第31話 前編エピローグ(完)

「お待たせしました。こちらが二名分、王都への通行証となります。ジークさんと……その、ミヤビさんのものですね。念のためギルド名、お名前に間違いが無いかご確認ください」


 ギルドセンターの若い男性職員から通行証を受け取る。手のひらサイズの通行証には所属しているギルド名と名前、ギルドセンターから発行されたことを証明する捺印があるだけの簡単なもの。少し捺印が欄外にはみ出している。はじめて貰う通行証を夢の国への招待状のように思っていたけど、それは期待を裏切り意外と雑で無機質なものだった。


 とはいえ通行証一枚に一喜一憂していても仕方がない。職員の指示に従い、通行証に目を落とす。所属ギルド名、名前と共に間違いはない。目を通してから隣で眠そうにしているミヤビに「これ一応確認してくれ」とミヤビの分を手渡した。


 数秒通行証に目を通して「だいじょーぶ」と言った彼女は、誰が見ても疲れてるって分かるような顔を向けている。半分落ちた瞼、時折船を漕ぐように揺れる上半身。まだ夕方前だというのに数分放っておけば今にも寝てしまいそうな様子だ。


「先に馬車乗っててもいいよ? 疲れてるだろ」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ」


 ミヤビはふるふると頭を振る。大丈夫とは言いながらも瞼はすでに七割落ちて、白目しか見えなかった。全然大丈夫そうに見えないんだけど、と余計なことは言わずに通行証を懐にしまい、問題無かった旨を職員に告げた。けれど目の前にいる職員は反応を示さない。ぽかんと魂の抜けたような蕩けた顔、視線の先にはミヤビ。


 ああ、またか――とため息を落とす。


 そう。ミヤビが疲れ果てている原因はとても明快。そしてそれはミヤビを数分休ませることさえ許さないように、まさに今目の前で起こる予感がしている。


 その予感はすぐに的中した。


 顔を赤らめた職員が「あ……あの、ミヤビさん……」と辺りの様子を伺いながら、小声で言ったあと「握手してください――」と震える手を差し出した。きっと俺の通行証の捺印が欄外で傾いているのもこのせいなんだろう。通行証を手渡すときだって、俺なんてみずにずっとミヤビに熱い視線を送り続けていたくらいなんだから。


 眠たそうにしていたミヤビは、めんどくさい――と言う表情は見せずに「あいあい」と軽く微笑み差し出された手を握る。適当な対応といえばそうなんだけど、職員にとってはこれ以上無い喜びだったようで、手を握られた途端に身体を大きく震わせた。


 ふとギルドセンターカウンター奥にいる初老の親父職員の視線がこちらを向いているのにも気づく。「この野郎、抜け駆けしやがって」ってそんな顔が乗っていた。


 もう、なんなの。

 ちゃんと仕事してよ!って叫びたい。


 でもその気持ちをぐっと堪える。だって、オラクルなんて片田舎の街に、誰もが知っているような有名人がいるんだから気持ちが高ぶってしまうのも仕方ないことだと思うから。しかもこうなってしまったのは、大通りで一悶着を起こしてミヤビの存在を暴露させてしまった俺のせいでもあるのだから、何も文句は言えなかった。


 とにかくこんなやり取りが昨日からひっきりなしに続いていた。少し街を出歩く度に声をかけられ、握手を求められ、中にはサインをねだる冒険者までいた。ざっと数えても三十は越えていたかと思う。


 ミヤビの存在が一度バレてしまってから、街行く人間も「ミヤビがいるかも」って意識で外を出歩いているのかもしれない。いくらローブのフードを深く被って顔を隠したところでミヤビ流の完璧な変装が通用しなくなっていた。


「自分、ミヤビさんのことずっとファンでして……ミヤビさんの記事が載った新聞とか全部残してたりして……あの、妹もファンなんですよ! 最近なんかローブを短くして太腿出したりして――いや、なんでこんなこと言ってるんだろ、恥ずかしいな」


 お前は乙女か。


 身体をモジモジしながらも熱弁している職員を眺める。そんな職員とは対照的に、ミヤビは半開きの目のまま「あい、あい」と適当な返事を繰り返していた。


 ミヤビには申し訳ないけど、あと少し頑張ってもらおう。

 こんなやり取りも数刻もすれば終わるのだから。


 オラクルに寄ってから今日で三日目。通行証を受け取った俺たちは今日の夜、改めて王都に向けて足を進めることになる。行商人も準備が整っているし、あとは移動中に必要な食材を買い集めるだけ。さよならオラクルまでもう少しだった。


 なんだか、短いようで長い寄り道だったなってつくづく思う。


 到着初日からギルドメンバーと一悶着起こして、マサハルだったやつが実はマサハルじゃなくて、マサハルだった奴と対峙して死にかけて、超位回復が無くなって――初日のイベント重なりすぎだろってくらいに濃厚な日。


 これからもこんな濃密なイベントが続いてしまったら一体どうなるんだろう。

 身体ぶっ壊れるんじゃないかなって、ちょっと不安。それでも王都の華やかな情景を思い描けば辛くてしんどいことだけじゃなくて少し楽しいことも起こるんじゃないかって期待はある。


 うん――悪いことばかり起きるはずはない。きっと楽しいこともある。


 悪いことばかり考えてしまうと、悪運を呼び寄せるとも昔酒場の酔っ払いも言っていたことだし、今は不安じゃなくて期待を膨らませていこうって思った。


 「そろそろ行こうか」と、若い職員の熱弁が第二部に突入するのを遮ろうとしたとき、ギルドセンターの入り口に見覚えのある金髪が目に入って一瞬固まる。ツンツンと束にし立たせた金髪から下へ視線を落とすと、細見の身体、穴の開いたパンツ、歩く度に音の鳴るシルバーのアクセサリーを付けた男の姿。


 いつも自身満々に細長い身体を大きく揺らしていたそいつは、今日はどこか身体を小さくしているように見えた。


「ガラルド――」と言葉がでるのと同時に奴と目がバッチリ合う。


 ガラルドは二度見どころか三度見した後、びくりと身体を震わせた。そして遠目からでも分かるほどにバツの悪そうな顔が浮かべ、数秒視線が交差する。その数秒の間に色々と思考を巡らせたのか、ギルドセンターに用があったはずのガラルドはガシガシと頭を搔き踵を返した。

 

 ギルドセンターに顔を見せた理由が何かなんとなく分かる。

 せっかく気持ちを切り替えようとしていたのに、少し胸に靄がかかった。


「あの、聞いていいのか分からないんだけど。鷹の爪ってどうなるんですかね」


 すでに第二部に突入してしまった職員に問いかける。


「えっ? えっとあの――ごめんなさい……なんでしょう」


 熱がこもりすぎて質問を聞き逃したっぽい反応を見せる職員。ミヤビの手を握りしめながら丸く開いた目をぱちくりさせている。


 もう!ちゃんと仕事してよって再び言いたくなる気持ちを抑える。


「鷹の爪は今後どうなるんだろうって思って。マカラスは、その――もう冒険者としては……」


 駄目なんだろ――って言葉がなかなか出てこない。他人事でありながらも、冒険者としてもう終わりなんて言葉をどうしても言いたくなかったから。適切な言い回しが見つからず少し苛立つ。


 最後まで言わずとも職員はようやく仕事モードに切り替わり始めたのか、俺の言いたいことを察してくれたようで「ああ」と蕩けた顔から一変、顔を曇らせ言う。


「自分も詳しくは知らないんですけど……そうですね。マカラスさん、ようやく意識は取り戻したみたいですけど。これからギルドを続けられる状態かと言うと難しい状態なんじゃないかって――」そこまで言って区切り、「人から聞いた話なので、絶対ではありませんけど」と職員らしい対応で締めた。


「そうですか……意識は戻ったんですね」


「まあ、意識は戻ったとは言えまだ動けない状態らしいんですけどね。――あの、すみません。こうやってお話していますが、職員という立場で他ギルドさんのことを口外するのはあまり宜しくなくて……」


 職務中にミヤビの手を握っている男がよく言うもんだ。

 と思うけど言葉にはしない。「もちろん」と軽く返す。


 マカラスのことは、俺も街の噂で聞いていた。


 二日前、俺がウェスカーとやり合ったあの日の朝、意識の無い状態で宿の一室でぶっ倒れているのをギルドメンバーの誰かが見つけたらしい。その原因は恐らく回復中毒症状。大通りでの一悶着からマサハルがラフレシア元メンバーのウェスカーでは無いかって街でも騒ぎになったあとのコレだから、オラクルでは犯人不在ながら「またウェスカーが事件を起こした」って噂が一気に広まっていた。


 それと同時に鷹の爪は『悪人に騙されたギルド』って看板を背負うことになった。悪人に騙されたと聞けば、同情の意味が込められていそうなもんだけど、どこを歩いても聞こえてくるそのフレーズは侮蔑としか思えないようなものだった。


 ミヤビに声をかけるついでなのかは知らないけど、街中で「大変だったな」ならまだしも、「兄ちゃん、良かったな」なんて言ってくる奴もいた。一体何が良かったな、なんだろう? それを聞いて何もスカッとすることは無い。どちらかと言えば出来れば何も聞きたくなかったし、言われたとしても俺にはもう関係の無いことだと思いたかった。大変でも無いし良くも無い。そう、それだけで良かった。


 だから自分から鷹の爪について聞くことはしなかったんだけど、ガラルドの顔を見てどうしてもモヤモヤしてしまった。アイツギルドセンターに立ち寄った理由は言われなくても分かっているから。


 多分アイツがギルドセンターに立ち寄ったのは、早くも新しく所属するギルドを探しにきたんだろう。鷹の爪はもう駄目だ――と見限って。


 冒険者にとってギルドに所属することは生活の糧を得る為にどうしても必要なこと。だから人のギルド移動についてをとやかく言うつもりも無いし、自由にすれば良いと思っている。ましてや泥のついた看板を背負ってしまったギルドだし、リーダーであるマカラスがどうなるかも分からない状況で、長く居座っても仕方ないっていうメンバーの行動も最もなのかもしれない。一刻でも早く自分についた泥を拭って、自分に不利益が生じないために。


 そしてガラルドのあの性格だ。新しくギルドに所属することが出来れば「俺はマサハルのこと怪しいと思ってたんすよね」「マカラスはリーダーとしての器じゃないっすよ」なんて言いふらして保身に走るに違いない。


 まあ、それもガラルドがこの街で新しいギルドに所属出来れば、の話なんだけどさ。

 

 それもこれも、別にどうだっていいんだけど、なんか凄い空しくなってきた。

 メンバーも人の不幸を話のネタにして笑う冒険者の奴らも。

 

 考えないようにしていたのに、姿を消したウェスカーの顔まで浮かんでくる。自分の中ではケジメをつけたつもりなのに。


 はーあ、だよ。ほんと。

 

「ほら、また怖い顔してる」


 ガラルドのせいで考えたくも無いことを考え込んでしまった。

 職員の熱弁も最終章を終えたらしく、ミヤビが冷たい手を重ねてきた。


「ごめん、ごめん」


 いつの間にか皺の寄ってしまった眉間を親指で伸ばす。

 鷹の爪について考えたって仕方ない。

 頭の中にいたガラルドに別れを告げる。


「さて、そろそろ長旅の買い出しに行こうか」


「おー」と両手を挙げたミヤビ。


「あっ!――ちょっと」とカウンターの奥から声を上げた初老の職員。


 その声を聞こえなかったふりをして、ギルドセンターを後にした。



◇ 

 


 橙色に染まった街。


 ギルドの仕事から帰ってきた冒険者たちとは進路を逆に取り、行商人の待つ正門前に向かい歩く。泥やら草やらを顔や服につけて、疲れただなんだと談笑を交わしながら道行く冒険者たちはどこか清々しい顔してる。そんな冒険者たちを見送りながら、やっぱり俺は夕方のオラクルの雰囲気が好きだなって思う。


 夕方特有の漂う哀愁に、感傷的になってしまうのは人間の本分らしく、あんなことがあったなこんなことがあったなって、なんてまた昔を懐かしみながら正門を目指す。別に戻ってこようと思えばいつでも戻ってこれるのに、なんだか不思議なもんだ。


 大通りを抜け、行商人の馬車が集まる正門前まで来たとき、


「ジークさんっ!」と声をかけられる。


 その声に振り向くとエプロン姿のエリーダさん。

 片手を振り小走りで近づいてくるその姿はまるで愛らしい小動物。


「エリーダさん。こんにちは。どうしたんですか?」

 

 少し息を切らせながら目の前までやってきたエリーダさんは「良かった間に合って」と言う。そして続ける。


「ジークさんたち今日出発なんでしょう? たしか王都に向かうって――」


 オラクルにきてからミヤビ以外とは基本的に話をしていない。

 誰にも言っていないはずなのに、なんでエリーダさんが知っているんだろう。


 はて? と考えていると、それを察したのかエリーダさんは俺の知らない名前を出した。


「昨日、聞いたのよ。マルコスくんに!」


「マルコス?」


「あれ? ジークさん知らない? ギルドセンターの若い男の子がいるでしょう。あの子うちの常連なの」


「ああ――」さっきまで会っていたあの子か。

 ギルド職員の立場であれこれ言えないというのは、どうやら職場内だけの話のようで。酒を飲みながらミヤビについて熱弁しているうちにふと零してしまったのか、その話題になった理由は分からないけど、彼はなかなかのおしゃべりくんみたいだ。


「それで王都へ行ってどうするの?」


「そうですね。お恥ずかしながらそれからのことはあまり」


「そう」とエリーダさんは少し寂し気にしたあと「これ良かったら食べてくださいね」と片手に持っていた紙袋から何やら取り出した。出てきたのは踊る珊瑚礁と印字のはいった水色の風呂敷。受け取ると温かくて何やら食欲を誘う香りがする。


 隣にいるミヤビのお腹が鳴く。


「ジークさんたちが王都に向かうって聞いて主人と作ったの。お口に合うかは分からないけどお弁当代わりにね。ミヤビちゃんの分もあるからね」


 そう言ってエリーダさんは子供に向けるような笑みをミヤビに向ける。


「あ、ありがと」


 エリーダさんみたいな接し方には不慣れなのか、どこかぎこちない返事。


「すみません。先日はお店の前で揉め事起こしちゃったのに。こんなことまでしてもらって」


「もー、ほんとに。あの日は貸し切りだったのにお店なんて開ける状況じゃなくて大変だったんだから」


「ですよね……申し訳ない」


「でも仕方ないわね。マカラスさんたちだって大変だったでしょうし」


「そうかもしれませんが、エリーダさんには迷惑かけたのは別問題なんで……」


「いいの。またいつでもお店にきてくれたら」


 そういってまたエリーダさんは微笑む。


「わたし、みなさんが楽しくしてくれるの見るのがやっぱり好きなんだ。うちのお店で楽しそうに笑って、たくさんお酒飲んでくれて。たまには喧嘩もあるでしょうけど」


 微笑む彼女を見ていると、凝り固まった心がほぐれていくよう。どこか田舎の母親を思い出させるような温かな空気を纏っている。


「うちのお店が第二のお家にでもなってくれたら嬉しいなって思ってるの。だから――事情は詳しくは分からないけれど、ジークさんも戻ってきたらまたお店にいらしてくださいね」


「絶対よ?」ってあまり上手くないウインク。


 礼を言おうとして言葉が詰まる。


 突然、泣きそうになってしまった。 


 こうやって誰かが見送りに来てくれるなんて思ってもいなかったから。今思えばこの街に戻ってきたときも、真っ先に気付いてくれたのはエリーダさんだった。それはただの職業病なのかもしれないけれど、それでもこうして見送りに来てくれるほどに俺のことを気にかけてくれてるんだって、心配してくれていたんだって、この街で俺は一人になったんじゃなかったんだって思えて――


 多分これもまた夕方の街が放つ哀愁のせい。

 それか色々なことがありすぎて涙腺がおかしくなってしまったせい。


 いかん。いかん、いかん。

 

「ミヤビちゃんだって、お店に入ったことだってないんだから。今度来るときはお弁当じゃなくてちゃんとしたもの食べてもらわなきゃ」


「ありがとうございます」ってなんとか絞り出した声はめっちゃ不細工。頭を下げて泣きそうになるのを、なんとかこらえる。



「じゃあ、気をつけていってらっしゃい」


 

 顔を上げれば涙腺が崩壊してしまいそうだった。


「いってきます――」


 手に持った弁当のぬくもりを感じながら、何度もエリーダさんに頭を下げた。





 オラクルに来るときよりも狭くなった荷台の中から、ミヤビと二人、小さくなっていくオラクルの街を見送る。街の独特な臭いも次第に草の香りに変わり、どんどんと街が離れていく。一日の終わりを告げるように、正門前の松明に灯がともる。


 松明の灯に照らされた正門の横――、見覚えのある銀髪が輝いたのを見た。手を振るわけでも何するわけでも無く、ただ正門の横に佇んでいる。顔の輪郭くらいしか分からないけれど、視線だけが交差しているのが分かる。でもそれはオラクルの街と離れていくのと合わせてすぐに見えなくなってしまった。


 思うところはあるけど、口には出さない。 

 言いたいことは山ほどあるけど、口には出さない。


 その代わりにエリーダさんからもらった弁当を口に運ぶ。


「お肉美味しかったね」って一瞬で弁当を平らげたミヤビが、俺の弁当を「欲しい欲しい」と言うように大きな猫目を向けている。


「もっと味わって食べなよ」


「十分味わったってば」


「よく噛んで食べなよ」


「ちゃんと噛んでるって」


 あまりに欲しそうにしているもんだから、ついつい食べ掛けの弁当を差し出してしまう。「いいの?」ってわざとらしく言うミヤビにメインの肉を半分取られてしまった。


「やっぱりおいしいね」ってモゴモゴ言う彼女を見て笑う。



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