第37話 王都のひとたち
雲ひとつない青空の下、綺麗に舗装された王都の道を歩いている。この前まで日が差しても暑く無く過ごしやすい気温だったのに、太陽に熱せられた空気に纏われて蒸し暑い。
「あっつい……」って足を進めるたびに無意識に声が漏れてしまう。あまり日の経過なんて意識していなかったけど、いつの間にか季節も変わり目のようだ。歩くだけで汗が噴き出る季節の到来を想像して今から気分が落ちる。
「なあ、そんな恰好で暑くないの?」
「全然? 暑くないけど?」
変装の心配はないとは言っていたけどミヤビは何故かいつもの黒ローブ。そして未だにフードを深く被っている。見るだけでも汗が吹き出しそう。
「フード脱がないのか?」
「やだよ。日焼けしちゃうじゃん」
ああ、なるほど。やはり彼女は今どきの若い子のようで。
「ねえ、そんなハアハア言いながら歩かないでよ。なんかおっさんっぽいし、それ。しかもまだ図書館まで少し歩かなきゃだよ?」
「暑いのは好きじゃないんだよ……」
ミヤビの家を出てから二十分ほどレンガ調の地面を右に左に歩いているけど、目指す図書館まであと半分ほどの距離があるらしい。
「……あっつ」
「もう、うっさいな」
「仕方ないだろ……暑いんだから」
「暑い暑いっていうから余計に暑くなるんだって。涼しいって思っておけば涼しくなるから。ほら涼しい涼しいよーって言ってみなって」
「無理だよ。ていうかミヤビのスキルで涼しくすることとかできないの? 上手いことひんやりした空気を纏わせてくれるとかさ」
「なにそれ、まああるけど――凍っちゃうよ」
それはそれは極端なもんで。
建物が作る影を踏みながらミヤビの案内のもと図書館を目指していく。
額に汗滲ませながら歩き続けてどれくらいか。道沿いに並ぶ建物の外観が少しずつ変わってきた。ミヤビが借りている家のように、ひとめで住宅と分かるようなものから、宿屋のように二階、三階と上へ伸びる背の高い建物が増えている。建物の大きさに比例していくように道幅が広がっていき、その道を辿ると開放的な大広場へと行き着いた。
流石王都。
広場の真ん中にはいつぞやの王族のものと思わしき銅像と、噴水まで設置されている。
ミヤビに尋ねてみると、ここらは住宅区と貴族区の丁度中間あたりのようで、王都を中心として活動するギルドだったり組織的な商売を生業とした組合の拠点など、所謂職場として利用される建物が密集している地区みたいだ。王都で部屋を借りて仕事ができるんだから、つまるところエリート集団の集まる場所なんだろう。
銅像に噴水にエリート。
全てお洒落で違和感なく場に溶け込んでいた。
オラクルであればきっとこんな素敵な広場があっても酔っ払いやゴロつき達の溜まり場になっているに違いない。
ついつい、すれ違う人を目で追いかけてしまう。
誰もかれもがやっぱりパリッとしていて、鏡みたいに磨かれた銀メイルや刺繍入りのマントなんやを身に着け、自信に満ちた顔で颯爽と道を歩いている。言わなくても「自分はスペシャルだ」って感じのオーラが全身から滲み出ていた。
そういえば――マカラスもこの人達みたいな恰好してたっけ。
オラクルで会ったマカラスの姿を思い出して形容しがたい笑いが漏れる。
あいつもきっとこうなりたかったんだろうって思ってさ。
生まれもった才能はなくても、成りあがって。
烙印のように一生剥がれないスキルランクを隠すように着飾って。
こうして胸を張って生きていきたかったんだろう。
なんてアイツのことばっかり考えてはいるけど、少し前まで俺もこんな格好することに憧れてたっけって思うとなんだか懐かしい。
街行く人の服装を頭のなかで自分に着せ替えるといった妄想を膨らませていると、ふいに隣に並ぶミヤビに声をかけられた。
「ほら、あそこの橙色の建物が図書館だよ」
指差す方向、洒落た広場を飾るように一際存在感を放つ建物があった。高さはあまりなくてもズシリと横に広い。隣接する建物が石造りで比較的新しい作りなのに対して、歴史を感じさせる木造。積み重ねてきた歴史を貯蔵する場であるからに、もしかしたら全部が建設当時のものなのかも。
図書館は太陽に照らされて、軒から大きな影を落としていた。
あの中はさぞ涼しかろう。
本来の目的を一瞬忘れて額の汗を拭う。
ようやく目の前に姿を見せた目的地に向かい足に力が入る。
さあいざ避暑地へ――
「だあっ!?」と、涼を求める俺に背後から「何か」がぶつかってきた。
突然の衝撃に浮いた足が宙を漕ぎ、地面にダイブしかけた。
思いっきり地面に足裏をつけ、なんとか踏みとどまる。
俺が地面を踏みつける音に次いで、ガラスが割れるような高い音。
その音に街行く人々の視線が一斉にこちらを向いた。
「ちょっと、ジーク大丈夫?」
「いや、なんか後ろから……」
衝撃の原因を探るため、振り向く。
真後ろには誰もいない。
斜め下。
原因がいた。
それは地面にしりもちをついて鼻に両手をあてている。
「――いたた」
ぶつかってきたのは青年とも少年とも取れる小柄な男の子だった。
顔面から俺の背中に追突したのか涙目。
自分が追突してしまったことに気付いたのか、まるで危険を察知した小動物のように機敏な動きで頭を下げた。
「あっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
「いやいや、大丈夫だよ。君こそ大丈夫か?」
手を差し伸べ、尻もちついている男の子を引き起こす。
歳はミヤビよりも少し下くらいだろうか、背丈は俺よりも頭半分ほど低く、青年と呼ぶにはまだ幼さの残る可愛らしい顔をしている。
「大丈夫です……ちょっと急いでいて……バッグの中身を見ながら走っていたら――本当にすみませんでした」
言うように余程焦って走っていたのだろう。
短く切りそろえられた茶色い髪の毛が汗で束になり額に張り付いていた。
「バッグってのはあれだよな? その、大丈夫かな。なんか嫌な音がしてたけど」
「え?」
ぶつかった衝撃で少年の手元を離れたバッグが口を開け、地面に中身を散乱させていた。鼻をつく薬品の匂い、ガラスの割れた音はきっとあの小瓶。中身は多分ポーションなんかだろう。緑色の液体が地面に広がり染みを作っている。
「ああ――最悪です……またやってしまった」
せっかく引き起こしたのに、この世の終わりだという風な顔を浮かべたあとへたりと膝を折ってしまった。
「シャルロッテさんに怒られる……はあ、最悪です。最悪です……」
最悪です、最悪ですと言いながら溢れた中身や割れた小瓶をガラスごとかきあつめていく。「これもそうだよね」って、とりあえず近くに転がった中身を俺もミヤビも少年に手渡していった。
「ごめんなさい……迷惑ばかりかけて……いつもこうなんです。だから毎日シャルロッテさんに怒られるんです……」
そのシャルロッテさんというのは随分と怖い人らしい。
混乱しているのか、俺もミヤビも分からないどこかの誰かの名前を口に出し「もう嫌だ」と少年は嘆き続ける。
「もしかして、君も冒険者?」
荷物を手渡しながら尋ねてみる。
「え? ……ええ一応は」
なんでわかったの?と、きょとんとするけれど答えは簡単。だって地面に散乱したポーションや短剣、方位計などが少年が冒険者であることを示してくれているから。
しかし散乱した荷物を拾い集めると相当な量だ。あっという間に大きなバッグがいっぱいになってしまった。片手に持つと結構重たい。
「大変だね。こんな大荷物でさ」
「……いえ僕には大したスキルもないので、こうして荷物持ちをすることくらいしかできませんから――といっても荷物持ちもまともにできていないんですけど」
「王都にあるギルドで活躍しているだけ立派だよ」
「いえ……僕の実力とかじゃなくて……こうしてギルドに所属出来ているのもシャルロッテさ……あ、すみません……知人のお陰でなんです――でも失敗続きで」
「最初はみんなそんなもんだ。俺なんていまだにそんなもんだしさ。そして、どんな偉人でも初めは荷物持ちから始まっているって聞いたことがある」
「え? そうなんですか? それは誰の――」
「酒場によくいる酔っ払いが言ってた」
「ふふっ、そんな――」
少しは気も紛れたのか少年は微笑む。
屈託の無い笑み、純朴そのものだった。
しかしそれも束の間。
散らばったガラスの破片を拾い集める俺たちの背後から、カツン、カツンと特徴的な音。
その音は彼にとって警報音のようで、緩んだ口角がきゅっと引き締まるのが分かった。カツン、カツン、と。街行く幾つもの足音から抜け出してその足音はすぐ近くにまで迫っている。
そして――「リトル」と俺の頭上から女の声。
表情を見なくとも分かるほどに怒りを孕んだ声色。
「ひいっ」
リトル、それがこの少年の名前なのだろう。
そして、きっと背後にいる声の主がシャルロッテさんというのだろう。
呼ばれ、少年の大きく目が見開かれた。
「またあなたは人様に迷惑をかけましたね」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいシャルロッテさん!」
少年の恐怖が伝染してなんだか俺も振り向くのが怖い。
ここまで怯えているのだからきっとシャルロッテさんというのは屈強な女戦士か何かなんだろう……勝手に容姿を想像して恐る恐る振り向く。
が、期待を裏切りそこにいたのは若く可憐な女性だった。
「あなたはいつもいつもいつも。わたくしを怒らせるのが特技か何かなのかしらね?」
淡い灰色の大きな瞳、吊り上がった眉尻。
カツカツと音を立てていたのは一指し指ほどの長さがありそうな真っ赤なピンヒール。胸下まで伸びた金髪の毛先を指でくるくると回転させながら怒りの声を飛ばす。
どこかミヤビと雰囲気が似ている。
主と従者という表現がぴったりなほどに、年齢は近いようでも上下関係ははっきりとしているようだ。
「そんなことありません……ただシャルロッテさんが歩くのが早くて……その」
「言い訳はやめなさい。――またポーションを割ったのですね。あなたのお給金からこれまで割ったポーション代をひくことだって出来るのですからね? まさかポーションは割るものだなんて考えていませんよね?」
「そんなこと……」
「何もできないあなたがこうしてわたくしと同じクランにいることができて、お仕事を貰えているというだけでも感謝してもらいたいものなのに……」
「はあ」と大きなため息を落としたあと、彼女はようやくこちらに目を向けた。
「申し訳ありません。うちのリトルがご迷惑をおかけして。お召し物なんかを汚してしまったりはないかしら?」
特徴的な口調にピンと伸びた背筋、見るからに上質な素材が使われている刺繍のいくつも入ったワンピース、それらから察するに良家のお嬢様ってところだろう。
「いや何も問題はない。だからこちらのことは気にしないでください」
「そう。では良かったわ」
お詫びの時間はほんの二秒ほど。
社交辞令のような薄笑いを浮かべ、俺とミヤビのほうへ交互に視線を送ったあと再び少年のほうへ顔を向けた。
「さあ――行きますよリトル。あなたのせいで取材に遅れてしまっています。お願いですからこれ以上迷惑をかけないでくれるかしら」
「はっ……はい!」
何事も無かったかのように、金髪のお嬢さんは踵を返し大股で広場を進んでいく。
少年の肩を持つわけではないが確かに足が速い。
よそ見をしようものなら一瞬で街行く人の流れに溶け込んで見失ってしまいそうだ。
「ご迷惑をおかけしました! ではまたどこかでっ!」
深く頭を下げ、リトル少年は走り出す。
肩から下げた大きなバッグが右に左にと小さな身体を振り回している。
あの様子じゃまた転んでしまうんじゃないだろうか。
人混みに溶け込むまで少年の後ろ姿を見送った。
「なんか……大変そうだなあの子。あと、取材に遅れるっていってたけどなんだったんだろ」
「ん? 多分冒険者新聞の取材のことじゃないかな。ここらへんに本部があるしさ」
「へえ、そうなのか。なんかオラクルとかには絶対にいないような人たちばかりだから少し驚いてる」
「そう? でももっと癖のある人多いから、こんなので驚いてちゃダメ。ほら、わたしたちも早く図書館いこ? 君も汗まみれだよ」
手をひかれる。
いつか俺もミヤビに「早くなさいよ」とか言われる日がくるのだろうか。
なんかそれは嫌かも。
リトル少年に駆け出しのころの自分を重ね合わせながら、止まっていた足を動かした。
◇
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