第28話 壊れた心

 消えていったいくつもの幻。


 見知った顔、見知らぬ顔、知っている場所、知らない場所、いくつもの時間と季節を巡る。そんな夢を見ているような有りもしない現実が映像となって消えていく。意識を手放しながらも、そんないっときの幻の影を追いかけていた。それでも、追いつき捕まえることなんてできずに、ぱちんぱちんと泡のように弾けて消えていく。


 自分を突き動かしていた熱い気持ちも無くなっていく。


 世界が完全に暗転する直前、一際強く輝いた幻があった。

 それは実体とも映像にもならず、ただ一言残して消える。


『お疲れさま――先に行くわ』


 と。


 旅立つ友の別れを見送るような、俺が見送られているような、そんな寂しい声。

 シルクでもマカラスでも鷹の爪のメンバーでも無い。誰のか分からない声。


 でも、なんとなくそれが何か分かっていた。心から離れていったそれが何か理解していたし、知っていた。だから、謝らなきゃって思って『ごめんな』って言おうとしたんだけど、言う前には他の幻と同じようにあっけなくはじけ消えてしまった。


 それが最後に俺の身体から離れていった大切な心。


 弾けた途端にすごい悲しくなった。


 真っ黒な虚空は深い喪失感へと変わる。


 生きてるんだか、死んでるんだか分からない状況で、誰もいない世界を唯々彷徨い続けた。





 


 重たい瞼を開けてから数分。


 未だぽっかりと胸に穴が開いたような喪失感を味わっていた。それを埋める為に、手に伝わる柔らかな感触を楽しんでいる。


 今どんな状況かというと、宿屋のベッドに身を倒し、俺の腹を枕代わりにするように突っ伏しているミヤビの頭を撫でている。垂れた銀色の猫耳、上質な絹のような毛並みを整えるよう流れに沿わし撫でる。こんなことしてしまえばミヤビが激怒しそうなもんだけど、彼女はただ身を任せ頭を撫でられる。


 顔を突っ伏したままだから表情は見えなくても、眠っているわけじゃないと気付いていた。時折ピクリと反応する猫耳、スンスンと鼻を啜る音。力いっぱい握りしめられた俺の服がたわみ、シワになっている。


 ――ああ、やっぱ心配かけちゃったな。


 ミヤビの様子に心の中でため息を落とす。


 開いた部屋の窓から差し込む日は柔らかい橙色、頬を撫でる風も少し冷たくなっている。最後の記憶では朝日を拝んでいたはずだが、ずいぶんと長い時間眠ってしまっていたようだ。


「ミヤビ、ごめんな」


 彼女は何も答えない。

 鼻を啜る音が一際大きくなった。


「これミヤビがやってくれたのか?」


 両肩から手首にかけて包帯のようなもの巻かれていた。


 余程慌てて処置してくれたのか、天井に向け腕を持ち上げると結び目が緩み布がシュルシュルと顔に落ちてくる。手に取りみるとやはり包帯では無い。一体この布はどこから――視線を横にずらすとミヤビのベッドの上に白い布の塊が丸まっているのが目に入った。その代わりにベッドシーツが無くなっているので多分シーツが包帯の正体なのだろう。


 シーツを破き、あわあわと不慣れな手つきで巻いてくれた様子を想像する。


「ほんとに手間かけた」


 想像して、言う。少し泣いてしまいそう。


「だって……病院なんてあいてなかったんだもん」


 未だ腹に顔を埋めながらも、ようやく掠れた声を出したミヤビ。


『ほんと馬鹿だね』って『自業自得だね』って『無茶するからだよ』っていつもみたいに明るく言われるか、あきれ果て怒りを交らせながら言われるか、どちらかを想像していたけど、そのどちらでも無い弱々しい声。猫ミヤビを助けた日に彼女の見せたか弱い一面がフラッシュバックする。 


 頭を撫でながら話しかける。


「ありがとう。いや助かったよ」


「……死んでるかと思った」


 うう、と唸り腹に顔を擦り付けたあとミヤビがこぼした。


 ぽつりぽつりと会話を交わしていく。


「そうだな。俺も死んだかと思った」


「血だらけだし、息してなかったし……」


「そうだったのか? それは知らなかった」


「ほんと、ばか」


「本当に馬鹿野郎だよ。俺」


「朝まで探してたんだよ」


「ごめんな」


「何も言わずにいなくなるから」


「手紙見てないのか」


「そんなの知らない、見てない」


「いやそうだよな。俺が悪かった」


「ばか――ほんとばか。さいてい」


「ああ、ほんとに」


「死んだら……王都いけないじゃん……」


「そうだな。ミヤビの依頼を全うしなきゃ、な」


「……もう痛くないの?」


「うん。問題ない」


 ふうと、息を吐きベッドに倒していた身体を起こすと関節のあちこちから気持ちの良い音が鳴り、溜まっていた血が重力に従い全身にめぐり出すのを感じた。失っていた痛覚もようやく戻ってきたのか割れた奥歯が歯茎に刺さり少し痛む。血が固まり肌に張り付いてはいるが超位回復のお陰で深い傷はひとつもない。

 

「あいつは……ウェスカーはどうなった?」


 意識を失う前に見たウェスカーの顔を思い出す。

 殺気も狂気も剥がれ、今まで見たことのないくらい歪んだ泣きそうな顔を。


 息をひとつ落とし目を閉じる。

 答えを待つのに心臓は早鐘を打つこともなく、穏やかに鼓動を繰り返していた。

 なんとなく、ミヤビからの答えは分かっていたから。


「……いなかったよ。いたのは君だけ。君だけが正門の前に倒れてた」


「そっか」と呟く。


 驚きはない。そうだよなって思う。

 さっきまでアイツと心の一部が繋がっていたかのような不思議な感覚があったから。


 だから、アイツが今俺の近くにいないことも、オラクルには存在していないことを漠然と理解出来た。オラクルの正門にアイツがやってくることや、対峙し俺に向けた思念、アイツの行動パターンや何をしようとしているのかが手に取るように分かったように。多分、いっときの間アイツと俺は心を共有していたんじゃないかと思う。そして、その理由もなんとなく分かっていた。


「……それで、君は納得できたの?」


 きっとミヤビはウェスカーと俺との間でケジメがつけられたのかを聞いている。

 問われ、考える。


「アイツがいなくなったってことは逃げられたんだろうな。殴れなかったし」


「でも」と続け、ステータスメニューを開く。


 それを見、言う。


「多分俺なりのケジメをつけることが出来た――と思う」と。


 目の前で開いたステータスメニュー。


 表示されているのは俺の馴染みのあるスキルたち。


 並んでいるのは『鑑定士』『創造』その二つだけ。


 ああ、やっぱり。


『お疲れさま、先に行くわ』と目を覚ます前に聞こえたあの声を思い出し、少しの寂しさを感じる。


 スキルが並ぶメニューの中、Sランクスキルである『超位回復魔術師』がぽっかり無くなっていた。膨大な量の超位回復を流し込まれ、心が壊れていくのを感じながら、一番最後に俺の身体から離れていった大切なもののひとつ。


 最後に見た一際光る幻は、やっぱりこのことだったんだろう。


 もう二度と体験したくないような地獄の時間、最低最悪なスキルな使い方で壊し合ったお互いの心。そして、自分の心が剥がれていくのと同じものをウェスカーから感じていた。


 だから――それはきっとアイツも同じ。


 アイツも、ウェスカーもこのスキル超位回復魔術師を失っている。


 人よりも優れていると、スキルランクの高さで人を見下し生きてきたアイツの拠り所、根幹。それをアイツは失った。もう二度とスキルを誇り生きていくことは出来ない。逃げられ、ぶん殴れはしなかったけど、スキルの強さに溺れ悪用し、人の痛みを知らなかったアイツにとっては耐え難い苦痛の日々が続いていくんだろう。


 そう考えれば俺にとってのケジメはつけたと言っても良い。


 もうオラクルの街にもいないとなれば、アイツがこれ以上街を汚すこともないしこの街の誰かが犠牲になるってこともない。


 鷹の爪のメンバーについては――あとは、自分たちが解決する問題だ。


 ウェスカーのいなくなったクラン、悪人を雇用していたクラン、騙されていたとは言え欲に溺れてしまったケジメは何かしらの形でつけなきゃいけないだろうが、それは仕方ないことだと思う。奴らなりのケジメをつければそれでいい、そうとしか言えないかった。もう、俺なりのケジメは終わったんだから、次はアイツらが頑張る番。


 ウェスカーのこと、なんでそこまで分かるの?と聞かれても「なんとなく」としか答えることは出来ない。けど、ウェスカーと俺を繋げていたのは超位回復だったからじゃないかって思う。


 自分の中でスキルとは何なんだろうって考えて、今まで感じたことも無い感情が芽生え始めていた。


 スキルには何かの気持ちや想いが詰まっている――こんな表現が適切なのかは分からないが、一時とは言えウェスカーと共有した意識、昔から自分のものだったという感覚、心が剥がれていくときに感じた寂しさ、さっき聞いた誰かの声。それら全部をひっくるめて考えると、スキルとは何か思念の塊みたいなもんなんじゃないかって思えてしまう。


 これまでそんなこと考えたこともなかった。鑑定士スキルにも思念が宿っているなんて考えたこともなかったし、冷静になればあり得ない話なのかもしれないんだけど、超位回復が無くなり胸を支配する喪失感は、今まで積み重ねてきた自分の歴史が無くなってしまうような寂しさや、大切なものを無くしてしまう時の感情に似ていた。


 だから、余計に思う。

 本当に最低最悪な力の使い方をしてしまったってことを。


 もし本当にスキルに思念が詰まっていたならば、こんな使い方はきっとスキルは望んじゃいない。回復スキルは本来人を癒し慰める力に使うべきだし、決して人を傷つけるために使うんじゃないって。『お疲れ様』って言葉が、『先に行くわ』って言葉が何を意味していたのかは分からない。けれど、あの時感じた寂しそうな雰囲気は、『ようやく役目が終わる』ってそんな風に聞こえた。


 だから、俺は最後に謝りたかった。

 最後の最後にこんな使い方して悪かったって。

 ごめんなって。

 短い間とは言え、長いことありがとなって。

 お疲れさんってのは本来俺が言うべきことだったんじゃないだろうかって。


 他のスキルたちはどう思っているんだろうな。


 当たり前のように俺たち人間が持っているスキル。

 大なり小なり誰しもが持っている能力。

 今まで、俺たちはスキルという能力を得ている理由が何かなんて考えたことも無かった。 


 生活の糧になるとは言え、スキルの強さが全てを支配しているこの世界で、弱者と強者を分けるように使われ、時にはウェスカースキルのように自己満足の為に悪用されるスキルたち。


 本来あるべき使い方っていったいなんなんだろうな。

 ウェスカーへの想いとは別に、心に少し靄がかかる。


「なんなんだろうな、これって」


「……ん?」


「いやなんでもない」

    

「……ねえ」


「ん?」


「おなかへった」


 俺の未だよく分からない『創造』についてもそう。

 全てのことに意味があるんだと思う。

 このスキルは俺に何かを訴えているのかもしれない。

 未だに心を感じることの出来ない創造スキル。


 王都へ行けば手がかりがつかめる。きっと。


 ウェスカーのこと、オラクルのこと、アイツらのこと。

 まだ全部が消化しきってはいないけど、とにかく前へ進もうって決めた。


 お腹を鳴らすミヤビの頭をガシガシと撫でる。



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