第25話 ウェスカーとジーク ウェスカーside

 田舎臭くて薄汚い、価値のない街だ。


 夜の街を歩きながら、そう思う。


 臭くて汚くて、色気の無い街。


 僕の元いた街、そう王都クルージに比べて華やかさも洗練された装いも無く、無価値なものがただ多いだけの雑多な街。夢を見るだけで満足しているような能の無い冒険者たちが足踏みする為にだけ存在しているような、くだらない街。


 ただ身を隠すのに丁度良い、自分の思い通りにことが運ぶだろうと、それだけの理由で選んだこの街に思い入れなんてあるわけがない。

 

 生きていて楽しいですか?

 幸せですか? 

 

 道行く奴らに聞きたくなるほどに、この街にいる人間はどいつもこいつも能天気で、止まった時間の中で幸せそうに生きている。


 止まった時間はこれから永遠に動き出すことなんてないのにさ。


 いつか何か事が起きると自分で事が起こせると信じ、無意味に時間だけを浪費し結局何も成すことなく死んでいく、そんな奴ら。


 僕とは生きてる世界が違う。

 この街で命があるのは唯一僕だけで、その他の奴らは魂の抜けたお人形。


 そうとしか思えなかった。


 だから僕が命を吹き込んだ。夢を見せてあげた。


 夢を叶えようとしてあげた。

 

 この街の人間に、あのクランの連中に――生きる目的を与えてあげた。


 それは決して悪なんかじゃない。

 

 事実、僕のお陰で彼らは日々幸せそうに過ごしていたんだ。クランを大きくしたいと一時の夢が叶った男もいれば、自分に自身が持てないと、今の生活が不安だと嘆いていた女にも喜びを見出してあげたのだから。


 与える喜びはやはり良いものだ。


 この世には与える側の人間と、与えられ続ける人間の二種類しかいない。


 僕はいつも前者であり、選ばれた人間としての責務を果たしただけ、ただそれだけだった。そしてその礼として、彼らは僕に快楽をもたらしてくれる。進んで提供してくれる。僕はそれだけで満足だし、決して多くを求めていないはずだ。与えているものの対価としてはさ。

 

 それでも与えられていたはずの人間も次第に「与えられている」という感謝を忘れ、あの図体ばかりデカい男のように、いつしか対等になったと勘違いをし僕に意見するようになる。


 一体何様のつもりなんだろう。

 僕と同じ目線で物事語るなんてあり得ない話なのに。


 そして頭に浮かぶのはあの男と、ミヤビ。


 僕に恥を晒させた憎い奴ら。


 いつか絶対に――罪を償ってもらう。

 あいつにもミヤビにも、絶対に。どんな手を使ってでも。

 

 でも、今はその時じゃない。ミヤビがいる間はどうしても潮目が悪い。

 先ずは僕の汚された心を浄化することが必要だった。


 今すぐにでもどうにかしてやりたい気持ちを堪える。


 そう、これは逃げじゃない。

 英断だ。


 道端に転がる酒瓶を踏みつけ、砕く。


 唯一の楽しみを無くした街に最早価値なんて無かった。


 心を癒してくれる次のくだらない街を求め、歩き続ける。

 

 






 正門を抜けた直後、二度とやってくることは無いだろうオラクルを背にした僕を、聞き覚えのある声が呼び止める。

 

「逃げるんだな」と。

 

 その言葉に反応し振り返る。


 門の横に佇んでいた男が、月灯りに照らされその姿を見せた。


 男を視認し、思わず笑みを浮かべてしまう。


「まさか、あなたから出向いてくるなんて――」


 僕が今まさに罰を与えたいと思っていた男。

 僕の乱れた心を浄化するのに、手っ取り早い相手が目の前にいる。


 クランを追い出され、街から逃げ出した男――ジーク


 飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのこと。

 のこのこ僕の前に姿を見せるなんて、とんでもない馬鹿だ。


 ここまで大胆に僕に会いに出向いてくるなんて、僕のことを随分と舐め腐っているじゃないか。ミヤビの陰に隠れ何出来なかったくせに、こうして僕の前に間抜けにも姿を見せるなんて『自分の力で僕をねじ伏せた』とでもあり得ない勘違いをしているんじゃないだろうか。


 罰を与えることの出来る喜びと、苛立ちが混ざり合う。


 高くも無く低くも無い平均的な背丈と、平凡な容姿。

 役に立たない低ランクのスキルしか持ち合わせておらず、僕の人生において脇役のポジションさえも与えられなかった奴。唯一の役は『僕に幼馴染を奪われてクランを追い出された奴A』物語の序盤で姿を消し二度目の登場シーンは無いはずの男。


 僕と比べるにはあまりにも格が違い過ぎた男。


「ミヤビはいないから安心しろよ。ここには俺だけ、お前と俺しかいない」


 そんな奴が、さも僕の相手はひとりで十分だと言わんばかりの自信ありげな様子で言う。運よく二度目の登場シーンを得られたからと言って調子に乗ってるんだろう。


 あなたの登場シーンは、もうすぐ永遠の終わりを迎えるというのに。


「ミヤビ? ああ、別に気にしてはいませんよ。あんな女」


 ミヤビの気配は、彼の言うように無い。


 それでも三百六十度周囲に何もないか、誰もいないか、神経を張り巡らせていた。目の前にいる男から感じるのは、何か隠し玉でも用意しているかのような余裕だったから。万が一、ミヤビがいたら――面倒なことになる。別に恐れをなしているわけでは無い。ただ不意打ちを警戒して気配を探っているだけで、僕があんな女に怯えるはずなんかない。


 視線を交わしながらしばらく。


 ミヤビどころか誰の気配も察知することは無く、この近辺にいるのは僕とこの男の二人だけと言うのに嘘は無いようだった。街のどこかで野良犬が吠える声だけが響く。


「な? 誰もいないだろ? 安心しろよ、ウェスカー。もうミヤビに嬲られることは無いんだからさ」


――なめやがって


 その余裕がいちいち癇に障る。

 そしてミヤビ無しで単身僕の前にやってきたという事実が、余計僕を苛立たせた。


「言うようになりましたね。ジークさん。あなたも大きな勘違いをしているようだ。もしかして、今日僕を成敗でもしたつもりになっているんじゃないですか? 言っておきますが、僕はあなたなんか元々眼中にもない」


「俺だってお前に興味なんてねえよ。でもさ、やっぱりお前とはケジメつけなきゃいけないんだよ。しかもお前みたいな悪人をさ、野放しには出来ないだろ? なあマサハル。いや、ウェスカー」


 別にもう隠す必要もない。


「気安く僕の名を呼ぶな。君なんかが呼んでいい名前じゃない」


「何を誇らしげに言ってんだよ。ただの悪人じゃねえかよ」


「へえ、悪人ですか――それで? 僕をどうしようと、どうしたいと思っているんです? 僕がウェスカーであると知り、あなたに何が出来るというんです? ああ、僕がウェスカーだと知って、もしかして仕返しですか? クランを追い出されたのに、仲間想いのことですね。仲間想いなことは良いことですね」


 嘘だ。仲間想いなんて実にくだらない。


「そんなんじゃねえよ。アイツらのことなんかどうでもいい。これは俺の個人的な感情だ」


「つまり?」僕が言うと、彼は拳を眼前まで持ち上げ、構えた。


「お前を、ぶん殴りにきた」


「そうですか。僕を殴りに、ねえ」



 面白い。



「わざわざ、ご丁寧に、僕を、殴りに、ですか」



 本当に面白いことを言う。



「いい加減にしろ。お前みたいな何も出来ない低ランク冒険者が何を喚いている……お前ごときが僕と、対等になれると思っているんですか?」


「ああ、思ってるさ」


「即答ですか、それはそれは――」


 ああ、この男は本当に僕を苛立たせるのが得意なようだ。


 腹の底から湧き上がる怒り。


 目の前にいる凡人に現実を教えてあげないといけない。

 夢から覚めてもらわなければいけない。

 

 スキルランクの高さが『どれだけ総合的な能力に影響を与えるのか』ということを。


 僕と彼とでは生物として圧倒的な格の違いがあることを。


 泣いて許しを請うまで、徹底的に。


「じゃあ」言い終わる前に――ふいに突き出したのは、ただの正拳突き。

 

 瞬間、鼻筋を捉え跳ね上がる顔。

 軟骨が歪む鈍い音。 

 尾を踏みつけられた時の犬のような甲高い声。


 ゴム球のように、地面を跳ねた身体。


 もろい、軽い、弱すぎる。


 この程度の攻撃でさえ防ぐことが出来ないなんて、間合いも分かっていない、てんで素人。それでいて僕を殴りつけようとしていたのだからとんだお笑い種だ。

 

 これならゴブリンを相手にしているほうがまだ手ごたえがある。


「あれ? これでもだいぶ手加減したんですが……どうしました? 僕を殴るんじゃなかったんでしょうか?」


「うるせえよ……効いちゃいない……」


 強がっているようだけど、効いていないはずがない。


 手加減しているとは言え僕の基礎ステータスは、そこら辺の冒険者を凌駕しているのだから。


 そう、スキルの強さは取得経験値の差を生み出す。つまり高ランクスキル所持者の基礎ステータスの爆発的な向上は、スキルを使って高ランクのモンスターを倒すことによって得られる経験値量の多さに起因する。


 その差は、いくら努力しようが決して埋めることは出来ない。生まれ持ち合わせたスキルのランクの高さによって、強者と弱者を隔てるボーダーラインは絶対に揺るぐことは無い。


 震える手で地面を掴み、防御姿勢を取ろうとしている彼。

 懸命に立ち上がろうとする姿はまるで、命の危機に瀕したか弱い小動物のよう。

 感動すべき生物の生存本能を目の当たりにして、感情が昂る。

 

 でも、立ち上がることさえ許してはいけない。

 まだ、まだまだまだ。全然足りない。 

 僕の力を身に沁み込ませるには、全く足りていない。


「へえ? 痛くないんですね。じゃあもっと力を入れてみましょうか。ねえっ」


 距離を詰め、二撃目――


 無防備な脇腹につま先を差し込む。

 感じたのは、柔らかな手ごたえ。

 骨を突き破り内臓にめり込んだときの、気持ちのいい感触。


「がっ――」


 息の代わりに胃液を吐き出し、のたうち回る。

 苦痛に歪んだ顔が少しだけ僕の気分を晴らしてくれる。


 それでもまだ足りない。

 全然足りない。

 夢から覚めるにはもっともっと現実を教えてあげなきゃいけない。

 そうだ、これこそが与えるべき人間の使命。

 馬鹿な思想を持った人間を粛清する、僕に与えられた大儀。


 鋭く闘争心に燃えた目が、絶望し光を失うまで徹底的に心を折る必要がある。

 ひとつひとつ、丁寧に、気持ちを込めて彼を痛めつける。


 これは僕から溢れる怒りであり、愛だ。


 三撃目――


 地面に伏せた身体を踏みつけ、そして蹴り上げる。

 道端に転がった石を蹴り進むように、何度も、何度も。


 四撃目――

 五撃目――

 六撃目――


 ああ、もう良く分からない。






 どれくらい彼を痛めつけたのだろう。


 日は昇ってはいないが、月は落ち空は白ずみ初めている。


 僕としてはそんなに時間が経ったとは思えないんだけど、ふと気づけば目の前で丸まっている彼の服は泥に塗れ、ボロ雑巾のようにめちゃくちゃに破れていた。


 ちょっと蹴り飛ばしすぎたかな。 


 ごめんなさい、ウェスカーさん。

 勘違いしていました。もう調子に乗りません。

 許してください。 


 そんな言葉がいつ出てくるんだろうと期待しているにも関わらず、いくら痛めつけても、彼の口から詫びの言葉が出てこない。


 気分は完全に晴れてはいないものの、もう終わりにするかと、そう思った。

 

 その前に、最後の仕上げ。

 

「そうだ――君の大切な幼馴染さん。あれは頭は悪いが、顔と身体は良かった。彼女は随分僕に礼を尽くしてくれましたよ。あなたを捨てて、ね」


 脇腹を抑え頭を庇い、丸くなった彼に顔を寄せ耳元で囁く。

 僕に何を奪われたのか僕と彼とでどれだけの差があるのか、あの日の屈辱を思い出してもらうために。


「あなたと僕を比べてしまったのだから、仕方ない。あまり彼女を責めないでください。そう、恨むなら自分の無力さを恨めばいい」


「……」


「わかりますか? そうだ。あなたはシルクさんと十数年のお付き合いでしたっけ? ああ、あなたのこんな無様な姿を彼女にも見てもらえばよかった。あなたの選択は間違ってなかったと、そう教えてあげればよかった」


「……」


「僕という存在を前に積み重ねてきたものが壊れたとき、どう思いました? 自分の無力さを恨んだんじゃないですか? ねえ、どうです?」


「――」


「はあ? なんて言っているんですか? ん?」


「……」


「だから何を言ってるんですか? もっと聞こえるように話してくださいよ。え? 詫びですか? もしかして」


 瀕死状態のモンスターのように、呻き、ぼそぼそと何か言葉を発している。

 思いのほか心が折れるのは早かったかもしれない。


「まあ謝っても許しはしないんですけどね」


 瀕死状態の彼を見、良いことを思いついた。


 最後の仕上げはこれまでに無い強烈なものにしよう、と。


 そしてそれは彼を媒介にしたあの女への報復。


 『この人は心ある人間だ』と庇い吠えたあの女が、心を無くしたこの男を前にしてどんな表情を見せるのだろう、涙し発狂するのではないだろうか、全裸に剥いて街の中心部に放置したらどうなるだろうか、そう考えるだけで久しく感じていないほどの快感が背筋に走る。我ながらとんでもなく良いアイデアだった。


 死んでしまっては元も子も無い。

 であればこんな茶番はもう終わりにしよう。


「ねえ、ジークさん。もうお仕舞いにしますけど、最後に僕に言いたいことありますか?」


「……交換――」


「ん?」


「……い」


「はあ? なんです?」

 

「……しない……お前みたいなやつのために……」


「だから何をわけの分からないことを――」




「――俺は何も交換しないって言ってんだボケっ!」




 耳元で叫ばれ、一瞬何が起こったのか、何をされたのか分からなかった。



 眩む視界、生暖かい感触、嫌な音。


 その理由を理解するよりも早く、焼けるような痛みが脳天を走った。


「ぉっああ゛つっ!?」


 手加減なんかしない、反射的に出た本気の一撃。

 至近距離から脇腹にめり込ませ咄嗟に距離を取る。

 

「なにを……このっ、何をっ……!」 


 鉄臭い匂いが鼻をつく。

 指を這わすと生暖かな感触。


「こ……の、この……犬畜生かっ、お前はっ! 僕に、僕のっ! ああ゛っ! 畜生! この野郎っ!」


 這わせた指先、本来触れるべき場所になにを感じることも出来ない。

 

 熱い、熱い、熱い――



 火を押し当てられたかのような猛烈な熱を感じる。

 そしてそれは耐え難い痛みへと変わった。



「このクッソたれ……ああ゛っ! ああ゛あっ!」



 僕の耳を、僕の耳がっ!


 噛み切りやがった……

 こいつは僕の耳を動物のように齧り取りやがった。


 軟骨から下、僕の身体の一部をっ――


 咄嗟に発動させる超位回復。

 焼けるような痛みも耳元で鐘を鳴らされた後のような耳鳴りも瞬時に治癒される。

 けれど、痛みは止まっても噴き出る血が止まっても、損傷した耳を完全に復元することなど、できはしない……!


 この、糞野郎が――


 唯一無二の身体の一部を欠損させられた。

 この世界にひとつしかない、かけがえのない僕自身の身体の一部を、こんな男に。


 あっていい話では無い。


 絶対に。


 こんな下賤な人間に僕という存在を侵されるなんてあってはならない。


 もうこうなってしまえば関係ない。


 ミヤビへの報復もなんだっていい。

 

 目の前にいるのは救いようの無い生き物だ。


 粛清したところで意味を成さないモンスターだ。


 骨を砕き、間接を外し、生きていることを後悔する程に徹底的に痛めつけてやる。


 地獄を見せてやる。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る