第40話 フレイア

「スキルが消えたとき、何か大切なものを忘れてしまってはいませんか? 一緒に無くしてしまってはいませんか?」


 唐突に投げられたその言葉。


「今も、昔も、これからもずっと大切にしたいと思っていたものを」


 冷静さも陽だまりのような笑みもそこには無かった。

 

 声が振るえていた。


「スキルが消えたとき、あなたも無くしてしまっているのではありませんか?」


「ずっとずっと、探していました。何を無くしてしまったのかも分からないままに。何かを失っていることに恐怖さえ感じないままに。私は私の無くしてしまったものをずっと探してた」


「私の歴史、過去、大切な人のことも、繋がりも全て。世界のことは知っていても自分のことはしらない」


「歴史を辿り、本を読み漁り、無くしてしまったものが何かを知るために。取り戻すための術を知るために」


 あんな寂しそうな顔を、俺は今まで誰からも見せられたことがない。


「私――」


「自分の歴史が――記憶がないんです」





 図書館を訪れてから二日。俺の答えを聞く前に「忘れてください」と姿を消した彼女。翌日図書館に顔を出してみたけど彼女の姿は見当たらなかった。他の職員に聞けば体調を崩して不在にしているとのことだ。


『自分の記憶がないんです』


 知り合って間も無い彼女からの突然の告白に、調べた本のことなんて頭からすっぽり脳内から押し出されてしまいそうだった。あれほど明るく振舞っていた彼女からは、想像もできないほどに深く重たい闇を垣間見た。


 なぜ急にフレイアさんが俺にそのことを話したのか、その真意は分からない。

 けれどそれが嘘偽りの言葉ではないことだけは何故かはっきりと分かった。

 だから、呼び止めていればよかった。

 もっと話を聞いてあげればよかったと、そう思う。

 


『スキルが消えたとき、何か大切なものを忘れてしまってはいませんか? 無くしてしまってはいませんか?』


 その正確な意味も答えも、どちらも俺は知らない。


 大切なものを忘れている――それは彼女が経験したように、俺も何かを忘れているのでは無いかということなのか? いや、彼女のあの様子からして、ついうっかり物忘れをしているなんて生易しい表現ですむものなんかじゃないんだと思う。

 

 彼女は言った。無くしている、失われていると。


 つまり彼女の記憶は欠如している――そういうことなのだろうか。


『何を無くしてしまったのか分からないまま、その恐怖さえ感じない』


 忘れてしまっているだけならば何かが切っ掛けで思い出せるのかもしれないが、失ってしまうとなるとどうなってしまうんだろう。元々自分の一部だった大切なものが、ある日突然無くなってしまう。それも元から自分の一部なんかじゃなかったというように、無意識のうちに。


 大切なもの。無くしたくないもの。


 数えればそれは多くある。思い出、記憶、無形のものにだって無くしたくないものはある。吐き気がするような辛い記憶のことは忘れたいと願っても、大切な思い出は絶対に忘れたくないものだ。

 

 田舎の両親のこと。

 冒険者になろうと夢憧れていたガキの頃の思い出。

 初めて村から出て外の世界を見たときの感動。

 オラクルで過ごした日々。


 忘れている、無くしている、もしそれが俺にもあるのであれば、いったいなんなんだろう――


 そう考えてみても『俺は何も忘れていない、無くしていない』と思えてしまう。でも、俺が気づいていないだけで何かがゴッソリと無くなっているとしたら。超位回復が無くなったあの日、身体から何かが剥がれていった寂しい気持ちが大切な記憶なのだとしたら。いつの日か自分のなかから全部が消えてしまったとしたら、空っぽになってしまったとしたら。


 そのときは、一体どうなってしまうんだろう。

 

 そしてフレイアさん。

 彼女にとって大切なもの。

 自分のこと、すでにその全てを無くしてしまっているのだとしたら。

 世界のことは知っていても、今までの自分のことが一切分からないというのはいったいどんな心境かと考え、ゴブリンやウェスカーを前にしたときのような恐怖とは違う、言い知れない恐ろしさが背筋を走る。


 数時間も言葉を交わしていない彼女にどうしてこんなに心が揺さぶられるのだろう。


 心配? 興味? 同情? どの感情にも当てはめることのできない心の揺らぎ。


 あの寂しそうな顔が頭の中で浮かんでは消え続ける。


 

 ……フレイアさん――君は



「――ねえ、なに難しい顔してんの?」



 居間で黒い絨毯の上を転がる塊に声をかけられ、我に返った。


 よいしょと、胡坐をかく俺のほうに尻尾を巻き込みながらミヤビが転がってくる。

 転がりついた先、俺の膝先に頭をつけ上目遣いに向けてくる大きな猫目。いつも通りのミヤビ、俺の良く知る顔。


 彼女との思い出もひとつ俺の大切なもの。


「そうやって難しい顔してるときはなんか良くない時だ。だいじょーぶ? お腹でも減った?」


「ちげーよ。てか、さっき食べたじゃん」


「で、何考えてたの?」


「この前話をした図書館の職員さんのこと」


「あー、何かを忘れてしまってるんじゃないかって心配?」


 ミヤビには図書館でのこと、フレイアさんとのことなど既に話をしていた。けれど「ふーん」ってあまり興味無さそうだったから、それ以上詳しくは意見を聞いてはいなかった。


「うん。そう。彼女のことが気になってて」


「君が考えすぎても疲れちゃうだけだよ」


「それはそうなんだけどさ。俺にもその可能性があるってこともあるし」


「君も何かを忘れてるかもって、実感があるの?」


「いや実感はないんだけど、可能性としてはあるのかもなってさ。ミヤビは正直なところどう思う? スキルが消えたとき、もしくは俺の創造が発動したときの対価が記憶なのだとしたらさ」


「まあ――その可能性はないとは言えないよね」


「少しは濁すかと思ったけど、案外ストレートだな」


「だって君のスキルはとにもかくにも謎が過ぎるから。発動条件は分からないわ、何故かSランクスキルが出てくるわ、しかもそれが消えるなんてさ。スキルが消えるなんて今までに聞いたことがないし。そのスキルが君を傷つけているというのはあり得ないことでは無いと思う」


「そっか……そうだよな」


「わたしが言えるのはただひとつだけ。散々言ってるけど、君の創造は使わないほうがいい。そうすれば、もしスキルの対価が記憶なのだとしても、これ以上何かを失うことはないから」


「だから――使わないって約束ね」と念を押される。


 創造が発動しかけたのはウェスカーと殺し合いをした日が最後。『交換しますか?』と気が狂いそうに脳内に反響していたことを今でも覚えている。あのとき、もし俺が交換に承諾していれば何が起こっていたのだろう。仮に対価が記憶だったとして、今ここにいる自分と何か変わってしまったのだろうか。


 ――考えても所詮は結果論。


 何にしろ今ミヤビが言ったように、俺自身のなかでも「こんなスキルを使うべきではない」という気持ちが膨らんでいる。スキルが発現したときに思った「何か特別なスキルだったら」といった期待は殆ど無くなり、胸に渦巻いている不安。本当に記憶を対価にしているとは言い切れないけど、何かが起こっていることだけは確かだからだ。


 余程のことが無い限りは使ってはいけない。

 

「もし何かを無くしているんだとしたら、それが君にとって本当に大切なものなんだとしたら、さ。それはいつかちゃんと見つけてあげなきゃね」


「見つかればいいけどな」


「探すの付き合ったげる」


 膝先にコツンと頭突きが入る。ジャレてくる猫のような仕草、ミヤビの両手が俺の顔まで伸び、何かを確かめるようにパチンと頬を挟んだ。引き寄せられ、視線が交差する。


 空と海が混ざったような、ミヤビ色の瞳はいつみても綺麗だ。波の立たない穏やかな瞳に見つめられると不思議と心が落ち着く。


「もし君がわたしのこと忘れちゃったとしても、私は君のこと覚えといたげるよ。特別に」


「俺の大切なものがミヤビって前提になってんじゃん」


「あ? なにそれ、違うっての?」


「いや、違わないかな」


「……まじに言われると恥ずかしいからやめて」


 俺をいじろうとしていたのだろうが、その手は透けて見えている。

 この程度で顔を赤らめるなんてまだまだ若い。


「でもさ。もし俺がミヤビのことを忘れているだけならまだしも、全部忘れちゃってたらどうすんだ?」


「どういうこと?」


「自分が自分だということさえ分からなったら、全くの別人っていうかさ、今までの性格も行動も、全部が知らずのうちに変わってしまうのだとしたら、それって本当にミヤビの知る自分なんだろうかって思って」


 ふと、記憶の改変とスキルの改変は同じとは言えなくても似ていると思う。


 スキルランクの高さが人生の全てに関わってくるこの世界において、生まれ持った才能は即ちその人間の人生を決める。スキルが変われば人生が変わる。そして根本的にスキルが変わることなんてシークレットスキルを除き万が一にも起こり得ない。


 そんな世界で最低ランクスキルの鑑定士しか持ち得なかった凡人、それが俺だった。なのに自分に起こった異変。なにかが増え、そして何かを失っている。だから、あの日から俺のなかで何かが変わっているは当たり前のこと。


 これからも、今まで自分を司どってきたものが無意識のうちに変ってしまうのだとしたら、無くなってしまうのだとしたら。その時俺は、自分をどのような人間だと認識するんだろう。


 何も知らない無垢な赤子になるのかも。

 なんか、それは絶対に嫌だな。


「ねえ、急によくわかんないこと言いだすのやめて」


「ごめんな」


「まあ、それで周りの人が君のことわかんなくなっちゃってもさ、何もかも変わってしまっていたとしても――君が君であることを、わたしだけは覚えておいてあげるよ。これも特別にね」


「それよりも」と微笑む。

「逆にわたしに忘れられないようにがんばってね」


 なんだろう、そっちの方が難しい気がする。


「善処するよ」


「善処じゃなくて、全力を尽くして」


「いつかそうなってしまったときの俺に言っとくよ」


 あれやこれやと考えこんでいたけど、心の片割れが身近にいるような気がして。

 濁り始めた不安の雲が、少しずつ晴れてきた。


「今が幸せならまずはそれでいいんだよ。わたしは今、幸せ」


「ああ――そうだな。それでいいのかもしれないな」


「なんか……超恥ずかしくなってきたからやめて。ていうか、明日はギルドセンターで仕事受けて、その足でモリアに向かう予定でしょ。準備も大変だから――夜食食べて早く寝よう」


「さっき晩御飯たらふく食べてたじゃん」


 明日は『銀ビール』として初めて正式に仕事を受注しにいく日。

 対した依頼は受けられないと思うけどゴブリン狩りくらいはできるだろう。

 

 近場にあるモリアの森林での仕事、俺にとって本当の独り立ち。

 これもひとつ積み重ね。

 

 ミヤビの分だけの夜食を作り部屋に戻る。


 今日のミヤビとのやりとりも、明日一日の出来事もきっと俺にとって大切な記憶になると思う。


 だからこそ、大切な記憶を知らぬ間に無くしてたまるか。

 

 ベッドに潜り込みフレイアさんのことを想う。


 彼女のことなんて全くといって知らないけど、あんな寂しそうな顔を見せた女の子をどうしても放っておくわけにはいかない。俺と同じ問題を抱えているのであれば、きっと何か役に立てることがあるのではないかと思う。


 彼女にもきっと心の片割れがいるはずだ。

 フレイアさんをフレイアさんだと覚えていてくれる人が。


 落ち着いたら、会いに行こうか。

 


 

◇ 

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