第35話 居場所とは
「これからも一緒にやっていけないかな」
ほんの数秒の間に紡がれる言葉の意味を正確に理解するのは難しい。
聞き馴染みのある言葉でも、その時折の環境や状況によって意味を変えるから。
知識も経験も豊富な人間であれば、状況に合わせた自分の引き出しのなかから適切な言葉を選ぶことができるのだろうけど生憎俺の引き出しは一段か二段しかない。なので、ミヤビから出てきた予想外の言葉に上手く反応することができない。
「その……だめかな」
そんな混乱を極めるおれに追い打ち。
無言の間が質問の返答として受け取られてしまうのは困る。
回らない頭を精一杯使って答えられる単語を並べていく。
「っちがうちがう。駄目とかそんなんじゃなくて……その、なんだ。これからも一緒にっていう意味があまり理解できなくて。一緒にってのはどういうことだ?」
「ジークのクランに入れてくれとかじゃないの――ジークも立ち上げたばかりじゃない? だから、これからもなにか一緒にお手伝いできることがあるんじゃないかって」
まさに青天の霹靂。
「ちょっと、ちょっとまって。頭の整理が追い付かない」
クランに入れなくていいとは言っているものの実質クランに入りたいと言ってくれているようなもんだ。
ミヤビは才能溢れる子である。それこそ俺だってうらやましく思う程に。
だからこそ、二つ返事に「はいどうぞ」と答えることが出来ればさぞ楽なのだろうけど、流石にそういう訳にはいかない。衝撃的なミヤビとの出会いからこれまでいろんなことがあったけれど、最高峰Sクラスの黒虎の主要メンバーであるミヤビが俺と一緒に――という理由になるには程遠いだろう。
「俺からしたら本当にありがたい話なんだけど、でも――なんで俺にそこまでしてくれんのって思うんだ。しつこいようだけど、助けたっていうのは偶然にも近いんだから本当に気にしないで欲しい」
「うーん。やっぱそう思っちゃうよね……でもね、ごめん。違うんだ。御礼というより自分の都合でもあるから。これ」
「自分の都合ってのはその、それはどういう……」
「うーん。そうだね――今まで考えてたんだ。わたしの本当の幸せはこれまでの生活じゃないって」
「まあ……幸せは人それぞれだけど……」
「そう。ずっとずっと探してた、憧れてた、うらやましかった。当たり前の毎日っていうのをずっと探してた。今の当たり前を変えたかった」
初めて見る表情だった。
楽しそうでも、寂しそうなわけでもない、何もかも吹っ切れたような。
深い息がひとつ落ちる。
「わたしは普通に生きてみたい。何も隠すことなくただ普通に。他の人たちが当たり前に過ごしているふつーな日常を過ごすことがわたしの憧れ」
ありのままの自分、それはきっと他の人には無い獣の耳や尻尾があることを言っているのだろうか。そして今まさに「当たり前の日常」というのを思い浮かべているのか、ミヤビの視線は宙を彷徨う。
「家に帰ったら誰かが待っててくれて、誰かと美味しいご飯食べて。おいしーねって言いながら笑って。たまにはどこかにお出かけして。退屈そうかもしれないけど、それだけで幸せ」
「だけど――」と微かに笑ったあと、深い青色の瞳が俺に向く。
「どうしてもそれって難しいことなんだよね」
なんと言ってあげるべきか……どうしても言葉が詰まる。
「簡単そうに見えて、わたしには難しい」
言葉は単純でも難しいといったその意味があまりにも深く思えて。
「だからたった一人でもいいからさ、本当のわたしのことを知ってくれている人がそばにいて欲しいって感じなわけ。まずは今のわたしにはそれだけでじゅうぶん」
ミヤビと初めて会った日に偶然発動した俺の鑑定スキルが彼女を鑑定し映し出した文字、スキルでさえ彼女を肯定しなかったことを思い出す。
「ああ、なんかごめんね。変に重たいこと言っちゃってさ。あまり重く受け取らないでもだいじょーぶだから。だから、これはわたしのわがまま。君が良ければのわがまま」
「御礼するとか言ってさ。ごめんね」そう繰り返し言ってまた笑う。
無言である俺を見て何を捉えたのか、それ以上ミヤビは何を言うわけでもなく席を立ち日が落ち暗くなった部屋に灯をともした。日の光が入らない部屋は余計に寂しく見える。
蝋燭に灯った火が乾燥した空気を燃やして、油の溶ける匂いが鼻をつく。
言葉の意味を正確に捉えるのは難しい。
だけど――だからこそ気付けることもあるんじゃないかって今は思う。
メーテルで出会ったときも、オラクルに滞在していたときも、ミヤビはずっと黒いローブで身を隠し続けていた。「自分なりの変装」だと明るく言いはしていたものの、本来であれば何も隠す必要なんてないはずなのに。
過去に何があったのか、初めて出会ったときに想像したように。
日々奇異な目を向けられることに怯え、隠れ生きていたのが彼女にとっての日常だったのだろう。
黒虎だから。
Sランクスキルをもった冒険者だから。
俺よりもずっと強いから。
誰からも憧れをもたれるほど有名だから。
なんてのはきっと関係ない。
居場所が無かった。
俺も彼女も実は居場所なんてなかった。
あるように思えてそれはきっと紛い物のようなものだったんだ。
それをこの前まで気付かなかった俺、それに気付いてずっと苦しんでいたミヤビ。
その苦しみの差は天と地ほどありそうなものだけど今は俺も彼女も、なんとか自分の居場所を作ろうとしている。無理につくるんじゃなくて、あるべき場所にあるべきものが収まるように。
「えっとそうだね。もうこの話はおしまい。忘れて忘れて! せっかく君も初めての王都なんだから楽しまなきゃ、ね。さーて、ご飯いくぞー!」
何が正解かはわからない。
けれど、このまま無言を肯定としてこの話を無かったことにおくわけにはいかないだろう。
ミヤビさえよければ、彼女が良いのであれば、そんな言葉が一瞬頭を過る。
けれどきっとそれは彼女の望む言葉じゃない。
ミヤビの望む幸せをつくれる相手は多分俺以外でも良いと思っていた。
ただ偶然俺が彼女の抱えている秘密を知ってしまっただけだから。
そこまでこの世界は冷え切っていないと信じてる。
だから、今までの自分であればそうやって頭に浮かんだ言葉に逃げてきたかもしれない。
でも、それじゃ駄目だ。
そうして相手に決断を求めるのは甘えなんだ。
気遣いのふりをした甘えなんだ。
シルクが俺の前から消えてしまったときもそうだった。
本当は、やっぱり怪しい回復術の合宿なんかに行ってほしくなんてなかった。
あのときの環境が変わってしまうのが怖かった。
でも駄々こねるガキみたいに思われるのが嫌だった。
自信がなかった。
自信がないくせにそれを見破られたくなかった。
仕方ないと割り切るしかなかった。
だからあのときから、結局俺の居場所は無くなった。
あのときの俺はそんな男だった。
でも今は違う。あの日とは違う。
相手がどうしたいの前に、俺はどうしたいのか。
――そうして考えれば答えは単純だった。
あれやこれや考える必要なんて無かったのかもな。
「なあ、ミヤビ」
「ん」
「俺もお前と……」
別に愛の告白ってわけじゃないのに胸が熱い。
大したことを言えるはずないのに。
本音を伝えるってのはこんなにも難しいもんなんだって初めて知った。
声が震えてださいけど。
相手の顔色なんて伺う余裕もないけど。
「その、これからも一緒に冒険が出来れば、嬉しいし楽しい……俺の新しい居場所にはきっとミヤビがいてくれなきゃ困ると……思う。これはその……俺のわがままだ」
視線が交差する。
青い瞳のなかに蝋燭の火の色が滲んでみたことの無い宝石のようだった。
息を吸う。
肺に酸素が入ってんのかも分からないくらい、心臓はバクバクだ。
緊張しているのか恥ずかしいのかも、今の感情を説明することはできない。
また大きく息を吸って吐く。
かっこいいことは言えないけど、俺の本音をのせて。
「――だからさ、これからも一緒にいてくれよ」
言い切って。少しの間。
綺麗な宝石みたいな目が滲んだ。
「あは……愛の告白みたいじゃん」なんてミヤビは笑った。
◇
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