第33話 少しの休憩

「ねえねえ――」えらい勢いで身体を揺すられて、夢の世界から強制的に引きずり起こされた。何事かと開いた瞳に光が差し込んできて「うああ゛っ」ってうめき声が漏れる。


 夢と現実のはざまを彷徨いながら、あわよくば再び夢の世界へ戻ろうとする俺を「起きて起きて」ってミヤビが制する。


「なに……どうしたんだ……」


「ねえ、寝すぎ。もう寝るの禁止だから」


 夢と現実のはざまを彷徨うボケーとした頭で状況を把握すると外は昼間の明るさで空気も温かく、いつの間にか馬車は動き始めていた。言われるほどには寝すぎたらしい。身体を丸めて寝ていたせいか、伸びをすると凝り固まった背骨から気持ちの良い音が鳴る。


 おはようございます、世界。


「もう寝ない。大丈夫……それで、なにかあった?」


「クルージ見えてきたから教えたげよーと思って」


「――え? まじで?」


 クルージと聞いて残っていた眠気がすっとんだ。


「うん、まじ。ほらこっち」


 荷台の骨組みを覆う布の横腹の一部が裂けていた。ミヤビは嬉しそうに言うとまるで地面に鼻を沿わす犬みたいにしてその切れ目に頭を突っ込んだ。ローブの下から細い尻尾が波打っている。


「交代ね」


 うながされて、昂る気持ちを抑えながら裂け目に頭を差し入れてみる。荷台の横腹からひょっこり突き出した顔を、気持ちの良い風が撫でた。


 小高い丘を行く荷馬車。空の青と草原の緑が半々に見える。

 そしてその先、視界に飛び込んできた光景に息を飲む。


 お腹が熱い。


 月並みの言葉でさえ出てこなかった。


 草原上に伸びたいくつもの分岐した茶色い道が、まるで細々とした木の枝が太い幹へと続くようにひとつに合流していく。その枝上には俺たち以外の馬車も幹を目指して進んでいっているのが目に入った。往来する人々が小さな黒い点となり動いている。

 

 終着点、緑続く地平を覆いつくすように現れた王都。

 夢にまで見た憧れの街がもうすぐ目の前に迫っている。

 まだ少し距離はありそうなのに、あまりの壮大さに距離感が狂う。

 その規模はオラクルやメーテルの五倍はあるだろうか。楕円に見える外壁に囲われて背の高い建物が剣山のように建ち並び、街の中心に見える三角塔の一部はきっと王城の一部なのだろう、一際存在感を放っていた。


 人間ってやつは――なかなか凄いもんだ。

 はるか昔からこんな規模の街をつくることができる技術をもってんだから。


「これが……クルージか。なんかすげーな」


「でしょ。なかなかヤバめなんだよね。わたしも初めてみたときちょっとビビったもん」


「うん。なんかこの国の全部が詰まってるみたいだ。たしかに、これ見たら冒険者が王都での生活に憧れるのも無理ないのかも」


「中はもっとすごいんだよ。一日歩いても回り切れないくらい沢山お店もあるんだ」


 ミヤビはいつになく嬉しそうだ。久しぶりのホームタウンを前にしてテンションがあがっているのか、猫耳が右に左にピコピコはねていた。


「それはそれは。お金がいくらあっても足り無さそうだ」


「そんなことないよ。結構安くて量が多いお店もあるんだよ」

 

 俺としては娯楽全般を指しているんだけど、ミヤビの言う店ってのは多分全部飲食店のことを言っているんだろう。ミヤビのお腹が鳴ったのが聞こえた。

 

「そういえばさ。一応聞いとこうと思うんだけど――王都についたらどうする?」


「うん? 王都についたら色々案内したげるから楽しみにしてて。君は何かしたいことある? 先にご飯にする?」


 再びお腹が鳴る。


「それはありがたいんだけど、それじゃなくてこれから先のこと。その、聞いていいか分からんのだけど黒虎とのこととかあるだろ? だからどうするのかなって思ってさ。一応、おれのお供契約についても終わるわけで」


 ずっと気になっていたことを尋ねてみる。王都に着いたら「はい、さようなら」ってことでは無いとは思うんだけど、あくまでもメーテルで受けたミヤビの相談は王都へのお供ってことまで。思うところはあるけれど、なかなか口には出せなかった。ずけずけと俺が立ち入っていいのか分からない内容であると思うからだ。


 問いに「うん――そうだね」って伏し目がちにミヤビは言った。寂しそうな色が混じる大きな猫目、さっきまでピンと伸びていた耳も途端にしょんぼり垂れる。ウェスカーとの一件のあと、オラクルの宿屋で「君の好きなようにしていいよ」って言っていたのとどこか雰囲気が似ていたが、彼女の中で渦巻く感情の正体が分かっても、その理由までは分からない。


「まだ困りごとがあるなら何でも言ってくれてかまわないからな。俺にできることならなんでもする」


「ありがと」そう言ってミヤビは沈黙する。


 地雷でもふんじゃったのかと思って沈黙が苦しい。


 少しの間のあと、逆に問いかけられた。


「……ちなみに君はどうするの?」


「そうだな。王都についたらやらなきゃいけないことも調べたいこともあるけど……まずは拠点を決めてしまおうと思ってる」


「拠点?」


「そう。拠点ってか住処。恥ずかしながら今の俺は住所不特定者みたいなもんだしさ。早いところ住処くらいは見つけてしまわなきゃまずいわけよ」


「そうなんだ――王都で拠点をつくろうとしてるわけ?」


「まさか。いつかは住んでみたいけど、今の俺が王都に部屋借りるなんて無理だ。だから、王都近くに小さな村とかあるじゃん? 適当なところ見つけて、空き家を探してみようって考えてる。まあ目途がつくまでは王都で最安の宿暮らしになると思うけど」 


 王都の周辺には小規模な集落があると行商人の親父から聞いていた。集落は王都から歩いて半日かかる距離にあるせいか、物価やら家賃は王都の半分以下が相場らしい。だから王都に住めなくても「いつか王都に――」って冒険者が好んで住み着くとのことだった。


 まあ、王都よりも安いとはいえオラクルやメーテルよりかは相場は高めだろうからそれなりに稼ぎが無ければ難しいだろうけどさ。


「ふうん、そう。でも近くの村って何もないと思うけど大変じゃないの?」


「まあ楽じゃないだろうな。だけど生活の基盤が固まるまでの間は仕方ない。王都のギルドセンターで依頼を受けて、ちゃんと仕事して、今までより頑張ってさ。いつかは俺も目指せ王都ってやつかな」


 まるで夢見る少年のように言ってしまって少し恥ずかしい。でも「目指せ王都」ってのは飾った言葉じゃない。王都に住むことが目的というよりかは、王都に住めるくらいに頑張ろうって思っていた。所謂――漠然としながらも、久しぶりに立てた目標ってやつだ。


「なんか色々あったけどさ。ミヤビのお陰もあって、もう一度頑張ろうって思ってんだよね。ひとりでどこまでやれるかは分からないけど、とにかく精一杯やってみようってさ」


「……そっか、そっか。うんうん」


 伏し目がちだったミヤビの視線がこちらを向く。今の話の中に何も面白さはなかったと思うんだけど、しょんぼり垂れた猫耳が真上に立ちどことなく嬉しそう。


「どうしたんだよ。なんか楽しそうだけど」


「ううん。なんでもない」

 ふるふると顔を横に振ってからニコリと微笑む。そして大きく息を吸い「よし決めたっ」と狭い荷馬車のなかで急に立ち上がった。いつの間に食べてたのか、ガタガタ揺れる馬車の振動で菓子パンの粉が黒いローブからぱらぱらと落ちる。


「なにを決めたわけ?」


「王都についたら教えたげる」


「なんだそりゃ」


「いいの。今後のことも黒虎のことも全部話すから。だから今は楽しいことを考えようよ。それと、君も折角の王都なんだから少しは楽しんだほうがいいって」


「楽しいこと、ねえ」


「あっそうだ。御礼するから。それも期待しててね?」


 猫耳の揺れが大きくなる。


「うん? ああ、だからそんな気にしないで良いから。お供するとは言ったけどさ逆に俺の方が迷惑かけちゃってるし」


 事実、残念ながらあまり役に立っていない。

 役に立っているとしたら食費やら移動費やらっていう誰にでもできること。

 しかもそれ以上に迷惑をかけていると思う。なんとも悲しい話だ。


「それはそれ、これはこれ。いろいろと清算して、王都についたらわたしがご飯御馳走したげる。美味しいお店あるんだ。今までのお返しね」


「ほんとに気を遣うなよ? まあ、晩御飯くらいは御馳走になろうかな」

 

 そう言って笑う。


「任せて。まだ先月のお給料が残っていたと思うし、だいじょーぶ!」


 多分それは黒虎からの報酬のことを言っているのだろう。


 でもなんだろう。


 「先月の給料が残っている」と胸を張り自信満々に言うミヤビを見て嫌な予感がした。何故かオラクルの酒場によくいるおっさんの影がちらつく。なんか同じようなことを言っていた覚えがあった。


 それでも「楽しみにしててね」って嬉しそうに頬をゆるませる彼女を見て何も言うことは出来ない。


「じゃあ、期待しとく」言いながら、ミヤビのローブに纏わり着く菓子パンの粉を取る。



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