初級クラン――所謂俺の銀ビールのようなランクの低いクランではそういった事態が起きた際に対処できないという理由で単独での依頼を受注できなくなっているとのこと。


「ねえ、わたしが一緒なんだけどダメ?」


 退屈そうに話を聞いていたミヤビが声をあげた。

 突然のことに「誰?」と怪訝そうな顔を見せた職員だったが、フードの下にある顔を見てその正体に気付いたらしい。


「え? あっ、ミヤビ様。これはこれはご無沙汰しております。その、ミヤビ様もご一緒ということであれば黒虎の皆様も――ということでしょうか? であれば問題ないと思いますが」


「ううん、わたしひとりだけ。でも魔物が危ないっていうだけなら、わたしがいればある程度問題も無くなるでしょ」


 一瞬「問題解決」というように綻んだ顔が途端に曇る。黒虎が正式に絡みはしないという点に懸念があるようだ。


「……左様でございますか」


「左様でございます」


「うーん……少々お待ちくださいね。確認してまいります」


 恭しく頭を下げ、職員は席を外した。

 

「こんなこともあるんだな」


「珍しくないとは言えないけどたまーにあるんだ。上位種っていってもゴブリンオークくらいなもんでしょ、あそこに出るとしたらさ。なんてことないよ」


「なんてことないのは少数派だ。俺にとってはなんてことある」


 ゴブリンオーク程度——なんて言われては困る。丸太のように太い腕、ひと薙ぎされるだけでマカラスが、他メンバーが吹っ飛んだあの日のことを思い出して背筋に寒気が走る。あんなもんが何体も突然出てきた日には人生最悪の思い出になること間違いなしだ。


 五分もかからないうちに職員が戻ってきた。けれど表情は変わらず曇ったまま。その表情が聞かずとも「結果がNO」であったことを教えてくれていた。


「大変申し訳ございません。折角のお申し出なのですが、こちらの一存では決定が出来兼ねまして。もちろん、ミヤビ様がいれば安心というのはごもっともではあるのですが……」


「だめなの?」


「なにしろ国からの規制なものでして――確実な方法を取られるのであれば、他にモリアの森林へ向かわれるギルド様と共同での受注とするか、それ以外の場所での依頼を受けられるかがよろしいかと……」


「むむむう……でも一番近くってなると今依頼が出ているのビフレフトの港街近辺じゃん。いくらなんでも遠すぎるよ」

 

 ビフレフトはモリアの森林を沿うように伸びた街道から二日~三日の場所にある港街だ。たしかに初めての仕事にしては結構な遠征。しかしクルージ近辺で、依頼が出ているのは規制のかかっているモリアの森林以外には無かった。


 けれど無理なものは無理。国がらみの規制であれば職員さんを押して引いても結果は同じだろう。


 単独での出向が無理なだけで共同での受注であれば良いとのことなんだから、他のギルドが集まるのを待つのが得策だろう。 


「ミヤビ、仕方ないさ。一旦予定を変更しよう。職員さん、無理言ってすみません。他に同じようなギルドさんが来たら声を掛けてください」


「はい、承知致しました」


 職員さんに礼をつげ、ギルドセンター内の椅子にミヤビと横並びで座る。


「誰かと一緒ってなんか嫌なんだけど」


 愚痴をこぼし明らかに不機嫌そうなミヤビ。


 ふと、耳や尻尾のこと隠して過ごすことになるといったミヤビの事情を汲んでいなかったと落ち度に気付く。だけど不満の原因はどうやらそこでは無いらしい。


「どうする? 往復でも三日もかからないけど、今回は留守番しとくか?」


「やだ」


「それか――少し準備をしてビフレストまで足を伸ばしてみるか? 遠出にはなるけど片道一週間もかからんだろうし」


「むう」と唸ったあと「いい、我慢する」とローブに包まりふて寝を始めてしまった。


 何やら俺は地雷を踏むのが得意なようで。


 ふて寝をしているミヤビに菓子パンを与えながら一時間くらいか。

 ギルドセンターで暇な時間を過ごす。



 冒険者たちが仕事に向かい、そして戻ってくる様子を只々眺めていた。



 こうしてみると装備や装飾品に違いはあれど、どこの街でも冒険者が見せる顔はよく似ているなって思う。


 報酬を手に取り表情明るい人、道中何かあったのか沈んだ暗い顔の人、何故か泣いている人、メンバーたちと肩を組んでいる人、中にはひとりで肩を落としている人。


 いくつもの冒険者たちの生活を見送った。


 軽い睡魔に襲われながら、穏やかな時間の流れに身を任せる。


 今頃アイツらはどうしてるんだろう。

 オラクルでどう過ごしているんだろう。


 オラクルで別れたアイツらの顔がちらつく。

 

 初めて『鷹の爪』で仕事を終えた日のことはぼんやりとだけど覚えている。


 泥にまみれ、ゴブリンの緑色の血を浴び、あちこちに擦り傷作って帰って来た。

 それでも初めてこなした依頼に興奮抑えきれないまま、多いとは言えない報酬を持ってみんなでエリーダさんの店へ飲みに繰り出したっけ。


『みなさん、お酒飲むのはいいですけど生臭いのは勘弁してくださいね。ちょっと汚いですって』

 ってエリーダさんが


『折角の祝いの席なんだから細かいことはいいんだよ。エリーダもこっちへ来ての飲めよ』

 ってマカラスが


『ジークくん、今日は大変でしたね。お疲れ様でした』

 ってシルクが


 朝まで飲んで、一日のうちに報酬の半分を使ったこともあったっけ。

 あの時の俺たちは決して賢いとはいえなかったけど今よりかは純粋だった。

 

 おいお前ら――信じられないかもしれないけど俺は今自分のクランで依頼を受けようとしてんだぜ。ゴブリン一匹倒すのがようやくだった俺がさ。あの日オラクルでも言ってただろ、お前がクランを立ち上げるなんて信じられないって。誰かが「野菜ソムリエ」でも始めるって茶化していた俺がだぞ。


 なあ、嘘みたいだろ。驚きだろ。


 見てくれよって言おうとしても、もう誰もいないけど。


 なあ。


 俺だけが、随分と遠くに来てしまったようだ。


 何故か、そう思えてしまう。


 もう少し、もう少しだ。

 まだ一歩目二歩目しか踏み出していないけれど。 

 もしかしたらアイツらとまた会う日が来るのかなあ。

 

 昔のことを思い出しながら、現実と夢の世界とが混ざり始めたとき――


「ジークさん、大変お待たせしました」


「あうっ」

 

 職員に肩を叩かれ現実世界へ引き戻される。

 一瞬何をしにギルドセンターにいたのかも分からなくなるほどに寝ぼけていた。


「御同行されるクラン様がいくつかいらっしゃいましたので、ご報告を」


「あ、ああ。ありがとうございます。ほらミヤビ、準備出来たってさ」


 横でローブの繭に包まれたミヤビに声をかける。が、「むう」と返事だけして起きてこない。ガサガサ音がしているあたり、不機嫌上等で未だに菓子パンを頬張っているようだ。


「あちらで皆さんお揃いですので」そう職員に促されて、やむを得ず一足先に他ギルドの待つ場へと挨拶へ向かう。


 目指す先、いつか聞いたことのある男女の声。

 

「なんでわたくしたちのギルドだけではいけませんの? これでも翌月にはAランクへ昇格するクランなんですよ? ほんっとに不服ですわ」


「シャルロッテさん、少し声が大きいです」


「お黙りなさいリトル。わたくしはこういったマニュアル通りの対応しか出来ない人間たちが一番嫌いなのです。少しは融通を効かせなさいって思いませんこと?」


「シャルロッテ、もう少し静かになさい。仕方ないではありませんか。Aランクギルドにあがるということは品性も問われるということです。それなりの自覚を持った言動に努めるように」


「リーダーは本当に甘いのですね。わたしたちギルドの単独取材で冒険者新聞の方も来て頂いているというのに、それなのに他のクランと共同というのは――」


「僕は全然かまいませんよ! だって珍事件の匂いがして楽しそうじゃないですか! 記者としての腕が鳴ります!」


 明らかに穏やかじゃない雰囲気。

 あーだこーだと喧しい。 

 

「職員さん、ねえ、これって大丈夫なの?」


 大丈夫?と聞いてみるものの大丈夫そうではない。


「あとはお任せしますね」


 そう言って職員さんは恭しく頭を下げた。



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