第34話 ミヤビと

 王都クルージ


 遠目に見ても威圧感を放っていた都を守る堅牢な石門。

 いざ目の前まで近づくと、その壮大さを身を持って体験する。


 見上げれば背が反り返るほどに天高くまで延び、外壁は都全体を守るようにぐるりと円形に囲う。幾重にも積まれた黒くくすんだ石肌に刻まれた傷は、幾戦の争いから都を守り続けてきた戦士の誇り傷のようで、傷のなかに獣の爪で搔いたような三つ筋の深い線が残っているのはまだ魔物が今よりもわんさか世に溢れかえっていたころの名残なのかもしれない。


 東西南北にある門、東に位置する正門には行商人と思わしき恰好をした男たちや他の街からやってきたのだろう冒険者が列になり衛兵の検問を順番に受けている。

 

 順番を待つ間、行商人たちは鉄の物価があーだこーだ言ったり、どこぞの街の商人の態度が悪いだなんだって愚痴をこぼしあう。多分同じクランのグループであろう男女数人は「中入ったらどうすんよ、すぐにギルドセンターいくわけ?」「少しは観光してからにしましょうよ」「観光っていっても何が名物なんてわからねーよ」とか言い合って、顔には王都への期待が浮んでいた。


 そして正門前に立っている衛兵たちの顔つきも、歴戦の勇士を思い浮かべた外壁とは対照的に、穏やかなもんだった。


 こうやってみると王都クルージは誰しもの憧れの街で、おいそれといけるような場所ではないと思っていたけどどうやら俺が構えすぎていただけだったのかもしれない。


 それでも期待と緊張半々の心持ちでミヤビと列に混じって順番を待つ。

 

 行商人や冒険者たちを二十人程前にしていよいよ俺たちの番がやってきた。

 まずミヤビが慣れたように通行証を若い衛兵に手渡す。


「ほら、ジークのもだして」と促されて慌てて俺も後に続く。いつのまにか強く握りしめてしまった通行証には指の後がくっきり残っていた。


「通行証確認します……っと、ああっ――」


 通行証とミヤビの顔を交互に見返しながら衛兵が声を上げる。


「ご無沙汰ですね、ミヤビさん。おかえりなさい」

「うん、ただいま」

「それと、銀ビールの……ジークさん、ですね」


 皺のよった通行所を見て、銀ビールと言いながらやや首が傾げたのは、若い兵士には聞き覚えの無いギルド名だからだろう。何度か目をぱちくりしたあと若い兵士はニコリと微笑んだ。


「ようこそ、王都へ」


「あ、ありがとう」


 俺のなかで思い描いていた王都を守る兵士像とはあまりにもかけ離れた予想外の対応に少しどぎまぎしてしまう。


「今回の遠征は結構長かったみたいで。他の黒虎メンバーの方々はまだお戻りじゃないと聞いていますけど、ミヤビさんおひとりですか?」

「んーまあ色々あってね、黒虎はわたしひとり。こっちの様子はどう?」

「そうですか。こちらは幸いにもなにも無く毎日が平和ですよ。平和すぎて退屈してしまうほどに」

 

 なんて、国を守る兵士が言うには度が過ぎる冗談がつい出てしまうあたり、本当にクルージは平和なんだろう。


「ふうん、そう。ならよかった」


 ミヤビは兵士と軽く雑談を交わし「さあいこーか」と、俺の手を取った。


 長い洞窟のように続いた正門を潜り抜けて、目の前に広がった光景に息を飲む。

 背の高い外壁に囲われているのに圧迫感は一切ない。大きく開けた大通りが真っすぐに伸び、脇に並ぶ露店も、木の骨組みに無地の布切れをかぶせたような質素なものではなくひとつひとつの店が丁寧に個性を装飾した看板を掲げている。


 道行く人々もそう。胸を張りどこか誇らしげ。


 一言でいうとオラクルともメーテルとも違う活気があった。

 そしてどの街とも違う、やっぱりクルージならではの匂い。


 でも、何もかもが新鮮なはずなのに不思議とどこかで懐かしいようなそんな匂いだ。


「どうでしょーか。はじめての王都は」


 あちこちに視線を彷徨わせてぽかんと間抜けに口を開けていた俺に、ミヤビがたずねてきた。


「うん、なんだろうな。上手い表現が見つからないけど賑やかな街……だな」


「なにそれ、感想にしては語彙力無さ過ぎじゃん」


「王都ってそこらに貴族もいるわけだろ? だからもっと堅苦しい街ってのを想像してたんだけどさ、雰囲気はオラクルとは全然違うけど似ている面もあるなってさ」


「ここはまだ商業区だから。貴族区に近づけば多分ジークの想像に近づいてくると思うよ」


 聞くと王都は外円から商業区、住宅区、貴族区、そして中心に王城と続く構造になっているらしく、今俺たちがいる商業区はまだまだ玄関部分。別に堅苦しい雰囲気を望んでいるわけではないんだけど、王都のお楽しみはまだまだこれからという風にミヤビは言った。


「さて、これからどうしようか。ミヤビも俺に話があるって言ってたけど」


「そうだね――あの、えっと……そのことなんだけど良かったら一度わたしの家にきて……その話をしない?」


「ん? ミヤビの家で?」


「うん……そう……よければなんだけどっ!」


 急に大声出すもんだから待ち行く人々の視線が一瞬こちらを向く。


 別にミヤビが良いっていうのであれば問題はないのだけど……

 いや、しかし年頃の女の子の家にほいほいとあがるというのは良いのだろうか。

 

 とはいえ彼女には彼女なりの考えもありそうなことだし、あれこれ考えても仕方がない。


「ミヤビが良いなら」と承諾する。


「あ……でも部屋片付いてたかな」って心配そうに言うミヤビの後を続き家を目指す。





 商業区を抜けて住宅区に入る。住宅区というだけあって商業区に出ていた外来用の店なんかはすっかり数が減り「住まい」というような建物が密集する場所へ移った。


 商業区よりも道幅が細く、各目的地へと続くように分岐し、レンガを基調にした家から木材建築まで様々な家が立ち並ぶ。ミヤビの後に続きいくつかの細い道を進むと、先ほどまであまり見かけなかった街路樹が増え始めた。そして建物と建物の間隔が徐々に広く、そして家のサイズも比例して大きくなっていく。


 住宅区に入って20分くらい歩いたと思う。一瞬王都から抜けてしまったかのように、緑が増え近隣に家も無くなったエリアに差し掛かったころ、緑に囲まれポツンと建つ一軒家が見えた。


 屋敷という程ではないけれど、家族五人暮らしでも部屋が余りそうなほどのサイズ感。薄紅色のレンガのなかに白木が映える絵本に出てきそうな可愛らしいな外観をしている。


「もしかして――ここ?」


「うん。ごめんね、結構歩かせて。到着しました」


「ひとりだよな?」


「ん、そうだよ?」


 どうやらこれがミヤビの借りている住まいらしい。


 正直一軒家を借りているとは思わなかった。中心部から少し離れた場所にあるとはいえ王都でこの規模の間取りで家を借りるなんていったいいくらかかるんだろう、なんていやらしい考えが頭を過ってしまう。


「さすが……たいしたもんだよ」


「なんかいった?」

「いいやなんでも。凄いなって思っただけだ」

「そんな大したことないよ。たまたま安く借りることができたからここにしただけ」


 どれくらい家に戻ってなかったのか、ミヤビが扉を開けると木の軋む音と少しの埃

が舞った。

 居間と思わしき部屋に通される。

 部屋の中には机がポツンと置かれ四方を囲うように椅子が四脚。


「ごめんね、ちょっと埃っぽくて」


 そう言いながらミヤビは壁沿いにある締め切られた窓を開けてまわりだす。どれだけ家を空けていたのだろうか、長いこと家主がいなかった家は埃っぽく元気がないように感じた。それでも、開け放たれた窓から太陽の光が差し込むと家全体が息を吹き返したかのように明るさを取り戻す。


 窓から入る風で、窓際に置かれた花瓶の枯れた葉が散る。


「家を空けることが多いからさ、花なんて生けてても仕方ないって分かってるんだけど。つい買っちゃうんだ」


「まあ……家に帰らないとどうしてもな。仕方ないさ」


 どうやら枯らした植物は数知れずといったところらしい。


 四方を囲う窓際にはそれぞれ花瓶が置かれていても、花を咲かせたままの花瓶はひとつもない。陶器で出来た淡い色した花瓶が本来の目的を果たせず置かれている。


 女の子の家の中をジロジロ見るのはマナー的にどうかとは思うけど、折角だからと見回すと、外観とは異なり殺風景な部屋に思えた。


 でも何て言うんだろうか、あまりものが無いようで物がある、そんなアンバランスな印象だ。一人では過ぎるほど大きな机に、椅子は四脚もある。食器棚ガラス越しに並ぶ食器もいつか何かの為に用意されているのか充実している。


 けれど――どこか寂しい部屋。


 そんな風に思う。


「適当に座って」


 促されて大きな机を囲う一脚に腰掛ける。木箱以外の背もたれが随分と久しぶりに感じて、座った途端に暑い湯に浸かったときのようなおっさんくさい声が漏れてしまった。


「なに、おっさんくさいよ。それ」


 対面の椅子に座ったミヤビからのツッコミ。


「仕方ないだろ。椅子に腰かけるなんて久しぶりなんだから。それと、なんていうかさ田舎の実家を思い出すってか。なんかこうすると落ち着くな」


 決して悪口ではない。俺の狭い実家なんかと比べたら随分と広いしキレイだ。けどこうやって部屋の中で誰かと机を囲い話をするのが懐かしく思えてつい口にしてしまう。


「やっぱり? 何もないけどさ。この家の感じ、わたしも昔住んでいた家を思い出すの。まあ昔住んでいた家はもっと狭かったけどね」


 長く都会に住んでいれば田舎の家が良い思い出となるのは誰しも同じようで、ミヤビも昔を懐かしむように穏やかな目で部屋をみまわした。


「お父さんとふたり、あのときは何もなかったけど毎日が幸せだった。お金もなくて家のまわりには買い物できるお店も無い山の中だったんだけど、朝起きて誰かがいてさ、一日終わるまで何も考えないではしゃいでたあの頃が楽しかった」


「それ、ミヤビこそおっさんくさいよ。昔を懐かしみすぎると老けるって誰かが言ってた。分からんでもないけどさ」


「誰情報なのそれ。たまに誰かが言ってたって言うけどさ」


「たしかオラクルの酒屋にいた酔っ払いの言葉」


「なにそれ」


 そうやって笑いあう。

 ミヤビにはおっさんくさいと言ったものの、俺も同類のようだ。


 山のなかで育った同士として昔話に花が咲く。





 弾んだ話に一区切りついたとき、窓からは夕日が差し込んでいた。

 花の無い花瓶が滑らかに輝く。


 それでね、それでねと無邪気な子供のように話を続けるミヤビには悪いけれど一旦制して本題についてを切り出すことにした。


 そろそろ今日の宿探しも怪しくなってくる時間帯。


「――それでミヤビ、これからのことどうする?」


「えっ……ああごめん。つい。あの……そうだよね。そのことなんだけどさ。えっと、その」


「今更言いにくいことなんかないだろ。あまり無理なことはできないけど、前にも言ったように俺に出来ることならなんでもするから」


「……うん。あのさ。ジークさえよかったらなんだけど」


 楽し気な表情から一変、微かに緊張感が漂う。


「ギルドの拠点を探してるって言ってたじゃん」


「ああ、王都じゃないけどな。この近くの村に拠点を構えようかとは思っている」


「そうだよね。それでその……」


 ミヤビは目を閉じ大きく息を吐く。

 まるでこれから水中に潜ろうとしている海女さんのように深い呼吸で。


 そして数秒の間のあと、意を決したかのように口を開いた。


「ここを拠点にしてもらえないかな」


「――え?」と言葉が出たのはミヤビの深呼吸と同じくらいに間があった。


 あまりにも簡単な言葉のはずなのに、唐突すぎて言葉の意味が捉えられなかったから。


「嫌ならいいの! ジークが他の場所で拠点を構えたいっていうなら無理にとは言わないし。それか拠点が見つかるまででもここを使ってもらえたら嬉しいかなって……」


「嫌じゃないけど……そんなことまでさせるのは流石に悪いよ」

 

 本当にありがたい話だけど、家まで使わせてもらうなんて気を遣わせすぎてると思う。ミヤビは何度も「命の恩人だ」と言ってくれているがあくまでも俺が勝手にやったことだ。年上の男として、なんでもかんでも受け入れるべきではない。


「悪くない。全然悪くないよ! 別にこれは御礼ってわけじゃなくて、ジークが少しでも楽になればって思っただけだから。その、部屋もいくつも空いてるし……」


「いやいやありがたいんだけど、そんな――」


 流石に申し訳ない、と言いかけてミヤビの肩が微かに震えているのに気付く。


 いつものように猫耳が重力に負けて下へ下へとさがっていく。


 何度も視界に入っていた花瓶に夕日が反射して目を射す。  


 返答に詰まりながら、震えるミヤビを見つめていると、彼女の「寂しい」といった感情が声となって聞こえてくるようだった。


 ふと胸をつくような感情が沸き上がる。


 ――どうして気付かなかったのだろうか。


 この部屋の違和感を。


 広い部屋、大きな机、一人分以上の食器。

 家にはあまり帰らないといったミヤビ。


 長い旅から戻ってきたとき、誰も灯をともして出迎えてくれる人はいない。


 ひとりでこの大きな机に夕飯を並べ、そしてだれもいない家で朝を迎え、買ってきた花を生けるのだろう。何度枯らしてしまっても。


 多分、それは寂しさを少しでも紛らわしたいから。


 先ほどまで楽しそうに話題にしてた昔話。


 彼女にとってはあのかけがえのない幸せな日々を取り戻したいのだろう。

 それも俺の勝手な妄想なのだけど、寂しさを抱えながらも、そんな日々を過ごすイメージとなって脳裏に過る。


「それでさ、これもジークが良かったらなんだけど。わたしはわたしなりに今のギルドと……黒虎とケジメをつけるから――」


 それで、と続けたミヤビ。


「これからも一緒にやっていけないかな」




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