第26話 ジーク

 何回殴られて、蹴り飛ばされたのか。


 もう回数なんて覚えちゃいない。


 いっそ死んだ方が楽なんじゃないかって思う程の痛みと、それをかき消す夢見心地な穏やかな気分がやってきては、また痛みによってかき消される。疲れ果てて寝たいのに無理やり薬物を入れられて寝かせてくれないような、そんな連続する感覚に頭がおかしくなりそうだった。


 それでも、なんとか歯を喰いしばり耐える。


 大丈夫。こうなることくらい覚悟はしていた。


 丸めた身体を踏みつけられようが、石ころのように蹴とばされようが、顔面にツバを吐きかけられようが、底辺だなんだと心を踏みにじられる言葉を吐かれようが、自分なりの決着をつけるまでは絶対に逃げちゃだめだと自分に必死に言い聞かせた。


 ぶっちゃけ、怖くなかったって言ったら嘘になる。


 Sランククランにいたアイツが、ゴブリンオークを素手で殴り飛ばすようなアイツが、俺よりもずっと強いってことも、基礎ステータスに開きがあって真っ向から勝負に挑んでも勝ち目が無いくらい、いくら俺だって当たり前に分かってたから。


 そうやって理解していても、逃げるよりかはましだって思った。


「もう、終わりかよ。ウェスカー」


 殴られ、地面を転がっても。

 そう言って立ち上がる。


「耳たぶ無くなったのがそんなに悔しいかよ」


 正直キツイけど、それでも立ち上がる。

 もう少し、もう少しだ。


「いったい、何が起こってる――」


 気付くのおせーよ。

 本当にさ。 


 ようやくウェスカーに疲れが見え始めた。

 荒く息を吐き上下する肩、汗で額に張り付いた髪。

 怒り狂っていた顔に浮かぶのは、戸惑い。


 足をふらつかせながら『信じられない』と、そんな顔を俺に向けている。

 

 まあ、そりゃそうだろう。


 普通の人間であれば絶命している程の暴力。

 それを浴びながらも傷ひとつ負っていない人間が目の前にいるんだから。

 

 アイツは確かに感じたはずだ。

 骨が砕ける音を、折れる手ごたえを。


 それでもこうやって『何てことない』って顔して俺は立っている。アイツにとって今のこの状況は目を疑いたくなるほどに、何か細工でも仕込んでいるんじゃないかと思うほどに、到底信じられるものじゃないんだろう。


「超高速の自動治癒だと……? そんな、そんなことが出来るなんて、ありえない。ありはしない……あるとすれば……それは僕だけの。いや僕の……超位回復だって……」


「知らねえよ。出来ないのはお前だけじゃないの?」


 手のひらに浮かべる、緑の柔らかな光。


「なんで、そのスキルをお前が……」


 言わずとも俺がなんのスキルを使っているのか、ウェスカーも流石に理解したのか腹の底から獣のような唸り声を漏らす。


 俺の全身を包んでいるのは『超位回復』


 ――俺が何かを犠牲にして得たスキル。


 スキルはごく自然に『どうすれば、何が起こるのか』昔から、ずっと俺のスキルだったかのように身体に馴染み発動してくれる。


 ウェスカーが言うように自動治癒なんて使い方が合ってんのか合ってないのか分かんないけど、こうすればいいと何故か漠然と理解していた。そして当たり前のようだけど実際に使ってみるのは今日が初めて。だから使えるとは分かりながらも、使えばどうなってしまうのかは、今身を持って体感している。


 万能とは、言えなかった。


 痛みや傷がダメージを負った瞬間に即スキルによって治癒されても、精神への負担は大きいと知った。治癒する傷とは反対に心が抉られ摩耗していくような、そんな感覚は耐え難い不快感と体力の消費を生む。


 壊れるかも、ってそう思った。


 けれど今、目の前にいる異常者を化け物を相手にするにはこうするしかなかった。


 ステータスも力も速さも全部ウェスカーに劣っている。

 何も勝てない俺が出来る、唯一のこと。

 それがスキルを工夫して使うことだった。


「なんだそれ、なんだそれなんだそれ! おいっ! お前はミヤビに何を仕込まれたっ! おいっ! お前みたいな人間がそんなスキル持てるはずがないだろうがあっ!」


 噛み締めた唇から流れる血を見る。


 底辺だなんだと騒ぎ見下していた奴が、自分と同じレベルの回復スキルを使っていいるなんてこの男からしてみれば耐え難い屈辱なんだろう。


「自動治癒なんて……そんなあり得ないことが……僕にだって……僕にだって……!」


 そろそろ朝日が昇る時間。


 白ずんだ空に朝日が顔を出し始める。


 早くケリをつけて宿に戻らなきゃな。


 殴られて、蹴られて、地面を転がされてズタボロになった服。

 泥まみれの身体。髪の毛を鷲掴みにされて随分と振り回されたもんだから、ちょっと頭がハゲちゃってるかも。


 こんな格好の俺を見て、ミヤビはなんて言うだろう。


 多分心配かけちゃうことになるんだろうな。


 豪華な朝飯を用意するくらいじゃ許しちゃくれないんだろうな。


 また、悲しい顔させるかもな。


 あーあって感じだよ本当に。


 ダメージと超回復を繰り返し浴びて回らなくなった頭。

 痛みは無くても立ち上がることさえ泣きそうになってしまうくらいに、体力は消耗しきっている。もう、俺も限界が近い。


 ほんと、疲れた。


 ――次が、最後になる


 漠然と、けれど確かにそう思う。

 チャンスは一度逃してしまっている。

 耳たぶなんて噛むんじゃなかった。


 もう少しで絶対にコイツは行動に移す。


 ここまですれば絶対に。


『スキルは使い方次第』だとミヤビは言った。

 

 俺が子供の頃に思い描き、諦めていた希望を思い出させてくれた。


 諦めていた希望と夢。

 そう、凄い冒険者になるってことを。

 ヤバいモンスターを倒せる冒険者っていうのは何もスキルが強いってだけじゃないってことを。


 誰かのために活躍するのが本当に凄い冒険者だってことを。

 村で詩人の兄ちゃんから聞いたような、冒険者になることを夢描くのは何もおかしなことじゃないってことを。

 諦める必要なんてないってことを。


 何も出来なかった鑑定スキルだって、使い方次第で輝きを見せてくれる。

 何かの役に立つことが出来る。

 もちろん使うタイミングや環境は関係するのだろうけど、スキルランクだけが全てじゃない。

 スキルの使い方はそれぞれあるとミヤビが教えてくれた。


 だから余計に思うんだ。


 こんなスキルの使い方は絶対に間違ってるって。

 今から俺がしようとしていることは決して良い使い方だとは言えないだろうって、分かってる。褒められたものじゃないって分かってる。こんな使い方しちゃダメだって、分かってる。


 分かっているけど――ウェスカーに人の痛みを教えるためにはこれしかない。


 自分が世界の中心にいて、自分の為なら何をしてもいいって、他人を傷つけてもなんてことないなんて、心も想いも踏みにじって生きているような奴には身を持ってその痛みを知ってもらうしかないんだ。


 こんな方法しか思いつかないのは少し情けないけど、今の俺が出来る精一杯の戦い方。


 もう覚悟は決めた。


 ――発動させている自動治癒は終わり


 この後ウェスカーが起こすであろう行動に備え、精神を集中する。


 痛みは一瞬。


 痛いのは嫌だけど、こらえろ。

 

 がんばれ俺。逃げるな俺。


 大きく息を吸い、吐く。





 さあ、根性見せようぜ。




 

「ありえない、ありえないありえないありえないっ! それは、そのスキルは僕だけのもの。僕だけの特別な力だ! お前なんかが持っていていいはずがないっ!」


「お前が持っててもダメだろ」


「存在していたら駄目だ……僕の存在をかき消すような、そんな人間はこの世に要らないっ!」


 今までに無い殺気を放ちながら、ウェスカーが吠えた。


 息を飲む。


 地を蹴り地面が抉れる程のなりふり構わない突進。


 殺気、憎悪、いくつもの怒りの感情を振りまきながらウェスカーが迫ってくる。


 震える足先に、そして腹に力を入れる。


 一瞬のうちに詰まった距離。


 猛烈な風圧と、顔で弾けるのは遅れてやってきた砂利。


 骨の砕ける音、目玉が飛び出そうな痛み。

 地面をたたき割るような勢いで足先を踏み抜かれた。


 噛み締めた奥歯が割れる。


 痛み貫かれても――瞬きはしない。

 目の前にいる化け物から一瞬たりとも目を離さない。


 伸ばした手、殺意のこもった指先が魔物のように喉元に食らいつく。


「お前もロイドたちのように、消えてなくなれ」


 視線が重なる――

 

 こんな時でさえ一瞬アイツらの顔が浮かんだ。


 だから、別にお前らの為じゃないってば。


 化け物の顔に浮かんだのは勝ち誇った卑しく歪んだ笑み。


 チャンスはここしかなかった。

 今しかなかった。


 全てを今この瞬間にかける。


 この化け物が俺に向け何をしようとしているのか、喉ぼとけをねじり潰そうなんて考えているわけでは無いと分かっていた。もっと残酷で、ラフレシアのメンバーにしたように地獄のような苦しみを俺に与えようとしていることは分かっていた。俺と同じことを――しようとしているって、分かってる。


 喉元に食らい込んだ指に構うことはない。

 

 ウェスカーの首元に手を伸ばす。



「僕の勝ちだ」

「お前の負けだ、ボケ」 



 最低最悪なスキルの使い方。



 世界が、暗転する。



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